中井久夫を読む、勇気づけられ涙がでてしまう=「最終講義」(みすず書房)

中井久夫を読み続けている。
『最終講義』は秀逸でありました。
中井が神戸大を退官する折の最終講義です。
中井のことは、精神医学以外の人たちにもよく知られ、エッセイには貴重なものが多い。
生涯を精神分裂病=統合失調症の患者の臨床に捧げて得たエッセンスを、極めて分かりやすい言葉て解説しています。
とりあえず、感銘したところを二つ。
ヴィトゲンシュタインの「家族類似性」という特定の共通項をもたないものの集合がある、と引用している。
家族は顔は目元はにている、鼻の形が似ている、口元が似ているという部分的に似ていることはあるが、では完全に全員が同じ部位が似ているかというとまずそういうことはない。つまり共通項というものはないのです。しかし家族という集合を形成しています。
中井は、共通項による分類を「硬い体系」と規定。
他方、家族でなくとも目元や口元が似ているという「他人の空似」もあるだろう、従って、家族や他人の空似は相互浸透を許すので「柔らかい体系」と規定しています。
すなわた精神疾患は、一つのシステム内の障害である論理的帰結として、内部の神経系統に失調が相互浸透しているものだということなのだろうか。
もうひとつ意味がとれませんでしたが、わたしが惹かれたのは、「柔らかい体系」は、人間社会や中間団体や党派のあるべきシステムを暗示しているように受け止められたからです。
共通項はないが、しかし一つの集合を形成し、集合ごとのシステムの内外とは自由に相互浸透を許すーこれはとても貴重な概念だと感じました。
さて、ヴィトゲンシュタインのどこにこれは書かれているのでしょうか。
楽しみが増えました。
もう一つは、精神科医診療医として振り返り、このような含蓄ある言葉を後輩医師、患者、家族に贈っています。
「最後に、どのような患者も、学者の記す分裂病ほどには十分に分裂病的でないこと、つまり現実の患者は現実がすべてそうであるように不完全に分裂病的であることを言い添えます。」
医師の尊大さや患者への侮蔑を戒め、患者をリスペクトせよと言い続けた中井らしい、極みへ到達した認識でしょう。
吉野山去年の枝折りの道かえてまだ見ぬ方の花をたづねむ
西行の歌を掲げて颯爽と去っていきました。
同じ道を戻るのではない、新しい道に分け入って花をみるのだというのです。
統合失調症と格闘して40年を経ても、なお新しい道を模索すると言う覚悟は、やはり非凡であり時代が選出した傑物であったというべきでしょう。