降圧剤を試しに2日ほど止めてみたら、
流石に今夜180まで上がって、頭にかすかに違和感がある。
こういう時ドッといってしまうのか、明日からはまた飲み続けよう。
これはボーと見ている分にはとても面白く、知らなかったことを教えられることも多い。
今日のゲストは佐藤勝だった。
実にこれは同時代を駆けたものとして興味深かった。
もともと佐藤勝は同志社の後輩なのだが、優秀な奴だと認めるが、どこか生理的に好きになれない。
多分語り口が説教調になるクセのせいだろうと思う。
同志社大の先輩諸氏はみんなファンで、よく本を薦めてくるが、一冊も読んだことはない。書棚には二冊ほどあるチラ見。
加藤の父親とは、同志社大へ入ってから、ウトカを呑みに入り浸り親しくなる。後、佐藤が外務省合格した折は祝賀会をしてくれて、ロシア勤務(80年代)時代には逢いに来てくれたとのことだ。
父は、ロシア語を習得して、ハルピンで特務機関のようなことをしていたらしい。
佐藤の付き合いで記憶に残る金言は、「ロシアにもいい奴と悪い奴がいる」、「ロシアは底力がある国だから、絶対戦争してはいけない」、「無類の人懐こいところと粗暴のところを併せ持つ民族」特性だと。
私がいたのは此春寮の五分ほど駅よりの大成寮だった。
此春寮は神学部とブントで占められていて、私には高踏的な嫌みな連中が多く馴染めなかった。わが大成寮はノンセクトが多く、庶民的なバイトに明け暮れている連中が多かった。
(これは私の貧乏人ゆえの偏見かもしれないので鵜呑みにしないでくださいwww)
卒業後モラトリアム生活の頃、私の老朽化したアパートの部屋の前にブントの活動家が同姓していたが、しばしば藤本と加藤がお忍びで訪れていた。
私はそのころなぜか朝鮮総連系と民団系の学生が、変な日本人いると押しかけてきて、私のつたない国家-民族論を基に喧しい議論をしては帰っていった。当時を知る人ならわかるが、この両派が酒席をともにするなどあり得なかった。韓国は軍政でキムジハの拷問弾圧で騒然としている時代だ。
その頃まで何年間か「ほろ酔いコンサート」へ年末には参加した。娘が病気で一緒にこれなかったので、CDにサインをねだって持ち帰ったが、結局娘には渡っていない。
その時、加藤は「そう、残念ね、娘さん連れてこれたらよかったのにねー」と何度か言ってくれたのが嬉しかった。
TBSの「プレバト」へ加藤は俳句で出演したが長いことやっている割には下手くそだった。(お登紀さんゴメン)
おまけに、私の好きなシュスターコビッチ「セカンドワルツ」を聞いてみてください。