老人の淋しさについて。

暮れなずむ車窓に寒林が薄い影となって後方へ消えてゆく。

外気は冷えている。
朝から年一度の70歳以上の無料検診に行き、血を抜かれた。

行きつけのクリニックで看護師さんは何人かいるが、長年行きつけのところだからみんな優しくしてくれる。

変に老人扱いもせず、かといって気遣いはしてくれて、本人がうぬぼれない程度に褒めたり感心したりしてくれる。
その距離感がとても気もちいい。

午後からは同人の大橋君の店へ雑誌を届けて、反省と次号企画を話しておく。
彼は永年の南島文化論の専門家で、藤井貞一なんかとも仕事をしている。
彼に見本誌の沖縄人への送付先を教えてもらって、改めて沖縄人にはなかなかの書き手がいることを知らされた。

彼も年齢は私より10才若いのだが、大学の後輩ということもあって、長年この老人にそれとない配慮と支援をしてきてくれた。

みんな自分の還暦を聞くと、少し老人に優しくなるような気がする。いよいよ避けえない時代がきたと慄くせいか。

吉本隆明は、恩師の遠山啓に老人の淋しさについて教わったと書いている。

教師の口を、遠山が世話をしてくれるという話に乗って、しばらくして結果をききに訪れた。
すると遠山は、きみはダメだという。老人は淋しいのだ、それをほったらかしておいて、そういう態度はダメだと叱られた。

老人はさみしいものだ、だから頼み事をしたら頻繁にどこか見つかったか、まだかまだかと毎日のように来て言わなければダメなんだ。老人は頼られることが嬉しいのだから、きみの態度はなっちゃいないと。

そしてもう一つ決定的なことを言われる。
「他人というものは、君が君自身を考えているほど君のことを考えているわけじゃないんだよ」っていわれる。

吉本は理屈では解っていたつもりだけど、なるほどと納得して、真っ向から言われて身がすくむ思いをしたと述べている。

思い起こすのは、鈴木六林男を初めて訪ねたときが、多分今のわたしぐらいの齢だったはずだ。
新弟子が一冊の本に魅せられて弟子入りしてきた、頼られて嬉しかったのだろう。満面の笑みで迎えてくれた。

ところが句会が始まるまで、部屋の外でタバコを吸い他の弟子たちと談笑して、開始前に席につくと、いきなり叱責された。

お前は人にものを教わる態度ではない。
ひとにものを教わるには、それなりに自己紹介とか身辺のこととか話し合い手にならなければダメなんだと言うのだった。

本当に教わることができるのは、句会以外の普段の場面の方が多いのだと。師も遠山啓と同じことをいったのではないか。

そんなことを思い起こしつつ、夕暮れのまばらな客のバスは淋しさを掻き立ててくれた。

しかし今Facebookで知遇を得た方々の配慮に、少なからぬ老いの淋しさを薄めていただいているようにも感じる。

地理的距離を超えて、人格としての付き合いができて、これも本名でお互いの「人格領域」をふまえることができるためだ。リアルの付き合いよりある面で濃い。

他人はお前のことなどほとんど考えていないのだ、ということが解っていても、そう感じているし、感じていたい気がする。