自民党のネット言論弾圧—あなたも日々狙われている。

歴史で学ぶことは、ナチスの弾圧の「完成度の高さ」である。

 

ヒトラー政権は、政権自体の権力行使をスムースにするため、さまざまなテクニックを行使した。

その一つが、ナチス親衛隊である。

 

親衛隊自体は政権自体とは関係ない、あくまでナチ党の組織である。

主任務は、ヒトラー党首の身辺警護からドイツ国内から占領地域に作られた多くの収容所の運営管理を行った。

 

つまり、政権党が、国民の承認もなく、政権を維持するためにその機構を担い、国民への報告義務もなく、自党のために好き勝手ふるまう影の組織といえる。

 

構造的には同様の組織を自民党は国民の眼の届かないところでもっているのである。

以下のネット情報は、それを教えているように思う。

 

s.webry.info

福田和也著『近代の俳人VOL4-鈴木六林男』-忘備録

福田和也がわが師鈴木六林男に言及している。
兜太を取り上げる軽薄な文学者はいるが、六林男を取り上げる識者は少ない。
面白いのは、六林男の俳句に魅せられるのは、兜太のようないわゆる進歩派のみならず、保守派からも評価されるところである。
保守派といっても、今風の似非保守=クズ右翼ではない。小林秀雄江藤淳吉本隆明などの系譜である。その意味で、江藤の弟子ー福田和也が取り上げていることは合点がいくのである。ちなみにわが畏敬する山崎行太郎氏は、福田と並ぶ江藤の愛弟子。
よく六林男の簡潔にして的確な評価である。

静寂と狂奔が同時に表現される。
前線の兵士たちも「俳句」を詠んだ
近代の俳人Vol.4
福田 和也

 大学の講義で、数年来、近代俳句をとりあげている。

 その年ごとに俳人の面々は異なるのだけれども、これまであまり文芸に触れる機会のなかった、一、二年生にとっての、文学入門、といった意味あいである。

 なぜ俳句なのか?

 コンパクトである事、その利点は大きい。

 瞬時にして、作品を共有する事が出来る。

 さらに凝縮されているために、解釈のバリエーションが豊富だ。

 どの解釈が正解という事がない。

 たとえ、作者の意図とズレていたとしても、鑑賞として筋が通っていれば、面白ければ、そしてスリリングであれば、それでいいのだ。

 一度、金子兜太氏にインタビューさせていただいた事がある。

 芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」について。

 金子さんは、この蛙が一匹ではなく、何百、何千匹だ、と仰った。

 一匹であれば、何とも静かな、侘び寂びた光景が目に浮かぶ。

 しかし、何百、何千だと・・・。

 産卵のために、或いは孵化した蛙たちが、熱を発しながら、次々と水のなかに跳び入っていく。古池の水面は狂奔する生命で煮立ったようになる。

 能の一場面のような静寂ではなく、ストラヴィンスキー春の祭典』のような狂奔へと大きく振れる。そういう幅の大きさ、スケールが十七音で表現されてしまうのだ。

 それは、素晴らしい事であるが、恐ろしい事でもある。
俳句一つを握りしめて、人は生きることができる、生きてしまう。しまいには、尾崎放哉のように俳句と心中してしまう者もいる。

 山本七平のジョーク。「各国民は捕虜になったら、何を一番にはじめるか?」

死と腐臭がみなぎる中で、絶望を語りたかった
 ドイツ人は捕虜になると、収容所の規則を微細に決めた上で、裁判所を設ける。

 アメリカ人は、脱走の計画を巡らす。

 フランス人は、食料を調達する。

 イギリス人は、階級秩序を維持する。

 では、日本人は?

 句会を組織する・・・。

 上級将校から、一兵卒までが座を組んで各自の作品を披露しあう、ゆかしい集い。

 言の葉に祝福された民の幸せ、と云ってしまっていいのかどうか。いずれにしろ俳句は、日本人とは何か、どういう人種なのか、という事を考えるうえで避けられない要素である。

 当然の事ながら、捕虜だけでなく、前線の兵士たちも俳句を詠んだ。

 その白眉が、鈴木六林男の作品だろう。

 鈴木は、西東三鬼の弟子だった。

 三鬼に、戦争想望句というシリーズがある。

 戦争をテーマにした連作だが、実際に三鬼は前線にいたわけではない。

 けれど、鈴木は最前線で戦い、身体に一生、十数個の機関銃片を抱えて生きた。

逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ!       三鬼
負傷兵のしずかなる眼に夏の河   六林男

 想像と実体験の差、といった尺度ではとらえられない隔絶がここにはある。

 けして、三鬼が劣っている、と云うような事を私は云いたいわけではない。

 三鬼には三鬼の修羅があった事は、誰もが識る事だ。

 とはいえ、言葉の、調べの違いは何だろうか。

鈴木六林男 西東三鬼に師事した六林男(1919~2004)は、'71年に俳誌「花曜」を創刊した
 鈴木六林男は、大正八年九月、大阪府泉北郡山滝村(現・岸和田市)に生まれた。

 中学生時代から『京大俳句』に投稿し、西東三鬼に師事するようになった。

 山口高等商業学校(現・山口大学)に入学したが、昭和十五年、陸軍に応召し、中国大陸を転戦。

 一時期、肉攻班に配属されたこともあるという。肉攻とは、敵戦車に爆弾をもって肉薄攻撃をする部隊であった。

追撃兵向日葵の影を越え斃れ
新戦場寒き鉛筆を尖らする

 対米開戦とともに、フィリピンに転戦し、バターン・コレヒドール作戦に従事した。

 本間雅晴中将率いる第十四軍は、一月半でルソン島主要部を占領する予定だったが、ダグラス・マッカーサーの持久作戦に手こずり、多くの損害を強いられた。

 鈴木六林男の句作のハイライトは、やはりフィリピンでの作だろう。

弾道学負傷者笑い捕虜笑う
遺品あり岩波文庫阿部一族
夕焼へ墓標たてもう汗も出ない
水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり
射たれたりおれに見られておれの骨

 「射たれたり」の句について、六林男はこう語っている。「自分の骨見ても、肉屋へ行ったらよう売ってるわな。犬に喰わせる豚の骨なんか。あんなように骨見えてるわけやろ。そんなもん俳句としては、全然ええことあらへんわ。それでも、やらないかんときは、それでいく」(『花曜』昭和六十一年三月号)

 コレヒドール作戦により再度被弾、六林男は帰国を許された。

 移動を前に、一切のノート類を没収された。

 だが、六林男は、二年間に及ぶみずからの作句すべてを暗記し、無事、祖国に持ち帰る事が出来た。

 これもまた、俳句ならではの、利便性ということになるのだろうか。

 作家の真継伸彦は、六林男についてこう書いている。「鈴木六林男は、死と腐臭のみなぎるさなかで、倦怠感に押しふたがれる。彼はその時、不浄観を行じる僧のように、最も深く沈黙の実在に接していたのである。彼はしかし黙りこまない。襤縷と化して自己無化におもむく被爆者の群れが自ら語ろうとするように、この作家は、この絶望を、何としても語りたかったのである」(『鈴木六林男集 家賊』)

 晩年、六林男は栄誉に与った。現代俳句協会賞、蛇笏賞、現代俳句大賞を得て、大阪芸術大学の教授になった。平成十六年十二月、死去。

週刊現代」2012年7月14日号より

 

 
 
 

籠池夫婦の公判開始ー籠池氏は正直者で右翼思想から転向したのか?

Facebookで、籠池泰典氏を改心した正直者が否かという話題が盛り上がりました。

森友学園事件の本場で、一豊中市民として以下のような認識をしております。

籠池夫妻は基本的に日本の典型的な教育者、ないしはプチ知識人。
彼が簡単に商売のために使えると思った復古主義教育で躓くと、今度はそれに裏切られたとして関係者に叛旗を翻した。それは本当の信念としたわけではないが、しかし同時に信念にしたことも事実。利にさといため、その意味では自分を裏切った者を被害者意識から自己防衛するために告発する。

その文脈のなかで、事実をはっきりさせていこうという態度は評価できます。

少なくとも嘘を塗り固め、不都合な証言をする恐れのある関係者を飛ばし隠蔽する安倍総理やクズ官僚とは違うでしょう。

しかし、彼のキャラクターの興味の範囲で終始することで、籠池氏問題すなわち巷のオッサンが、簡単に右翼運動にのめり込んでしまうことは、なんやねん?と問われなければ、コトの本質に行き着かないのではないでしょうか。

彼の行動パターンは、ほとんど戦争をくぐりぬけだ時の日本人だといえる。反省の弁は、娘の幼稚園経営がいきずまったことの打開策であって、右翼思想に取り込まれた自己の内省はないまま、騙された私に移行してしまっている。

悪いのは安倍(軍部)、騙されていた私(国民)という認識への横滑りは、日本の進歩派の常套的思考パターンであり、自己内省をスルーする態度は得意技なのである。

だから、どちらかといえば、リベラル派や政権批判派が籠池氏を評価しているのです。

もちろん、ことの深層がどこにあったかは本人は理解している。駒として使い捨てされた自分の擁護としてしての言説であって、右翼思想に取り込まれたことへの反省はほとんどないとみて良いでしょう。「騙された」「知らぬうちに罪人にされた」という発言にほとんど終始しているのはそのためでしょう。それ自体は正当なもので、反安倍の行動も当然の抗議行動です。しかしそれ以上のものではない。

この人物に絡めた視点でみるなら参考になるのは、日本ファシズムの初期から強力に中核となって推進したのは、地方公務員、教育者、町内会長などプチ知識層=小権力者であったという点である。

いま全国の無数の「籠池」が涌いてジワジワ活動の幅を広げていることである。

コトの本質は、籠池をキャラによって反安倍の行動を支持することではなく、「籠池」にたやすくなってしまう精神構造である。キャラに撹乱されない冷徹な分析が大事だろうと思う。なぜなら、日本の進歩派は、加害の内省より被害の自己へ横滑りし、全体としてのエリート層を悪玉にする思考パターンを戦後民主主義として定式化した。今の自称リベラル派はその系譜であることにおいて、本当の危機は、右翼と同じくらい自称リベラル派が問題を抱えていることにもあることを確認することである。
反安倍という政府批判と、右翼思想の反省と離脱とは思想の問題として似て非なるものである。

安倍支持の陣営にだって、「反安倍」はいると、いざとなれば右翼自身が安倍を捨てるかもしれない。「反権力」だって、共産党のように正義の社会ファシズムを推進するかもしれない。

反省は、本質のところでなされなければ、右翼と自称リベラル派(戦後民主主義)との密通は深いところでは核を形成し、再び「戦後後」を作ってしまうだろう。

森康行監督『ワーカーズ被災地に起つ』鑑賞ーGoodです!

森康行監督『ワーカーズ被災地に起つ』を観ました。

最近は東北被災地の復興情報もなかなか報道されない。ボランティアはとうの昔に引き上げているだろう。その後は、被災者だけで取り組んでいるのだが、この映画は、われわれの知らないところで、静かに進行する地域の人々の未来へ向けた働き方と地域再生への取り組みをリアルに教えてくれました。

地域行政など素人なので、驚きをもってこの取り組みを観たのだが、これは成功するのではないかと思いました。

パンフにはこう説明されています。

「高度成長の終焉から半世紀。
急激な人口減少社会、ますます広がる貧困や格差は、否応なく私たちに様々な価値観の転換を求めています。
そんななか起きた2011年3月の東日本大地震ーそれは、被災地のみならず、いまを生きる私たちに、改めて"これから、どう生きていくのか"という問いを投げかけました。
本作は、これまで長きにわたり、競争、効率、自己責任⋯ではなく持続可能な社会への仕組みづくりを地域の人とともに模索・実践し続けてきたワーカーズコープ(共同労働の共同組合)による被災地での被災地の様子を2016年12月までの22ヶ月にわたって記録したものです。」

地域の人々が、自分達で事業を立ち上げ、労働者を確保し、経営も担う、という自主自律の協働を、被災後の空洞化した町や限界集落の村人たちが、障碍者や引きこもりと共生していく様子は、暖かく、観ていて希望を抱かせてくれます。

難しさも、失敗もあるのかもしれないが、ヨーロッパ発のこうした運動は、説得力があるし、集う人たちが生き生きとしていることが、日本での定着を確信させる。

この運動は、一般社団法人日本社会連帯機構とこが母体のようだが、行政の委託によるもののようだ。

実体はよく知らないのだが、それなりの運営資金はあるように見受けた。

たまにはこのような地味だが、大文字の正義ではなく火文字の未来に取り組む映画もいいものです。

森監督のトークショーもあって、かれの見るからに優しい風貌が、そのまま映画になっていたように感じました。

『出版人・広告人』2019.3月号、御礼と雑感

『出版人・広告人』拝受。今井照容さま、今月号もありがとうございました。
最初に中身をざっとみるのですが、今月自ずと目を吸い寄せてくれた記事がありました。

 

森詠さんの『振り返れば風』。

森さんの若かりし頃の週刊ポスト時代の滝田修パルチザン取材奮闘記です。


昨日十三のシアターセブンで土本典昭監督『パルチザン前史』を半世紀ぶりに観直しました。
半月にわたって、土本典昭特集を興業しているのです。

70年(大学4年生)に私が中心になって立ち上げた雑誌『表現』の創刊号に、土本がこの映画についての自解の短文を寄せてくれました。

岩波映画出身のドキュメンタリー監督が好きで、特に同志社の大先輩黒木和雄は最後まで交流しました。
将来の進路も漠然と彼らのような分野で仕事をしたいという気持ちは、大学を出てからも燻ぶっていました。

どこかにまだ土本の寄稿文は残っていますのでアップしてみましょう。

そんなタイムリーな森さんの記事でしたので面白く読みました。

そんな私事より、滝田修京大パルチザン五人組革命団のことです。
映画を観ても、感想は半世紀経てもまったく変わらない。
暗闇の中で、くぐもった嗤いを何度か噛み殺したものです。

武装闘争路線への「わが部隊」は、徹底的な批判を展開していたからです。「わが部隊」というのは、圧倒的多数派である関西ブントのなかの少数派=非ブントー60年ブントからの流れに接続しようとした法学部自治会、学術団からなる有志連合です。
詳細を述べると長くなりますので止めますが、滝田修や赤軍派塩見孝也の軍事路線には徹底した批判をしていたので、『パルチザン前史』の京大生たちのバカさ加減と、クソ真面目さにはもう笑うしかないのです。

映画の中のシーン。
鉄パイプをもって、五人一隊列で必死の形相でドラム缶を体当たりするのだが、そんなもので武装なのかよ。
それどこかで観たシーンだぞ、そうだ帝国陸軍初年兵が、中国人を銃剣で刺し殺す訓練そっくりではないか。

そもそも五人組ってなんだ、江戸時代じゃああるまい、などなど、赤軍派に繋がる軍事路線が、完全に国家権力論の間違いにあることは当時でもはっきりしていたのです。

特に赤軍派に極まった革命(大義)のために死ぬことの聖化は愚劣でした。キリスト教の終末論と復活ー宗教に転落していたのです。日本共産党のパロディーにすぎません。

そんなことを思い出しながら、しかしそこからほとんど進展していないという自戒も当然あるのですが。

ただ滝田の評価は、無駄な消耗戦、安っぽい官憲捕縛を戒め、極力持続的な闘争論をもっていた点です。

ここが既存党派、特に革共同などのパクられて箔がつくようなくだらない体質を超えていた点だと思います。

 

吉本隆明が指摘した、左翼が集団闘争に付きまとう負の封建遺制に堕ちこむなかで、党派としては滝田パルチザンと共産同叛旗派だけは、自覚的であったように個人的には観ていたのでした。

ただし誤解なきように。
こうした批判は、社会を少しでも良くしようと努力もせず、日常の生活保守に浸りきった人からは、私は断固として、パルチザン京大生の「ばかばかしい生真面目さ」を擁護します。
その真剣さとこの世の桎梏を破砕したいという意思と、権力への対峙は、どのような理屈をも寄せ付けない。
断固として擁護します。

 

話が長くなってしまいましたが、映画と森さんの記事がタイムリーでびっくりしたという話です。
森さんも「愉しい」仕事をされてきたのだなと、眩しく尊顔を思い起こしております。

山本太郎、「母親連盟」の擬制をはぐ。連帯を拒否!

山本太郎が、オカルト母親連盟に斬りこんだ。

このライブで見えてきたのは、母親連盟と倫理研究会を背後でコントロールしているのがあの日本会議である。

スピリチュアルと陰謀史観改憲へ向けたリンケージがピシッとはめこまれていることを、太郎は鋭く指摘。

本気で母親連盟の切り取りに動いた。

また政治スタンスを明瞭に打ち出して、現在の市民の政治取り組みの到達点を明瞭にした。

太郎は成長している、まだまだ伸びしろはある。

小沢一郎の下の政治家はみんな甘さの無い、理念をもちながら、なおかつ幅広い連帯をくみ上げていく「高品質」な政治家に成長している。

以下、西東京地区での講演ライブ、中盤から核心に入っていくので最後まで視聴されることを望みます。

 

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県民投票の辺野古埋め立て反対民意が明確になった、その翌朝にやることか!安倍総理よ!

県民投票の結果は、当然圧倒的に埋立反対、基地反対が多数を占めた。

その詳細は報道で確認できる。

しかし、通常の報道では目に触れずらい

翌朝の安倍一派と防衛施設庁の蛮行である。

ここには、安倍一派の精神異常が露呈しているといっていいだろう。

日本政府の終わりだ。

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