『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~』(代島治彦監督)観もせず感想を呟くwww

「私たちの時代の闘い方の欠陥が描かれている」元日本赤軍・重信房子も納得の“内ゲバ”映画の自問<新左翼運動は、なぜ道を誤ったのか?>(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

多分代島監督のことだから、しごく真面目に撮ったんだろうと思う。

彼は全共闘世代より少し遅れて、空虚な大学になったころの世代だ。この世代には全共闘にあこがれを持った内向の世代がいる。彼も何度か会ってみているうちにそんな一人ではないかと勝手に理解している。(違ってたらゴメン)

しかし、観ないうちからげんなりしている。

なぜかー姦しい宣伝に登場してくる著名人をみていると、私の気持ちは離れていく。

事後的言説はいつも正しく、真剣に当時も活動してニガニガしく党派のくだらなさを見ていたその他大勢の活動家の声は霧散させるからだ。せいぜいアンケートの1票としてデータ化されるのがいいところ。

ま、予断を持って書いた感想ーしかも観ずにwー軽口を以下に掲げておきましょう。

私はこの映画は観ても多分感動や感慨はないだろう。内ゲバ新左翼党派のオリジナルであるように多分描かれているのではないか?知らんけどー。日本の共産主義運動には、元祖日共の内ゲバが原型であり、ボルシェビズムを掲げたそのエピゴーネンはほとんどリンチ、内ゲバを胚胎させた。そこが描かれない作品は、どのようなものであれ全共闘運動は全て否定すべき運動だったという以後の政治的沈滞の責任を擦り付けた。ブルジョワメディア、小熊英二らカルチュラルスタディーズがこぞって日共にすり寄って、日共のゲバルトにふれず、黙認している。あれは、日共のコピーでありパロディーでしかない。そもそも内ゲバ当事者は普通の学生だったか?私の実感ではまず普通の学生なら党派などに入らない。党派にためらいもなくは入れる感性と知力はどこか欠陥があったとずーーーと思ってきた。そこが描けず、ステロタイプの普通の人間が大それたことをした、などと三流週刊誌並のシナリオなら好きにしてくれ、そういう俗悪さが、調子にのってリンチや内ゲバに走ったんだよ、と後世のために記しておこう。ほんまにそんな映画化どうか知らんけどー。多分見に行くと思うけど、若い奴らにも薦めるけどー。

(Facebookより転載)