籠池夫婦の公判開始ー籠池氏は正直者で右翼思想から転向したのか?

Facebookで、籠池泰典氏を改心した正直者が否かという話題が盛り上がりました。

森友学園事件の本場で、一豊中市民として以下のような認識をしております。

籠池夫妻は基本的に日本の典型的な教育者、ないしはプチ知識人。
彼が簡単に商売のために使えると思った復古主義教育で躓くと、今度はそれに裏切られたとして関係者に叛旗を翻した。それは本当の信念としたわけではないが、しかし同時に信念にしたことも事実。利にさといため、その意味では自分を裏切った者を被害者意識から自己防衛するために告発する。

その文脈のなかで、事実をはっきりさせていこうという態度は評価できます。

少なくとも嘘を塗り固め、不都合な証言をする恐れのある関係者を飛ばし隠蔽する安倍総理やクズ官僚とは違うでしょう。

しかし、彼のキャラクターの興味の範囲で終始することで、籠池氏問題すなわち巷のオッサンが、簡単に右翼運動にのめり込んでしまうことは、なんやねん?と問われなければ、コトの本質に行き着かないのではないでしょうか。

彼の行動パターンは、ほとんど戦争をくぐりぬけだ時の日本人だといえる。反省の弁は、娘の幼稚園経営がいきずまったことの打開策であって、右翼思想に取り込まれた自己の内省はないまま、騙された私に移行してしまっている。

悪いのは安倍(軍部)、騙されていた私(国民)という認識への横滑りは、日本の進歩派の常套的思考パターンであり、自己内省をスルーする態度は得意技なのである。

だから、どちらかといえば、リベラル派や政権批判派が籠池氏を評価しているのです。

もちろん、ことの深層がどこにあったかは本人は理解している。駒として使い捨てされた自分の擁護としてしての言説であって、右翼思想に取り込まれたことへの反省はほとんどないとみて良いでしょう。「騙された」「知らぬうちに罪人にされた」という発言にほとんど終始しているのはそのためでしょう。それ自体は正当なもので、反安倍の行動も当然の抗議行動です。しかしそれ以上のものではない。

この人物に絡めた視点でみるなら参考になるのは、日本ファシズムの初期から強力に中核となって推進したのは、地方公務員、教育者、町内会長などプチ知識層=小権力者であったという点である。

いま全国の無数の「籠池」が涌いてジワジワ活動の幅を広げていることである。

コトの本質は、籠池をキャラによって反安倍の行動を支持することではなく、「籠池」にたやすくなってしまう精神構造である。キャラに撹乱されない冷徹な分析が大事だろうと思う。なぜなら、日本の進歩派は、加害の内省より被害の自己へ横滑りし、全体としてのエリート層を悪玉にする思考パターンを戦後民主主義として定式化した。今の自称リベラル派はその系譜であることにおいて、本当の危機は、右翼と同じくらい自称リベラル派が問題を抱えていることにもあることを確認することである。
反安倍という政府批判と、右翼思想の反省と離脱とは思想の問題として似て非なるものである。

安倍支持の陣営にだって、「反安倍」はいると、いざとなれば右翼自身が安倍を捨てるかもしれない。「反権力」だって、共産党のように正義の社会ファシズムを推進するかもしれない。

反省は、本質のところでなされなければ、右翼と自称リベラル派(戦後民主主義)との密通は深いところでは核を形成し、再び「戦後後」を作ってしまうだろう。