■小沢一郎四億円家宅捜査事件の闇

またまた、小沢一郎への検察特捜部による姦計が進行している。
CIAの資金提供を受けていたA級戦犯岸信介の系譜に繋がる自民党議員は、森にしろ尾身にしろそのきな臭さには触手さえ伸ばさず、メディアも沈黙しまくり、自民党の二階などは全く聴取さえなかったように記憶している。


他方同じ保守でも田中角栄は、その日本独自路線を進め、拝米隷属派や利権官僚を無視して政治主導で走ったため、本人をはじめその系譜はことごとくCIAと拝米従属派官僚検察に狙われ潰されてきた。


わたしは、法を守らなくてもいいなどというつもりは毛頭ないが、特捜のあまりに露骨な「政敵潰し」に加担した不公平な振る舞いに失望している。


また小沢を擁護する人達のようにスパイもどきの物語にしたり、あるいは小沢に敵対するエセ保守・右翼イデオローグのように政策競争や選挙勝負ではなくただの政権潰しが政治だと誤解している愚者を、まともに相手にするつもりもない。


政治に権力闘争はつきものではあるが、主に誰のための権力か、何処に政策の公準を設定する政権か、という本質的問題を抜きには語れないし語ってはいけないはずである。


その意味では、鳩山総理の記者会見での「国民のための政治を原点に還って進める」というコメントは的を射たものであった。


ここまで、特捜のしつこい小沢潰しは、元検事の堀田がいみじくも以前得々と述べていたが、一罰百戒という検察の内部の慣例にのっとっているものであり、検察の恣意的な捜査対象の選定と不公平な捜査を平然とすることを、検察自らが白状してしまっている。


民主党政権が現実的に取りざたされ始めた自民党政権末期からの検察の動きを追う程に、検察が国民が期待していた正義や公平性を体現などしておらず、ただの官僚の「正義利権」の保守主義者でしかないことに愕然としている。


国家権力がその実態(暴力)を顕にするのは、みずからの権力が相対的に弱まって危機に瀕したときであるが、今エリート官僚と自民党との無言の棲み分けで我が物顔に振舞えた時代ではなくなりつつあるということなのだろうか。


恣意的に「正義」を運用してもどこからも咎められず、責任を追及できないのが検察特捜部である。かつての帝国陸軍と酷似する官僚組織。


ではわたしたち国民にとって、政治資金問題が政治過程においていかなる意味をもっているのか、また理想としても進まない個人献金システムまでの過渡期をどう考えておいたらよいのか、以前思想家三上治氏の論評をお借りして掲載したが、ここにまた改めて再掲載し、一考の道標にさせていただく。

三上治「小雨降って、地崩れず」
http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20090826/1251294534

何度読んでも、三上氏の深さが光っている。