天皇陛下の国民へのビデオレター雑感

天皇陛下が、マスコミ経由では編集されたり、部分切り取りもあり、本意を十全に伝えられないと、ビデオレターで国民に直接語りかけた。
天皇も昨今のマスコミがいかにひどいかよく認識している。

天皇陛下お気持ち表明」(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor/

このビデオのポイントは、生前退位は一言もはいっていないが、主旨は生前退位を検討し、国民に理解を求めている点だ。

①自分なり憲法に沿って象徴天皇のあり方を作ってきた。これを下手に縮小したりすることはできない。また私の努力を否定しないでくれ。

②摂政は、どっちみち天皇そのものがひとりの権威としてなさなければならず、摂政で済むものではないと。
これは大正天皇と摂政昭和天皇の二重権力状態をよく知っていて、内紛のもとになるということを危惧している。

③「象徴天皇制」を安定的に存続するように願っている。それは国民とともにあり、国民に期待に応える天皇の努力義務もあるのだと述べている。

天皇崩御に伴う葬儀と新天皇準備で我々も関係者も大変なのだ、もっとスムースに引き継ぎができるようにして欲しい。
これは皇太子皇太子妃のことを想うと、親としてちゃんとしておいてやりたいのだということだろう。特に病気の雅子妃への配慮だろう。

さて、この短い選び抜いた論理的かつ思想的言語表現から受け取れることは誠に深い意味と誠実さが発せられている。
昨今の政治家たちの意味不明な言葉の使い方ではない。現天皇の知性が際立っている。

国民が読み取るべきことは次のようなものだろう。
(1)象徴天皇の仕事は、天皇という「職能」として「仕事の体系」である、と言い切っている点である。
だから、仕事として「定年」を設けて欲しい。
天皇は人間である。一種の「平成天皇機関説」であると。

(2)象徴天皇制とは、国民とともにあり、天皇と国民は相思相愛であるべきである。「国事」と違い「公務」は、天皇が自分で考えてこなしていく領域で、最も天皇天皇としての考え表現できる領域だ。そこを政府などに勝手に減らしたり、意味の有無に手を突っ込んで欲しくないと述べている。

ここは重要なことで、象徴天皇制を積極的に肯定し、安倍政権の企図している明治憲法へ戻して、「国家元首」という絶対権力者に天皇をすることに反対だという意を含ませている。この辺りはよく考え抜かれ、練られた言い回しである。

上(自民党改憲
下(現行憲法
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

第二条 皇位は、世襲のものであって国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第五条 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政の権能を有しない。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任ほ負う。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。

以上関係する部分を対比した。
ミソは、「元首」規定と、「内閣の責任」部分をはずしてしまったところだ。
「元首」だと国家の統合の最終権力をもつことだ。国民主権の元首ではことばの矛盾となる。
ただこれは吉田茂が不満で、憲法公布後、国事行為に規定のない在外大使の着任拝謁を仕事に滑り込ませ、対外的には現行憲法下でも対外的には「元首」となっている。

「内閣の責任」をすべて外し、権能がないのだから時の政権が利用したいときは、好きなように利用し、天皇はだまって従えと規定している。その変わり内閣は責任は一切負わないと。
更に、改憲五条は、現行の第四条「行為のみ」をとって、国事「行為をおこなう」としている点は、場合によれば定めた国事行為以外にも時の政権が恣意的に天皇には仕事してもらうこともありますよ、と含意していることだ。
危惧されるのは、天皇が在野の政治団体と図って政治活動しても内閣に責任はない。裏をかえせば、天皇が軍部と図ってクーデターを起こしても、国民の代表として行政を委託している内閣に責任はないと。あるいは、天皇の名のもとに、時の内閣閣僚がクーデターをしても責任はないのだと。

これは明治憲法下で天皇の名で戦争を行った、「統帥権の陥穽」を思わせる。天皇統帥権は、だれもどこの機関もチェックできず、議会から独立していた。国民のチェックがきかなかったのである。理由は「元首」だから、国民は支配する臣民であって、天皇をチェックするなど構造上ありえないのである。

明らかに、天皇生前退位という実質的問題ではありながら、天皇自民党改憲には抵抗しているということと解釈してよいだろう。
事実、この後の安倍総理の記者会見は短く、言葉を述べた後ぷすっと誰がみても忌々しいというそっけない態度で、あっというまにそそくさと出て行った。

天皇は、国民に誠実にボールを投げた。
天皇が誠実に国民のことを想っている割には、エゴと欲望の俗情を生きて、この国の未来などどうでもよいと、思考停止して与党にすがっている国民が大半だ。

ボールは国民の手の中にある。

なお、天皇制度については、個人的にはまた別の考えをもっているが今回はズレるので控える。

ただ天皇にも人権を与えよという文化左翼エピゴーネンが主張しているが、基本的には異存はないが、それには高いハードルがある。
人権思想は、民主制を前提に、メンバーシップの平等が原理論として措定されている。天皇の地位のままでは論理的に許されない。人権に特別な存在は許されない。

私の考えは、象徴天皇という半「あらひと神」を止めて、皇室が民間に根ずく方向性を天皇自らが希求することである。
天皇はヨーロッパの王家をモデルとしていると聞く。ならば、同様に民間の財団でももって自ら財産を管理し自活し、民間のなかの伝統的皇室というポジションを確保することである。
憲法には、祭祀の領域だけを規定し、現在の国事行為も公的業務も外すことである。
そして人権も発言の自由も国民と同等に承認してもらうことだ。
しかし天皇のレターでは「象徴天皇が安寧に続くことを願っている」と述べているので、これは100年先の課題かもしれないが、その時は必ずやってくると予感する。