(続)池田浩士講演録『ヴァイマル憲法がなぜナチズム支配を生んだのか?』第2部

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第2部(2013.11.16土)

5. なぜ、これが「ヴァイマル憲法」のもとで可能だったのか?

私たちの常識の中では「悪」としてしか思い描けないといっても過言ではないヒトラー・ナチズムが、これまた私たちの常識では人類史上最も民主主義的な憲法であるとして思い描かれている「ヴァイマル憲法」のもとで、いったいなぜ「国民」の支持を獲得して政権の座に就いたのか、その「国民」の支持の根拠については概略をお話ししましたが、次にその「ヴァイマル憲法」そのものについて、その憲法とはどういうものであったのか、ごく簡単に見ておきたいと思います。

ヴァイマル憲法のもとでの選挙はさっき言いいましたように可能な限り客観的で公正な選挙だったんですけれども、その選挙制度以外についてヴァイマル憲法というのは一体どんなものだったんだろうかというと、これはもう法律の専門家でご存じの方ばかりのところでお話するようなことになるんですが、本当にさまざまな自由とそれから民主主義的な権利を保障した憲法でした。ヴァイマル憲法以前の憲法というのは、基本的に国家の中での権力の均衡、権力の配分を定めて、為政者の内部紛争が起こらないようにするためにもともとつくられたものなんですが、特にドイツでは中世以来の小国分立だったのでそうだったんですが、ヴァイマル憲法は初めてしっかりと国民の基本的な諸権利を保証し義務を明文化しました。たとえば司法における少数民族の言語、教育における少数民族の言語、これが保障されました。官憲による取り調べのときも、少数言語を使っている被疑者は自分の言語で取り調べることを要求することができました。小学校から全部、民族言語で教育を受けることができました。このほか基本的人権として私たちが知っているものはすべて保障されました。差別の撤廃が憲法の条文に明文化されました。

私が一番感動的だと思ったのが、資料⑥の条項です。ヴァイマル憲法第109条(平等の原則、同等の権利・称号・勲章)というところで、「すべてのドイツ人は法の前に平等である。男女は原則的に同一の国民的権利および義務を有する。出自もしくは地位による公法上の特権もしくは不利益は廃止されねばならない。貴族の称号は、氏名の一部としてのみ認められるが、今後は授与されてはならない。」 これは、ヘルベルト・フォン・カラヤンとか、あるいは、リッター・フォン何々とかいう名字の人もいるんですが、そういう貴族の称号である「フォン」とか、「騎士」を意味する「リッター」とかいうのは、氏名の一部としてだけ認められる。そしてそういう貴族の呼称は今後は授与されてはならない。それから、「称号は、それが官職もしくは職業を表わす場合にのみ授与することが許される。大学における位階はこれに抵触しない。」 この称号というのは、ちょっといまの日本では少し意識しづらいんですが、昔、封建時代には、というか明治憲法下ではたとえば「枢密顧問官」というのがいたんですね。天皇の顧問、相談役になる人の称号です。この枢密顧問官はドイツにもあったんですが、これは一遍なると退職しても枢密顧問官という称号は変わらなかったんです。だから、職業名というわけではなかった。日本で似たような例を考えてみたんですが、例えば判事、これ判事補というのがありますよね。だから、判事というのは職業名じゃないですよね。職業名は裁判官でしょうか。称号と言うのは、日本では資格というのと重なっているんですね。司法書士とか、税理士とか、公認会計士とか、そういうものと。だから、ヴァイマル憲法ではそういう称号は職業や官職の表示としてだけ認められる。「大学における位階はこれに抵触しない」、これが問題ですね。こんなことを何で認めたんだ、というのが私の批判です。大学では教員というのは職業名ですが、いわゆる国公立には教育職などの呼び名があり、これは官職名です。ところが、教授、准教授、講師、これらは職業名じゃないんです。これは称号です。だけど、大学だけはよろしいよというのですね。だから、ドイツでもまだそういう差別があるわけです。何か自分が差別的な位置にいたくせに言うのは恥ずかしいですね。

次ですね、私が一番感動したのは。「勲章および栄誉賞は国家によって授与されてはならない。」 紫綬褒章とか文化勲章金鵄勲章はもちろんですが、国民栄誉賞、そういうものを国が授与するのはだめだというのです。もっとすごいです。「いかなるドイツ人も外国政府から称号もしくは勲章を受けてはならない。」 これが、すべての国民は平等だということですよね。あいつは従三位だったけど、おれは従五位だったとか、叙勲を受けたじいさんが言ってるそうですけども。そういうことで人間は差別されない、国家は国民を差別してはならないし、国民は外国政府が行なう差別選別にも加担してはならない。これが究極のヴァイマル憲法の精神だと思います。その精神の上に立ったヴァイマル憲法がナチズムを生んだ。こう考えると、その問題の深刻さは一層深くなります。

この憲法の問題の第一は、「大統領緊急令」でした。資料⑦の大統領緊急令条項(安寧秩序の破壊にさいしての処置)というのがヴァイマル憲法第48条にあったのです。この条項は長いので簡単に概略を言いますと、「ドイツ国において公共の安寧秩序が著しく妨げられもしくは破壊されたときには、大統領は武力を行使してそれに対応することができる。そのさい必要なら、基本的人権を保障する憲法の諸条項を一部または全部、停止することができる。」 これで、集会結社の自由も、通信の秘密も、思想信条の自由も、居住の自由も一時停止されることができた。つまり、事実上の戒厳令状態、国家権力による無法状態が可能になった。これが、憲法で認められていた。しばしばこれによって一番弾圧されたのはナチ党と共産党です。一番過激なところがこれで弾圧されました。

こういう例外条項があったので、本当の意味での民主主義的な権利は土壇場では保証されなくなる可能性があったということです。さらに、それに追い打ちをかけたのが、政権を掌握したヒトラーがついに憲法そのものに加えた致命的な打撃でした。過半数に満たないナチ党が政権をとって、解散して1933年3月5日に総選挙を行ない、多数党になろうと思ったのにそれでもなれなくて、最後の切り札として「全権委任法」という法律を上程し、3月23日にこれを国会で強行可決する、という歴史的な出来事が起こりました・

さてそこで、麻生発言がまったくのウソであることを物語る事態をヒトラーは現出させます。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった」などというのは、全く事実無根のウソであり、麻生という人物の願望夢でしかないのです。現実には、すでに3月5日の選挙を前にして、国会議事堂の放火事件をでっち上げ、さきほど名前を挙げたゲーリングが仕組んだナチスの犯行だったのを共産党の仕業だといって、共産党を非合法化し、選挙に立候補していた共産党の候補者全員を指名手配しました。こうして、候補者が地上にあらわれると即時逮捕されますから地下でしかできなかった選挙戦で、共産党は何と12.3%、81議席を獲得したんです。しかし、この81人の新たに選ばれた国会議員は、一度も国会に登院することはできなかった。亡命するか地下活動をひそかに続けるか。社会民主党も120人を獲得しましたが、このうちのかなりの部分は指名手配中、いろんな口実を設けてという状態で、文字どおりテロリズム選挙をやったんですが、それでも過半数はとれなかったんですね。そこでヒトラーは、選挙後に召集された国会に、「全権委任法」という法律を上程します。それが1933年3月23日に強行採決される。重要議題なので、議席総数の3分の2の出席を定足数とし、出席議員の3分の2の賛成で可決となります。ところが、ナチ党は3分の2に足りない。そこで、出席できるはずがない共産党議員を議席総数から削除して定足数が足りるようにし、抗議して退席した野党の議員を出席者から外し、さらには国会議長でもあったゲーリングが議長席から双眼鏡で議場内の野党議員の顔つきやそぶりを監視して威嚇脅迫することまでやって、カトリック中央党などの野党を屈服させ、この「全権委任法」を強行成立させました。法律はすぐに翌日、3月24日に施行されました。

翌日効力を発したこの法律は、なんと、立法府としての国会の役割と権限をすべて剥奪し、ヒトラー政府に国家の全権を事実上掌握させるものだったのです。資料⑧に記したとおり、要点を言えば、「法律は政府が制定する」、つまり文字通り立法府の役割を国会は放棄させられたわけですね。「国家予算の編成と執行は政府が行なう」、つまり国会の予算審議と決算チェックの権限を剥奪する。そしてさらに、「外国との条約は、政府が締結する」、つまり、国会での審議や議決を必要としなくなり、どの国にもある国会での条約「批准」ということもなくされたのです。そして、「政府によって決定される法律は、国会と州代表委員会の構成そのものを対象としないかぎり、憲法から逸脱ことができる」という条項。

法律の制定や、国家の予算の編成および執行や、外国との条約締結は政府によって行なわれ、国会での審議及び議決を要しない。だって、法律をつくるから国会は立法府なんですね。国家予算の審議とチェックが大切だから、日本の衆議院でも参議院でも予算委員会と決算委員会というのは物すごく重要な権限を持っていて、しばしばニュースをにぎわすわけです。外国との条約は国会の批准がなければ、双方ともに効力を発揮することができないというのは国際的な通則ですよね。それを政府だけでできるようにした。さらにもう一つ、決定的な追い打ち。もともと小国分立状態だったのがようやく1871年プロイセンによって統一された新興国家であるドイツでは、バイエルンとかザクセンとかの旧独立国だった各州の権利が非常に強かったので、州代表委員会というのが国会とは別に政治機関としてあったんですが、国会とこれとの構成そのものを対象としない限り、政府によって決定される法律は憲法から逸脱することができる、ということにされました。これでは憲法は何のためにあるのか。憲法から逸脱する法律をつくることをあらかじめ許された政府なんです、ヒトラーの政府は。したがって、ユダヤ人差別のいわゆる「ニュルンベルク法」、正式名称によれば「ドイツ人の血と名誉を保護するための法律」ならびに「ドイツ国籍法」、ユダヤ人をドイツ国民とは認めないこれらの法律、強制収容所ガス室というのもこれらの法律に基づいて、これらの法律の帰結として、いわば合法的に行なわれたわけですが、これら人類史上最悪の法律も、国会でではなく、1935年9月のナチ党の全国党大会で、原案が読み上げられて、そこに参加した何十万人もの党員たちがろくろく聞こえもしなかったのに「ハイル・ヒトラー」と叫んだら、それで法律は可決されて、政府が施行することができた、こういう時代が始まっていきます。

つまり、「全権委任法」の強行成立によって、ヒトラー政府は憲法に反する法律を勝手に作ることができるようになった。ヴァイマル憲法は、かたちのうえではナチス・ドイツの崩壊まで存続したのですが、事実上ここで死んだわけです。このような大騒動の中で、ヒトラーの権力は確立されました。「ナチス憲法」なるものがヴァイマル憲法に代わって制定されたのではないというだけではなく、「だれも気づかないで変わった」などとはまったくとんでもないという点で、麻生発言はまったくのデマゴギーであるわけです。あの発言は、これから自分たちが、自民・公明の政府与党が、現在の憲法を改悪し、「戦争のできる国」からいよいよ「戦争をする国」へとこの国家社会を変えていくさいに、それが「国民」の大反対を呼び起こしてしまっては困る、だれも気づかないうちに変わったということにしたい、という麻生や安倍や菅(すが)や石破たちの思いを、正直に述べたものだと私は思います。

ナチス・ドイツでは、こうして国会が有名無実となり、機能を果たす必要がなくなったので、それ以後は国会選挙は行なわれませんでした。その代り、ヒトラーは政府が重要な決定を実行するごとに「国民投票」によって賛否を問い、政府に対する信認を確認するという手続きを行ないます。ナチス・ドイツの崩壊までに合計4回の国民投票が実施されましたが、その結果は資料⑤に記したとおりです。それぞれの重要なチェックポイントで、このような国民投票が行なわれ、そのたびにヒトラーの政策実行は極めて高い支持率で支持されていったというのが、ナチス時代です。この数値は、先ほどお話しした「あの時代はよかった」という戦後になってからの体験者の回想と、ぴったり一致しているのですね。

こうした歴史の現実を振り返るにつけても、あの麻生発言をもう一度だけ思い起こさなければならないと思います。麻生は物議をかもしたあの発言、今年7月29日の東京都内でのシンポジウムでの発言の中で、こういうことを言っています、「そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって」、以下略します。

残念ながらと言うべきでしょうか、「憲法はよくても、そういうこと」、つまりナチズムの支配が生まれるということは、「ありうる」のです。いや、現実にありえたのです。そして、格言は昔から「歴史はくりかえす」と教えているのです。そうだとすれば、いったい憲法は、すくなくともヴァイマル憲法のように人間の権利、基本的人権を明確に定めた近代憲法は、いったいなんのためにあるのだろうか。これをあらためて問わないわけにいかないと私は思います。

6. では、憲法はなんのためにあるのか?――憲法学者ではない視線で

しばしば言われることですが、というより、いまの「日本国憲法」を守ろうとする人たちがしばしば指摘することですが、憲法とは政治権力つまり政府に「国民」の権利や福利や安全を守る義務を負わせるものだというのが、おそらく一般的な観念でしょうし、もちろん私も基本的にはこの見解に賛成です。憲法や法律については門外漢でも、政治権力の均衡や配分の協定にほかならない19世紀以前のヨーロッパの憲法と、現在の各国憲法とを比べて読めば、「国民」の権利、もちろん義務もですが、人間としての権利を明確に定め、それの保障と擁護を国家に義務付けるのが現代憲法の主旨であることは、明確だと思います。――では、「国民」の側にとって憲法とは何なんだろうか? 憲法は「国民」にどんな義務を課しているのだろうか? いやでも「国民」とされてしまっている「私」は、憲法に対してどのような位置にあり、どのような義務があるのだろうか? この義務というのは、親が子の教育の義務を負うとか、納税の義務が国民に課せられているとかいう意味での、憲法が定めるそういう直接的な義務のことではありません。私たち自身は憲法そのものに対してどんな義務と責任を負っているのか、ということです。

麻生発言が述べたように、ヴァイマル憲法というすぐれた憲法のもとで、あのナチスの支配が生まれました。ヒトラーの権力掌握を許したヴァイマル憲法には、さきほどお話ししたような弱点が明らかにあったわけですね。しかし、ヴァイマル憲法の弱点は「憲法」というものの限界なのかもしれない、と私は思うのです。どんなにすぐれたものであれ、憲法には限界があるということです。ここから、憲法に対する私たちの側の責任と義務が生じると私は思います。月次(つきなみ)な言い方になりますが、私たちこそが憲法を生かす主体です。憲法を生かす主体がだめなときは、憲法は限界をさらけ出すしかないわけです。そして、すぐれた憲法があるとして、その憲法を生かすのは、政府権力ではなく、私たちです。それなのに、憲法が危機にさらされると、私たちは「憲法を守れ!」と叫んできた。大切なことは、憲法を守ることではなく、また国家権力に憲法を守れと要求することではなく、あるいはそうすることにも増して、大切なのは憲法を「生かす」ことではないのか。「この平和憲法を世界に広げよう!」というスローガンがありましたが、私たち自身によって生かされていない憲法をどうして世界に広げるのか、そんな無責任なことがどうしてできるのか。安倍という政治屋は、自分のところの原発破局さえ制御できないのに、外国に原発を売りつけようという文字通りの死の商人を実行しています。私たちもそれと同じことをするのか。自分が生かしていない憲法を世界に広める。これはこの憲法に対する二重の裏切りではないのか。

私は、このたびの麻生発言、麻生妄言は、憲法を生かすことができてこなかった私たちへの痛烈な批判でもあると思います。麻生という政治屋は単に歴史に無知であり、歴史意識が欠如しているために、あのような世間の物笑いになるような発言をしたに過ぎないのですが、その発言の内容は私たちが真剣に私たち自身を省みる手がかりを与えてくれる、と私は思います。憲法はなんのためにあるのかという問題を考えるうえでも、あのめちゃくちゃな発言は笑って済ましてしまってはならないのではないか。

麻生発言は、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述べて、歴史的な無知を嘲笑されました。この発言が現実に即していないことは、ここでも先ほどお話ししたとおりです。歴史の現実を知る人びとは、麻生発言を笑うと同時に、ヴァイマル憲法が事実上骨抜きにされていったんだということを噛みしめて、そのような歴史を繰り返してはならないと考えるでしょう。あのドイツの轍を踏んではいけないと自らを戒めるでしょう。では、あのドイツの轍を踏んではいけない、というのが、私たちの歴史認識なのだろうか。あれは、ヴァイマル・ドイツが生み出した歴史の悲劇なのか。――だって、日本国憲法のもとで自民党および現在は公明党も含めて、ずっとやってきたじゃないですか。第9条があり、それに先立つ前文があるのに、どうして日本には世界第3位の戦力といわれる国防軍があるんですか。つまり自衛隊があるんですか。「自衛隊法」があるからですね。

ナチスの場合は、まだ、政府がこの憲法に反する法律をつくることができると定めた「全権委任法」という法律を、曲がりなりにも国会で議決してるでしょう。日本ではしてないじゃないですか。憲法に反する法律をつくってもいいなんて議決を一遍もしてないのに、自衛隊があり、さらには、憲法の規定では言論の自由があり、思想信条の自由があり、報道の自由があるのに、あらゆる基本的人権があるのに、「特定秘密保護法」という憲法に真っ向から反する法律を、今の憲法のもとで、私たちの政府が、私たちと言うのもけったくそ悪いですが、私たちの政府はつくろうとしてるじゃないですか。ナチス・ドイツをなぜ私たちは批判したり笑ったりすることができるんだろうか。つまり私たちの歴史認識はこれをナチス・ドイツに向けるだけではなくて、日本の歴史に、それももちろん侵略戦争の歴史、戦争責任、植民地支配の歴史に向けなければならないけれども、それだけではなく、私たちの近い過去である歴史、いま生きている私たち自身が生きてきた歴史にも向けなければならないというふうに、私は思います。これが、私たちの憲法に対する責任であり、私たち自身が憲法を生かす第一歩なのではないだろうか。

7. 「戦争放棄」「戦力不保持」について、あらためて考えてみる

最後に、法律の専門家がたくさんおられるところで、法律の素人が、きょう本当に一番言いたかったことを私の個人的な思いとして、これから後の討論のための問題提起の一つとして、話させていただきたいと思います。

今の安倍政権と呼ばれる政権は、よく私たちがいうように「戦争のできる国家」をつくろうとしているんではなくて、「戦争をする国家」をつくろうとしている。いよいよ戦争をする国家をつくろうとしている段階だと思います。その中で生きる私たちが考えたいことがあります。戦争のことです。それは、ヴァイマル憲法のような憲法があったのに、初めから、政権獲得の当初から、戦争を、しかも侵略戦争を予定した政権がヒトラー政権として出発した、あのドイツの過去をもう一度念頭に置きながら考えたいことですが、端的に言うと「戦争というのは何だろうか」ということです。

まず言いたいことは、少なくとも19世紀の後期以来、あらゆる戦争は「平和」のために行なわれてきました。平和を実現するために、平和を保障するために、戦争をすると。「国連平和維持軍」の戦争行為、侵略行為がまさにそれですけれども、あらゆる宣戦布告の文章、大日本帝国の文章を読み直しても、天皇が常に言っているのは、「東亜永遠の平和のためにやむを得ず戦争をする」というんですね。つまり、平和のために戦争をするというのは、アメリカを始めあらゆる世界の政府が言うことです。

じゃ、戦争によって平和が実現できるのかというと、少なくとも私はそんなものはできるはずがないと思ってますが、いろんな説があるでしょう。じゃ、そもそも戦争というのは何なんだろうというので、非常に古典的な定義を引っ張り出してきました。1832年に、プロイセンつまりドイツの前身、プロイセンの軍人だったカール・フォン・クラウゼヴィッツという軍人が書き遺した『戦争論』という本が出版されました。彼がその前の年、1831年に死んだ後、彼のお連れあいによって翌年32年に出版されました。日本でも森?外が最初に翻訳したのを始め、何度も翻訳がなされていて岩波文庫にも入っていますが、この本の中でクラウゼヴィッツは、「戦争とは政治的行為である」ということを確認したうえで、「戦争とは、別の手段をもってなされる政治の継続である」という有名な言葉を記しているんです。つまり、政治ではもうだめだから戦争に訴えよう、政治の手に負えないからもうここで腹をくくって戦争しよう、というんじゃないんです。政治と戦争に区分はない、政治の延長が戦争だ、逆でもいいです、戦争は政治の延長なんだ。

同じような観点を別の角度から、実は有名な無政府主義者であった大杉栄も1915年、第一次世界大戦の最中に書いています。ディキンソンというイギリスの政治学者の著書を引き合いに出して、「政府というものが政治を行なう限り戦争は避けることができない」という意味のことを、大杉栄はとても力説したことがあるんですね。「本来国家は、他国を侵害して無限に膨張すべき約束を持っている」、「国家と国家とは生まれながらの敵である。したがって戦争は永久の必要である」とディキンソンは書いていて、しかし国家というのは「一種の虚構的抽象」に過ぎないのであって、「実在するのはただ国民だけである」と言います。だから、「実在としての国民を念頭に置いて考えれば、侵略戦争を是認し必要とする理由もなくなり、従って当然、防衛戦争の必要も是認もなくなる」というのがディキンソンの結論でした。これに対して大杉栄は、国家は「虚構的抽象」ではなく階級支配の形式・制度であるということ、そして戦争は資本家階級に莫大な利益をもたらす、「そればかりでなく戦争は資本家制度の必然の結果である」と指摘します。そしてさらに、「国民を実在とする国家は、もはや国家ではないのだ。征服者と被征服者との区別を絶滅した社会には、もはや国家も政府も何の必要もないのだ」と言うのです。

つまり、先ほどのクラウゼヴィッツの説と、ディキンソンと対決したこの大杉栄の説とを手がかりにして考えるなら、政府、政治の当局者、国民から委託されてと言いたいでしょう、政治を実際に行なっている政治家が行なう任務である政治は、その政治の延長としてこれまでの政治とは違う手段による政治、つまり戦争を行なう。だから、戦争がこれまでと違う方法の政治である以上、「国家」があり国家による「政治」という形での国民支配があるかぎり、「政治の延長としての戦争」はなくならない、ということになります。これまでの歴史を振り返るかぎり、私もまたそう思うのです。「政治」として私たちが当然視しているものは、その継続としての「戦争」を、本質的に内包しているわけですね。そして国家は政治によって運営されているわけですから、誤解を招く危険を冒して敢えて言うなら、「戦争をしない国家」は政治の本質に反するのですね。

8. 「日本国憲法」が秘めている窮極の理念とは・・・

そうすると――ここから、法律の門外漢、素人の話です。いったい日本国憲法というのは何のためにあるんだろう。ここにおられる方のほとんどが、専門的な言葉は使えませんので簡単に言うと、先ほど申し上げたように、憲法というのは国民に義務を課したものではなくて、何よりも政治当局者、つまり政治権力を担当しているものを縛るために、彼らに義務づけるために、基本的人権守れよ、言論の自由を大切にしろよ、それから兵力を持つなよ、これ全部、政府に対して、つまり政治当局者に対して義務を負わせるものだと、一般には言われているんですね。じゃ、私たち国民には義務がないのかという先ほどの話とも関連するんですが、もしそうだとすれば、政治の延長が今までの政治とは別の方法で行なう政治であるところの戦争だとしたら、日本国憲法というのはおかしいじゃないですか。日本国憲法というのは、政治を縛るためにあるのに、その政治に向かって、政治の一方法である戦争をするなと言ったって、だって戦争というのは政治の一方法なんだから。アメリカを見ればわかるでしょう。支持率が低くなったら大統領は戦争するじゃないですか。日本だっていよいよやるじゃないですか。尖閣諸島竹島、これ彼らは「戦争する」とは言ってないでしょう。今の日中間の、ないしは日韓間のこのどうにもならない政治というのを、まさに政治によって処理するために、何万人も動員して上陸作戦を自衛隊にやらせているわけです。だから政治ですよ、戦争というのは。

そうしたら、戦争を禁止する憲法というのは、これは論理的にあり得ないんです。政治を禁止するわけですから。日本国憲法というのはあり得ない憲法ですね。世界でただ一つの9条を広げましょうなんて、のんきなことではなくて、こんなものは人類のまだ世界共産主義共和国であれ、何共和国でも何でもいいですが、世界共和国ができている以前にこういう憲法があったら、これは政治はできないんです。そうじゃないですか。さて、これは私はここにいらっしゃる法律の先生方に後でこういう論理はいいんですかと伺いたいので言ってるわけです。そんな憲法を私たちは持ってしまっている。これはとてつもない責任ですね。

そうしたらどうするか。まず、政府をなくすしかない。政治をする政府。政治の専門家集団である実行者である政府をなくす。そのためには、特別の技術者である政治家は要らない。歴史認識とは無縁な政治屋は要らない。もちろん、政治的利用しかされない天皇や皇族、天皇制は要らない。当然、「直訴」の対象としての天皇も要らない。私たちを超越した力を持つ存在など、私たちには必要ないし、そのような存在を私たちは認めない。そのかわり、民主主義の実践者である私たちが、私たちの直接民主主義としてこの社会を運営していく義務が、私たちにはあるということです。言葉では、いままでしばしば直接民主主義を小さな関係の中でつくろう、と言われてきました。池田は外で何か偉そうな格好いい民主主義とか言ってるけど、うちのなかでは女性差別者じゃないかとか今まで男は皆言われてきたわけですね。特に労働組合の幹部などがそう言われてきたわけですが。だから、身近な関係の中で本当の対等と平等と自由と、そしてできれば友愛を実現しようという義務が、この憲法をもしも本当に生かそうとしたら、あらためて問われざるを得ない。どっちを生かすのか。政治のほうを生かすのか、戦争をしないほうを生かすのか、政治のほうを生かすのであれば政治家に委ねて戦争まで任せればいい。でも、私たちが本当に日本国憲法で一番大事なものの一つ、もっとたくさん大事なものがありますが、一つだと思っている戦争放棄と軍事力不保持ということを、兵力不保持ということを実現しようとしたら、私たちは政治をなくすしかないんですよね。専門家集団に委ねる政治を失くすしかない。そういうようなことを、きょう考えてまいりました。

ナチス・ドイツでやはり一番問題だったのは、ヴァイマル時代にも国防軍がしっかりとあったことでした。国防軍というのは、日本語に訳すと自衛隊です。防衛のための軍隊、ヴェーアマハトというのですが、ヴァイマル時代の国防軍は、まさに日本語に訳せば自衛隊なんですが、こういうものがありました。したがって、ヴァイマル憲法の最大の弱点、あるいは本質的な限界は、「大統領緊急令」条項である以前に、軍事力があったということですね。戦争のための軍隊があるのだから、政治家は次の政治、別の方法である政治までできたわけです。ですから、安心してヒトラーは自分の権力を好き勝手に信念を持って力強い指導者として行使しました。

そういう力強い指導者も、そのような政治的な信念も、まったく必要ない、私たち自身がどのような社会を作りたいのか、どんな社会で、どんな人間関係の中で生きたいのか――これが、いまあらためて私たちの出発点であり原点であると思います。現状を追認するのではなく、別の現実を求めることが、いまのこの現実を生きる私たちの歴史的責任だと、私は思います。では、私たちはどんな別の現実を求めるのか。もしも戦争放棄と兵力非保持、そういう社会を私たちは作りたいのだとしたら、それに合わせて私たちの関係をつくっていくということを、もう手遅れかもしれないけれども、少数者になっても、どっちみちいままで少数だったんで、少数者になってもお互いに元気づけ合いながら続けていければいいな、というふうに思っています。

おわりに――歴史はくりかえさない、それはなぜなのか?

いまの歴史を生きる私たちが、いまの現状を追認して生きるのではなく、どんな現実を求めながら生きるのかによって、歴史の現時点である私たちの現在を意識的に見つめることができるのだと、私は思います。そればかりではなく、どんな現実を私たちが求めるのかによって、過去の歴史についての認識、歴史認識も変わってくるのです。歴史認識は、いま生きる現実の中でどんな現実を求めるのかによって、変わってくるのです。たとえば、戦時という歴史的状況の中では「従軍慰安婦」は必要だった、と考えるのか、そういう制度を必要としない現実を、私たちが自分の生きたい現実として求めるのかで、歴史の追体験である歴史認識は変わってこざるを得ないでしょう。いま自分が生きている現実の中で何を求めて生きるのかが、現在の現実に対する私の姿勢を決するだけでなく、すでに起きてしまった過去に対する姿勢をも形成します。そして、もちろん過去の現実を直視することでなされる発見が、また逆に、私たちの現在に対する姿勢をいっそう深く豊かにするでしょう。私たちの現在の状況に対する危機意識は、過去についての歴史認識によって裏打ちされるのです。

たとえば、ヴァイマル共和制がナチズム支配を生んだ歴史的過去を、私たちの歴史認識がしっかりととらえるとき、私たちは現在の現実の中にそれを投影して追体験することができます。現在の危機を、私たちはヴァイマルの危機の再来として、歴史はくりかえすことの実例として、認識します。この認識が、この歴史認識が、私たちはどんな現実を求めるのかという切実な願いと結びついて、それが声を発するとき、「あの歴史がくりかえすようなことがあってはならない」という思いの表現として行動するとき、たとえその声や行動が私たちがこれまでも押し込められてきた少数者のものに過ぎないとしても、そのとき、そのまま座視すれば必ずくりかえす歴史は、別の道へと転じるのです。

すみません、30分以上はみ出したことになるかもしれません。すみませんでした。ご迷惑かけました。ありがとうございました。

(自由人権協会大阪・兵庫支部 講演アーカイブより池田先生了解のもと転載)