若者が「集団的自衛権=安保法制」へ異議、売国政権打倒へ大規模デモ!

■「戦争させない」安保法制反対デモ 国会周辺を取り囲む
(朝日新聞デジタル - 06月14日 18:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3466238


(写真は@reiricketts氏より転載)
YouTubeには渋谷デモがアップされているようで、IWJでチラ見しただけですが、若者がたどたどしい口調で訴えていたがそれがいいですねー。

とにかく自分の頭で論理的に考えることです。
センチメンタルな発想におちいらずにね。

人の命が尊いとかは、誰でも思う。
命は尊いなら死によってあがなわれた平和は尊いか?
尊いから、ではまた大量の死をもって時代を切り開くか?
センチメンタルなら、そこを涙で濡らして死んでくれた人は尊いと、そこで思考停止してしまう。
これが悪しき国家主義へ逸脱する右翼心情になるんだな。

命が尊い、なら死んでくれた命を讃えるのではなく、あるいはまた死を提供しようではなく、生き残った者たちは「命を死なせない条件は何か」と問題は立てられなければならない。
もちろん死者の弔いは大切で、無念のうちに死んだ者たちのぶんまで、命を大切にするためにだ。
彼らの死の無念に想いをはせ、死なずに世のため人のために貢献することを考えることだ。

今の右翼若者が非論理的なセンチメンタルでしかなく、それが害悪なのは、命をみんなまた投げだせ、国家のためなら尊いのだ、という命を否定する方へベクトルを向けるところだ。センチメンタルな単なるモラルに自己陶酔する点だ。

国家へ投げだせと飛躍したとき、同意できない者を戦場に送り国家権力による死を強制するという幇助をおこなってしまうことだ。つまり殺人を強要するわけだ。

今回の集団的自衛権法案は、他人の戦争を買って出る点で親日国まで敵に回して戦争を許すわけで、祖国を守るという右翼の美しい話ではない。日米同盟は戦争でなくても様々な側面の同盟関係を構築できるわけで、政府のいう自国を守るなら個別的自衛権で十分カバーできますからね。