『帝国の慰安婦』著者朴裕河氏からの、日韓批判者への反論(忘備録)

朴裕河教授の『帝国の慰安婦』が出版後、日本の左翼原理主義者と韓国挺対協韓国ナショナリストの双方から批判に晒された。

 

それらに対する朴教授の反論です。

日本の左翼原理主義者も

もちろん慰安婦否定派も、朴教授の本を読んで、

この反論をしっかり検証してみることが必要でしょう。

 

■法的責任のドグマを抜け出ねば

去る1月23日、『ハンギョレ』に「慰安婦日本陸軍が主体となった典型的な

人身売買であった」((キル・ユンヒョン記者・日本語版URLは下の関連記事を

参照願います)というタイトルの記事が載った。 確かに朝鮮人慰安婦動員はい

わゆる「軍人が連れていった物理的強制連行」ではなく「人身売買」の枠組み

のなかでのことだった。実際、学界ではもはや「軍人が強制的に連れていった」

というような議論はしていない。日本の強制性とそれに伴う法的責任を立証し

たがる学者たちの論議は、せいぜい移送時に日本軍部の船で移送したから日本

国家の責任であるとか、騙されてつれて来たのを黙認したから犯罪である、と

いう程度の議論である。

 そうした事実がこれまで韓国社会に広く知られてこなかったのは、関係者た

ちがその部分について社会に向けて明確に言ってこなかったからである。また

一方では強姦は存在したが、慰安所での性関係が基本的には対価が支払われた

関係だったことも、学者ならば誰でも知っている事実だ。よって慰安婦問題を

めぐる「混乱と不信」は、キル・ユンヒョン記者が主張したような「簡単で中

立的な言語の提示に失敗」したからではない。2014年8月に『朝日新聞』が過

去の「強制連行」記事の内容を公式的に取り消し、修正して以降、似たような

発言をする韓国人学者や言論、あるいは支援団体関係者たちがいなかったから

である。

混乱の原因

 
『帝国の慰安婦』//ハンギョレ新聞社

 にもかかわらずこの記事は、「慰安婦充員の主体は日本陸軍」であることを「揺るがない事実」であると強調する。だがそれは大げさに強調しなくても、すでに日本が認めたことだ。もちろん私もまたその事実を否定したことはない。だが朝鮮人慰安婦は「日本軍の指揮下に詐欺やだましで強制連行」したものではない。業者にさまざまな便宜を与えたが、日本の軍部は「詐欺とだまし」は公式的には禁止した。「婦女売買条約が朝鮮に適用

除外」されたことは事実であるが、詐欺性の募集を禁止せよという「内務省

保局長の通牒」は朝鮮半島では発見されていないという事実が、そのままあら

ゆる詐欺を許容したという話になるわけではない。朝鮮でのみ犯罪が許容され

たであろうとの想像を根拠に、私の本を「結局は虚妄」であるというこの記者

の主張は、私の本を歪曲し全国民を誤導する。

 長崎警察署文書には「前借金」を軍部が支給したという話はどこにも出てこ

ない。文書には「紹介手数料を軍部が支給」(ママ)すると書いてあるが、この

部分を取り上げてキル記者は「日本軍部が主体となり前借金をえさに女性たち

を二年間の性売買に従事させる典型的な『人身売買』を施行」したと書く。だ

が文書にはどこまでもそうした「言葉」(ママ)を「売春業者がふれまわってい

る」(ママ)と書いてあるだけだ。売春業者が女性たちを募集した事実が「日本

の警察にも衝撃的に受け取られた」のは、軍が「人身売買を主導」したからで

はない。警察はただ軍が女性たちを業者を通じて募集した事実に驚いただけだ。

 内務省が「警察の反対意見が相次ぐと当惑」し、朝鮮で募集し始めたとの話

を証明する文言もどこにもない。婦女売買条約に関する国際条約(ママ)が朝鮮

や台湾では「留保」されたという金富子教授の指摘は参考にしなければならな

いが、それがただちに「売春業に従事したことがない性病のない女性を植民地

である朝鮮や台湾から大量に募集して慰安婦とした」という話になるわけでは

ない。中国渡航に関する「通牒」が他には存在しない理由も、朝鮮人の中国移

動は船ではなく汽車で移動できる場所であったためと見ねばならない。

 また、慰安婦を連れていった者が「剣を帯び、帽子をかぶった」「日本軍人」

に見えたからといって、必ずしも軍人と断定できるわけではない。キル記者が引

用した安秉直教授もいうように、日本軍は業者を軍属待遇し彼らに軍服を支給し

た。よって「結局、朝鮮での慰安婦動員は日本とは異なり性売買の経験のない未

成年女性が多く、その手法も当時の日本の刑法の基準からみても犯罪といえる就

業詐欺が大部分」だと断定できるわけではない。自ら行ったり、少女が属した共

同体が知っていながら守らなかったケースもまた少なくないからだ。日本政府は

業者の便宜をはかったが「管理」は管理監督の意味が強く、業者が慰安婦を搾取

しないようにした。

「法」の限界

 キル記者の記事が結論として引用した永井教授はこう書く。「軍から慰安所

委託された民間業者や依頼された募集業者が詐欺、誘拐によって女性を慰安所

連れてきて働かせた。」(ママ)そして「慰安所の管理者である軍がそれを摘発せ

ずに、事情を知ってもなおそのまま働かせたような場合には、日本軍が『強制連

行』を行なったと言われても、抗弁のしようがない。そのような犯罪の被害者で

ある女性が、自分は日本軍によって『強制連行』されたと感じても不思議ではな

いからである。」(『世界』2015年9月号)

 この箇所は「強制連行」だと主張した文章ではない。むしろ詐欺・偽計の主体

は「業者」であるといっている。ただ軍が知っていながら処罰しなければ、強制

連行と感じうると言っているにすぎない。日本の軍部は当時むしろ業者が詐欺で

連れてこないよう契約書を書くように確認した(女性のためのアジア平和国民基

金編『「従軍慰安婦」関係資料集成』2)。もちろん契約書を書いたから問題が

ないという話ではない。「契約」という名の「法」の存在はむしろ人間を拘束す

る。

 同様にただひたすら国家賠償を立証し法的責任を問うために強制性を主張しよ

うという発想は、法の外で行われたことに対しては加害責任を問えないという自

家撞着に陥ることになる。「法」とは国家システムの中心にある者たちが作った

ものであり、国家システムは近代以降いつでも男性中心主義的だった。重要なこ

とは強制性の有無や国家賠償の有無ではなく、軍隊のために女性が必要であると

考えた軍部の発想が、いかに女性たちを残酷な状況に追い込んだかである。強制

連行論はもちろん人身売買論も「法的」責任にのみこだわる限り、法を犯さない

空間では無力になるほかない。

「性奴隷」の主人は誰か

 植民地警察は当時横行した詐欺や誘拐を基本的には取り締まった。日本本土で

なされた国民への法的保護は全く同じではないとしても、植民地でもなされた。

植民地の女性たちだけが詐欺や拉致されるようにするほど、「植民地警察」が不

道徳であったというのは、90万近い「植民地日本人」の存在を認識できていない

発言だ。植民地警察は「抱主たちの涙も人情もない行為に対しては当時の警察も

憤りを感じ、その署では再び転売したところに紹介して最後まで救う方針で努力」

した。また警察は「女性を凶悪な抱主の手から再び北支へ売り飛ばされる前に

それこそ危機一髪」(『毎日申報』、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会、

『戦時体制期朝鮮の社会相と女性動員』から再引用)直前に救助しもした。

 もちろん朝鮮人を含む植民地警察が植民地人に過酷ではなかったという話で

はない。だが彼らもまた「法」に反することを取り締まる程度の仕事はしたし、

女性たちの慰安所行きを防ごうと努力した痕跡も見える。帝国日本の軍部と業

者はいつでも共犯だったわけではない。騙されて慰安所に来た場合、軍部が他

の場所に就職させたケースはそれを示している(長沢健一『漢口慰安所』)。

あるいはあまりに幼ければ帰しもした(『帝国の慰安婦』)。この二つの事実

は、軍部の基本方針が詐欺や拉致性の人身売買を許容しなかったことを示して

いる。植民地警察は契約書を書くよう業者に指針を下し、慰安婦となる当事者

たちにも、渡航許可願を提出するようにした。このような「契約」という罠に

しばられた慰安婦が「廃業」をするのが難しかったのは、彼らが身代の所有者

である「業者」の奴隷だったからである。

 業者には日本人も多かった。特に規模が大きい遊郭などはむしろ日本人業者

多かったようにみえる(西野瑠美子ほか『日本人「慰安婦愛国心と人身売買

と』)。国家政策に協力し経済/利潤を追求した中間階級の問題をみなければ、

慰安婦問題の全貌をみたとはいえない。そして私たちは、いまだ男性の責任は

もちろん、貧困階層を搾取する者たちの責任を問うたことがない。民族主体と

異なる主体の責任を問うことを、ただ日本の責任を稀釈させるものとのみみな

す主張は、階級と男性の責任を隠蔽する。

同志的関係/帝国の責任

 「韓国人はいつも貧しかったから、花盛りの娘たちが承諾のもとに稼ぎに行

くんだよ。その時の金で五十円や百円もらえれば、期限は五年期限だか三年期

限だかというように。戦争や日本人にやられた人たちが実際には多いよ。自分

が金を稼ぐために行った人は多いからね」(『強制的に連れていかれた朝鮮人

慰安婦たち』5)という証言は、長らく埋もれてきた。「自分が金を稼ぐた

め」に行ったことをみることは、「満州の話は私は誰にもいわない。恥ずかし

くて…家にきて質問されれば、やられたことだけ話してあげるよ」(『強制的

に連れていかれた朝鮮人慰安婦たち』4)というように、自己検閲した証言が

稀釈されることだと考えたためだ。

 しかし「韓国人はいつも貧しかったから」というこの証言ほど「帝国の支配

構造」を明確に語った証言はほかにないだろう。ところが一つの声に一元化さ

れた20年の歳月のなかで、「強制連行は無かったと思う」と語ったお婆さんは、

ただの一度もその言葉を公衆の前でいうことができないままこの世を去った。

そしてこのお婆さんが亡くなると、支援団体はすぐに「お婆さんは国家賠償を

願っていた」とインタビューで語ったことがある(2014年6月、ナヌムの家所

長)。私はこうした人々の声を復元しようとしただけだ。強制であれ自発であれ、

あるいは売春経験があろうがなかろうが、私は彼女たちを被害者であると考えた。

 『ハンギョレ』記事は朝鮮人慰安婦を「性売買経験がない」無垢な少女といい

たがるが、こうした発想は少女ではない成年/売春女性たちを排除する。ところ

がこの記事にも出てきたように、慰安婦募集は30歳まで許容されていた。30歳の

売春婦は被害者ではないのだろうか。1970年の『ソウル新聞』には「花柳界

性」もいたとはっきり書いてある。慰安婦を「少女」と考えたがることは、植民

地を汚点のない「純潔な少女」と表象したい欲望が仕向けることだ。何より「未

成年の少女」に対する執着は、むしろそれとは異なる慰安婦たちを抑圧する。

 私が「同志的関係」という用語を使ったのは、「他はいいとしても日本は北

朝鮮と韓国にはあげなきゃだめだ。台湾までも理解できる。あそこも姓と名も

日本式に直したから。私たちが国のために出なければいけないと同じ日本人扱

いしたんだ。そうやって連れていったんだから、必ず補償をしなきゃならない。

でも中国、フィリピンはみんな営業用で金を稼ぎにいったんだ。だからそれに

はあげなくても大丈夫だよ」(『強制的に連れていかれた朝鮮人慰安婦たち』

5)という声に、早くから出会っていたからだ。「同志的関係」があったが要求

される構造であったし、それに従う「同志構造内の差別」について十分に説明

した。しかし私を非難する人々はそれを黙殺した。

 私は慰安婦朝鮮人日本軍と同じ徴兵と同じ枠組みで考えねばならないと考

える。だが「法」は「軍人」は保護したが「慰安婦」は保護しなかった。日本

慰安婦に対しても同様であった。慰安婦がしたことを近代国家システムが必

要視しながらも軽蔑したからである。「法」に依存し、歴史を判断する法至上

主義ではなくても、歴史に対する反省、謝罪と補償は可能である。韓日合意は

日本が謝罪と補償的意味を公式的に表明したという点で意義がある。ただ政府

間合意のみでは十分ではない。加えて被害者の考えも一つではない。遅きに失

したがいまこそ国民間合意のための論議を始める必要がある。

朴裕河(韓国・世宗大学校日本文学科教授)

http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/729598.html韓国語原文入力:2016-02-10 10:43
(5119字)

 

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