朴裕河著『歴史と向き合う』(毎日新聞)を入手ー新しいパースペクティブのために!

菅野完だったか、韓国の若い記者との懇談で言われたことが紹介されていた。
韓国では、統一教会はそれほど知られてもいないし、トラブってもいない。
なぜ日本でこれほどはびこったのか解らないと。
また、「反共」という言葉も韓国では死語となっている。
日本でまだ「反共」という言葉が溢れていることが信じられないと。
確かに、韓国には共産党というものがなかったからね。
私は、日本の政治が人民主体にならないのは、共産党が存在するからで、存在する限り自民党と相互補完的に人民主体の変革を抑圧抑制し、シンパかたんなるアンチ左派を生み出していくだろうと述べてきた。
韓国のように、人民蜂起も起こりえず、人民の地下抵抗運動も形成したこともなく、小ブル的に共産党を似せてボリシェビズムの党派の乱立に終始してきた。
私の認識でいえば、共産党がなくなれば、自民党もなくなり、天皇制もなくなる。
私の頭の中は、未だに東大闘争が、「圧殺の範型」となっている。
日本の政治の質は、自民党共産党公明党ー知識人エリート層のリンクが、人民の新しい政治の萌芽を潰していくのである。
いまだ東大闘争は終わらず、闘いの鼓動が鳴り響く。
それゆえに、共産党的、戦後民主主義的「リベラル」は多分私の言うことが飲み込めないだろう。
それはパク・ユハが『帝国の慰安婦』を引っ提げて、立命館大衣笠校舎でシンポジウムを行った時、司会は上野千鶴子であったが、参加者はほとんど日本の韓国慰安婦支援者たちであった。
パクの批判的日韓運動論に古めかしい支援者の婦人たちが半泣きで、上野に「私たちはどうしたらいいのでしょう」と質問していた。その態度がダメなんだ、自分で考えろ!と罵倒したい衝動を抑えたことを覚えている。
私の質問には、上野は怒り狂って、「こいつは何様のつもりだ、偉そうに!」といったきり質問の回答は無かった。
「何様だ」と無名の私への罵倒の感触は、この左派的権威主義にまみれたFacebookのユーザーたちに感じるダメさなのである。
パクの視点は、孤立していた私の日韓論によく重なるものであった。
上野などはお前こそしらないだろう、私の妻との結婚に至る壮絶な戦いを。大学と体制の権威にまみれた上野の戦いなどは、安全圏のたたかいであって、いつでも疲れたときは一息つけるのだ。
しかし庶民の戦いは、そうはいかない。容赦なく巨大な組織は日夜襲ってくる。
そのとき「個人に対して組織や党派が相手の場合は無条件に喧嘩を買う」ーと述べた吉本の言葉しか私には支えがなかった。
横道にそれた。
図式的にいえば、それまでの被害者を利用して、政治的に利用しつつ、党派性の存在証明にしてきた運動そのものの批判であった。また史実などは研究が進めば変更を余儀なくされる。それは保守派が取り込んで批判するのは当然で、支援側の左派が硬直して認めないという学的誠実さを欠く態度を批判するものでもあった。(少し私の逸脱と拡大解釈があるが)
パクを支持する発言をすると、かなり知られた学者やジャーナリストから小ばかにされた。
しかし、やっと最近パクが理解されつつある。いいことだ。
パク・ユハの『歴史と向き合う』(毎日新聞社)を入手。
今回は、日本批判だと言っていた。
九月からは優先順位を繰り上げて読もうと思う。
楽しみである。
(Facebookより転載)
 
【追記】
そのご閲読してくれたパク・ユハ教授から、丁寧な返信をいただいて、
研究成果の受容が進み、今は小ばかにされることもないと思いますよ、と慰められた。