小林哲夫著『高校紛争』の歴史的体験の刻印は、貴重な証言として再考されるべきだ。

林哲夫著『高校紛争』読了。

少し勘違いしていたのは、
私が大学で活動していた時期に、高校生として闘争に立ち上がっていた人たちの高校生政治学園闘争だった。
従って、登場する高校生たちは私より2〜4歳下になる。
私と同時期に高校闘争をしてい頃の人達の記録もあるが、65年はまだやはり少なかったというべきか、田舎では連携するまでなかなかいかず、
都会のモダンボーイで進学校の生徒に限られていた傾向がある。

私のように田舎にいると、まったく横の情報は入らなかったし、そもそも闘争という学校封鎖やデモなど思いもつかなかった。

田舎では話の分かる教師とタックを組まないと、両者ともに潰されるだけで、教師をつるし上げれば即自分達の居場所がなくなる事態になった。

実際、労組教員は、校長との緩衝材になってくれて、退学処分の撤回闘争を共に戦ってくれた。

また、自主講座を組んでくれて、学校が終わると、教師の下宿先に集まって勉強会をやった。
初めて思想に触れたのは、丸山眞男の『日本の思想』。

ベトナム反戦運動をしていたのは私と三四人だけ。
新聞部の二人が部室を封鎖して、なんか教師と対立した。未だに何が原因だったか分からないくらい、校内でもバラバラだった。

この二人の退学処分を巡って、職員会議は紛糾した。大方は退学処分派だったが、私たちとタックを組んでいた教師たちががんはって撤回を主張。

何年かして知ったが、物静かで得体のしれない教師が、退学処分取り消しの主張を、延々と30分ぶち上げ、撤回を通してしまったとのことだ。

かれは東大出の、戦前は満鉄調査部にいて、アララギ派歌人であったことも知る。公職追放になり、復帰して田舎教師となった経歴の持ち主であった。彼には校長も一目置いていたとのこと。

封鎖したり、校舎占拠したり、デモしたりすることが闘争だとすると、私たちのは闘争にくくられないのかもしれない。
しかし間違いなく、同じような高校生らしい自我の目覚めと、感性的苦痛の解放に根ざしていた。

わたしは、教師とも連帯する闘争が望ましいと考えていたし、教師と生徒の差異、自由と身勝手を混同しないこと、これらの基本原則にはかなり論議したように思う。
そういう生徒の感性的苦痛と解放、勉強の位置づけなどは、教師との知的協働作業でしか解決しないと思っていた。
事実そうした。

だが、ベトナム反戦誌がNHK教育テレビの眼にとまって、特集を組むと取材申し込みがきたとき、学校側は何の説明もなく、政治活動と見做して、禁圧した。
闘争の手法も学内で支持があるのかもわからないから、沈黙せざるをえなかった。
虚脱感で、3年生の一年間はひたすら籠って司法試験の勉強に取組んだ。もう自分の目的に邁進しようと思った。
そのころも、鶴見俊輔小田実に傾倒していたからべ平連的であって、マルクス主義者ではなかった。
そして大学に入っても、党派の理論は幼稚過ぎて何の関心もなく、いきなり吉本隆明に浸った。
もちろんマルクスの主要著作は勉強会を組織して独学で理解した(つもりになった(笑))。

なるほどと感心した。

 

しかし少し『高校紛争』に登場する活動家たちとどうも違うなと思うのは、闘争の入り方にあったように思う。

1963年「60年安保闘争」のまだ余韻と敗北感と左翼の混迷の時期、

私は 中2、テスト成績公表阻止闘争を組む。
これは、中2の一学期いきなりテスト結果の成績順位を張り出して100番まで公表し始めた。
私は、生徒会長に立候補してトップ当選。
公約に沿って、アンケート調査を実施、93%が反対であったため、学校側に要望書を提出。
おそらく拒否されるだろう、その時は全校集会をしようと準備していた。
ところが、しばらくしてあっさり学校側は要望を呑んで、張り出しを一回だけで終了してしまった。
このときも、生徒指導主事がたまたま剣道部の顧問であり、信頼関係があり、担任も国語の教師も私に親和的で、励ましてくれた。
学校は、教師と生徒で共同作業でつくるものだという成功体験が私の中に根付いた。
革命を目指さない限り、改良闘争としては正解だったようだ。

そういう点では、いい教師が当時はまだまだ沢山いたように思う。
いまでも、私は、各階層で、それぞれの立場で、自分たちの課題をほりつづけ、それぞれの生活過程の必然によって闘争はあるものだと思っている。
だから、私には闘争を止めたとか、足を洗ったとかいう概念がない。
地味だか、「永続闘争」を生きてきたように思う。

林哲夫などの取材からは零れ落ちているが、確実に高校生の闘争はまだまだあったはずだ。

しかし残念だが、そうしたヴァナキュラーの経験も声も「反体制的権力」(出版権力)によって掻き消されていく。体系化する場合の功罪といっていいだろう。

フェースブックより転載)