「小野伸二お疲れさま❣ 」と「 倉本聰の山田太一追悼文の雑感」

わがふるさとのヒロー小野伸二が引退❣
お疲れさまでした。
水泳の岩崎恭子ちゃんともども沼津のヒーローだった。
あのテクニックは誰も真似のできるものではなかった。
静岡の日本サッカーを牽引してきた名選手は語り切れないほど多い。それがまたカズをはじめに個性的なヒーロータイプが多いのは、静岡県人気質にはありえないことなのだ。
 凡庸で、のんびり屋の多い静岡県民は、カズ、長谷部、遠藤、などなど不思議な感じがする。やはり地域のエリートなのだろう。
メッカ藤枝東の校長を勤めていた兄は、一声かければ世界から彼らが参じてくれると鼻息荒かった。
小野伸二藤枝東に並ぶ名門清水商業だが、高校に拘わらず県人としてこの引退を残念がっていることだろう。
さて、山田太一の追悼文が倉本聰から出ていた。
俗悪化したTVに敗北した戦友だと述べている。
いやいや、決して敗北などしていないよ。山田も倉本も最も良質な国民に、永続的な感動の渦を残したではないか。
観たそばから忘れられていくドラマこそ敗北の残骸だろう。
感動の渦は、バブルではない、一つのベクトルを以って拡大していくある可能性だ。感動の渦はそれが意識されなくなるほど、年を経るごとに文化として大衆の感性に沈着するものだ。
私は、山田太一のシナリオ教室に在籍し、倉本とは京都百万遍梁山泊でたまたま酒席を同じくした。
これだけでも私の承認欲求を満たしてくれる「事件」であった。
倉本は、ちょうどその頃から杖を使い始めたころで、老いを感じさせていた。倉本と梁山泊の主人は友人で話が弾んでいたが、横から私が聞き役として、時々茶々を入れ、合いの手を入れ談笑した。
実は、山田よりも倉本の方が好みであったので、この出会いは何か意味あることではなかったかと、勝手の思いこみで私の中でしばらく尾を曳いた。
そして今回、この二人の親友が私が愛した向田邦子であると知った。確かに気が合ったのは想像がつく。
シナリオとしては甲乙つけがたいが、好みとすれば向田邦子だ。
あの戦争時代の男と女のドラマは、どれも秀逸だ。
腹を抱えて笑えるわけではないが、でもどこかおかしく、同時にペーソスを醸す。私は向田を秘かに「哀感の邦子」と呼んできた。そした一度捨てた文庫本をまた購入して時々読んでいる。
この感触は三人に共通した「ドラマの美」だったのではなかろうか。
倉本聰にはまだまだ頑張って生きて欲しい、敗北かどうかは、死んでから決めてやるよ。
きっと勝者に決まってる、なあみんな、そう思うだろう?