故小川国夫に会ってきた--藤枝文学館を訪れて

年末もおしせまった頃、時間ができたので藤枝文学館を訪れた。
藤枝訪問は、同じ静岡といっても筆者の故郷からは遠く、風土を異にする。
いい意味で田舎で、人情は素朴でシャイである。静岡市から三十分足らずで、駅前に降り立ったときの印象はころつと変わる。
個人的には好ましい雰囲気である。

バス停「蓮台寺池公園」を降り、すぐそばの駐車場を突っ切っていくと広い駐車場を出て、その道路側にあるスターバックスコーヒーを越えていくと左手の方に大きな池とほとりに赤レンガの郷土博物館が見える。その一角に文学館が併設されている。

受付で二三質問すると、スタッフの女性が気を利かせて館長を呼んできてくれた。客は筆者ひとりだ。
丁寧なあいさつをしていただき、国夫の書斎を移築した部屋へ通され、展示の説明を受ける。もうVIP待遇でこそばゆい。

小川国夫はあまりに有名だから説明するまでもない。
筆者のか細い個人的関りのみ記しておく。

小川国夫はわが師鈴木六林男のポン友であった。
六林男が大阪芸大の教授だった頃、国夫を好きで藤枝まで教授に招聘しに口説きに行った。

ウマガあったらしく、いや酒好きがあったのか、以後大阪でふたりの飲み歩く姿がよく見られ、生涯の友となり、六林男が死ぬと追うように翌年国夫も逝った。

岸和田の気性の激しい無骨な六林男と、クリスチャンで紳士然とした国夫とどこが合ったのかふたりにしかわからない。お互いに文学上尊敬していたことだけは確かだったと思える。

それまで国夫を読んだことがなかった筆者は、『アポロンの島』を読んでみた。よかった、確かにいいと思った。
六林男にそれを告げて感想を述べると、嬉しそうに聴いて、「なー、小川国夫はいいだろう」と満足げに頷いた。
その笑顔は、わがこと以上に喜んでいることを語っていた。それほどの六林男の笑顔を後にも先にも見たことがなかったから間違いないだろう。

わたしは『花曜』の総会にふらっと顔出しする国夫を、親しげに密かに国夫さんと呼んだ。
かといって、自分が同じ静岡県の出身だと明かしたことも、長話もしたことはなかった。時候と創作は快調かと挨拶がわりに訊くだけだった。眼があっただけで、優しい慈愛に満ちた国夫さんとすべてを語りつくしたような満足感で満たされ、それ以上踏み込むことは冒涜のように感じた。
「偉いひと」とはいつもあまり立ち入らないように節制していたこともあるが。

そんな六林男を通しての淡い小川国夫とのつきあいであったが、その後作品を読むたび国夫の文學性を愛し、もっといろいろ質問しておけばよかったと後悔した。

見学した書斎の書棚に、国夫の人物相関図があり、そこにはしっかり六林男の名前があり、『鈴木六林男全句集』も蔵書とされていた。
館長も六林男に原稿依頼をしたことがあり、何度かお目にかかっていますとの話だった。
懐かしい、いい時代であった。

館長に謝して別れた。

池のほとりでマスクをした少女がふたり遊んでいたので写メを撮って欲しいと依頼すると、きゃっきゃ楽しそうに撮ってくれた。
もう冬休みですか?小学生か中学生になったのかと訊くと、ふたりで笑い転げて、高校生ですという。
びっくりして目を丸くしてしげしげとふたりを見ると、体をバタつかせながら可笑しがった。

目の前には、客がくるのだろうかと心配する立地なのだが、スターバックスはあった。昼時で客が列をなしていた。この辺ではファッショナブルなデートスポットなのだろう。

JR藤枝駅前の「花見茶屋」で弁当を食べた。
弁当は美味かった。それ以上に、こいもの煮つけや甘酒が美味かった。
店主のお母さんがふるまってくれた。とうとう弁当以外は料金を受け取らなかった。空腹が満たされると同時に、お母さんの飾り気のない人柄とサービス精神が胸を満たした。
藤枝は小川国夫を生み育てた。一日で藤枝の風土を愛してしまった自分を確認して、車中の人となった。