忘年会で今年の研究会も終わりー竹田青嗣さんもきて『欲望論』第二巻

今年最後の研究会で、忘年会もあったので、普段はzoom参加だがリアル参加しました。
竹田青嗣さんにも久しぶりだったので、少し受け狙いもあって冒頭あいさつにこのように述べた。
竹田さんの口吻を真似て、「反権力ばかり言ってる奴は―、本質が解らないので、批判はしてもどのような社会にするかを言わないなー、と書くと読者が半減しましたよ」というと座は爆笑。
竹田さんは、それを受けて、挨拶で言った。
「ぼくの権力の基本は、妥当性があるかどうかです。
 権力の最高なものは人民権力です」とまっとうなコメントをしてくれた。
元左翼はポストモダンを経て、価値相対主義が席巻した時、その時のフーコーらのあらゆるものに権力が宿ると展開されて喜んだ。で、どのような社会の未来設計図を描くか即ち一般合意を全く繰り込まず、価値相対主義を再びもたらした。
つまり、行き詰った近代を超える方法へ本質的な思想構築として、「超えるものが何か」と問わづ、「反権力」を実在論的に抱きしめ続けたのである。
だから、血反吐をはくほど思想総括せず、ただ「反権力」をより先鋭化し軍事的に対峙すれば何か打開できると錯覚したのである。
私は30歳過ぎに竹田に出会ったが、近代とは何か、フッサールをブラッシングして未来と運動の方法を追及する方向が、自分に近いと感じ、孤独に迷える営みに勇気をもらった。
世界的に、ギリシャ以降の形而上学を徹底的に批判的に克服し、主観ー客観図式はいまやありえない思想としてゴミ箱へ叩きこんだ。
西研さんとのタッグなので、「西竹田哲学」として認知され、批判は一切出てきていない。
いわば実証主義に持っていかれ、社会学に席巻され、哲学がみすぼらしいものに見えていた中で、現代哲学を復権したと私は思っている。
Facebookより転載)
 
 
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