エリートの陥穽ー例えば上野千鶴子女史のこと

ずうっと友達の推薦に上野千鶴子が出てくる。
微妙やな。
余り好きでも嫌いでもないから、彼女を認知していてもさほどのことを識るわけではない。
もう早いもので10年も経つか、パク・ユハの「帝国の慰安婦」が出た後、パクを招いて大きな講演会が催された。
司会は上野千鶴子
韓国の慰安婦問題団体挺隊協などに連動していた日本の左派が、パクの提起した問題に戸惑い、右往左往していた。
 私はすでに1970頃から総連科学者協会や韓国左派の運動をナショナリズムの変形として批判していた。パクのそれらを日本の未解決のまま歴史から抹消する態度ともども串刺しにした批評性に感動した。とうとう出てきたな、と成熟を喜んだ。
従って、会の終わりに、質問が受け付けられて、私も提出した。
歴史事実=ファクトは、研究が進み左派の常識が大きく否定されるものも出てきた、これらにどう対応していくのか。
右派の修正主義に対応しきれていないのではないか、と。
これをみて、上野千鶴子は癪にさわったとみえて、
「偉そうに、こいつはナニモンなんだ、〇×△□!、」
と壇上から怒鳴りつけた。
恐かったぜー、
ナニモンなんだってか、70年代に総連系団体へ独りで殴り込みかけて、大立ち回りの末韓国女性を助けたモンじゃと啖呵を切ってやりたかった。そして壇上へ駆けあがりたい衝動を抑えて黙って上野の反応を見ていた。
この居丈高な勝気さ、これで女の道を切り開いてきた女傑。
だが私は、もう勝利感で満足だった。
自分の生活過程から問題を起案していかない、大上段からのこうしたヒューマニズムロマン主義運動を私は嫌いだった。
自分の地域社会の朝鮮人の差別や、逆の日本人へのルサンチマン、果てには南北人民の差別合戦には無頓着にダンマリを決め込んで、「美しく」連帯できる人たちだけの善意の輪ー否定はしないが、自分が傷つけば簡単に遠ざかる。
上野は確かに優秀だか、また介護保険制度を作った功績は偉大だが、エリートゆえの陥穽をみて痛々し。
「おひとりさま」を推奨し、われらバッタの群れの生き方に、ひとつの理念を照らしたかと思ったが、何のことはない、近年恋人の色川大吉とひそかに結婚していた。
色川の介護に法的裏ずけが必要のためと弁明されている。
多くの団塊世代の独り者(私もその一人)は、「おひとりさま」論に勇気づけられたものだったが、ずっこけた。
学問的業績と生きざまは同じではない、とエリートは「正解」をいうが、この歳になると、お前のできの良さは偶然に過ぎないのではないのか、努力は環境が保障されていたからではないのか、と沸々と思いが沸き起こるのだ。
そういえば上野に学問的業績としてのベストセラーらしきものがあったか?