ボケて本質を抱きしめる、ボケは佳きかなー「維新」や「れいわ」に鈍感なのはどうなんだ❓。

とうとう夜行動物となる。
普通の道の低い段差で躓き転倒、
朝起床すると、体を動かすたびに眩暈がして起つのが困難で、一日床に就く。
子どもの交通見守りに、眠い目をこすりながら交差点に立つと、子供の姿が少しも見えない、なぜだなぜだ考えを巡らせてるうちにやっともう夏休みだと気づく。
粉洗剤を落として床一面にぶちまけた。卵ゆでてて忘れて煙濛々と焼けた。
 これが一週間の出来事。急速にボケてきている。
家事をこなしてホッとすると、もう昼1時だ。
徹子の部屋」を観て昼飯食ってボーとして、4時になっている。
それから近場のスタバかマックへ行って、帰宅は夜9時。
スタバには4~5時間いるから、スタッフとすっかり仲良しだ。
もう時事的なニュースに鈍感になる、そりゃそうだろう、風物詩となった戦後平和イベント、どんどん裏側では腐食が進み、日本人のマインドが鈍感になって底板が抜けて沈没寸前だ。
れいわ新選組の交流集会で、「れいわ新選組」って党名がダサイぜ、そのうち党名変えた方がいいというと、30代と思しき女が、昂然と言った、「山本太郎さんが付けて、ナンチャラカンチャラの意味だ、れいわのYouTubeが4~5000本上がっているからそれ観て勉強してください。5年間やってきて今更そんなことできません」と熱烈に批判されちまった。
ま、私が「山本君がまだ政治のこと良く分からないころだろうな」と言ったのが癇に触ったようだ。
だいたい、維新だれいわだ、この語感に何の違和感もなく馴染んでいる時点で正体不明な日本人だ。
私は、「維新的日本近代」を呪詛してきたし、「天皇制のなかの時間軸に回収されて生きるのを拒否したいと生きてきた」。
だけど山本太郎は底の浅さはあっても、既存政党への乗り越えを意識している点と経済政策ではまったく同意するから支持するのだ。
しかし、共産党創価学会のカルト体質の支持者が嫌いだ。
異論をいうものを新規参加者だとみると居丈高に叩く、一種の権威主義。また、BYネームで語る政治主義は即ヒットラーマンセイだし、天皇陛下マンセーだ。山本太郎がこう言っているから、それに学べって、あんたは言葉を失くしちまったのか。
稚拙でも自分の言葉で語れ、それが民主政治の基本原則だぜ。
最近分かったことは、一市民として偵察がてら顔を出すどの集会も学習会も、あまりに幼すぎて、ついていけない。参加者が、ルソーもカントもヘーゲルマルクスウェーバーも、古典を読んでない。
どれほど日本人の知的レベルがさがっているのだろうか。
寸暇を惜しんでスマホゲームやってたら時間はないわな。
それで、繰り返すパターンの時事的ネタに意図的に疎くなって、私はますます古典に向かう。そのなかによほど時事的問題と解決のヒントが豊穣に散らばっているのだ。
老人は、時事ネタから離れてこの世の真理に近づく。
50年も70年も同じことを繰り返し、呪文のように語る間に、言葉は腐る。老人は腐った言葉に生きがいを求めるな。
ボケることは佳きかな、ボケて真理を抱きしめる。