Literaの秀逸論稿「『新元号』でマスコミが報道しない元号のイデオロギー的本質! 元号強制は日本会議前身団体の圧力の結果だった」

この改元セレモニーのバカ騒ぎはなんなのか。

あたかも「自然」のように、極右組織が仕掛け、連動する支配層の仕掛けた極めて危険なイデオロギー運動なのだが、国民は過去の戦争を「自然」現象のごとく受け入れたと同様に思考停止している。

とうとう、テレビのコメンテーターからは、新しい天皇陛下の「御代」になるとまで「自然」に口にしている。

日本は「大正リベラル」の時代があった、と同様に、「昭和戦後リベラル」の時代が「束の間あった」、そして天皇ファシズムが復活したと語られるのか。

無意識=生活時間まで天皇の「御代」として支配するものとして作られた元号、冷静に廃止を考えるときに来ているのではないか。

以下Litelaの秀逸な論稿である。

いよいよ本日、新元号が発表される。この間、あらゆるメディアが連日のように元号予想やアンケートを実施。狂騒曲とも言えるような報道を繰り広げてきた。そして、きょうも元号発表に向け、各局が大型特番を組んでいる。NHKは朝ドラ後の8時15分からすでに、3時間に及ぶ大型特番の放送が始まっている。しかも、スタジオ解説に、宮内庁担当だけでなく、なぜか安倍御用記者の岩田明氏子まで起用する始末。この間、本サイトは安倍首相の元号私物化の動きを指摘してきたが、“安倍様のNHK”がそれを証明したと言えるだろう(ちなみに『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でも、御用ジャーナリスト・田崎史郎氏が解説)。

 しかし、今回の元号については、この安倍首相の私物化以外に、マスコミが一切報じなかった本質的な問題を指摘しておくべきだろう。それは元号が本当に必要なのか、という問題だ。

 現実的に考えて、元号は非常に不合理だ。日本の官公庁や公的機関の書類は、基本的には元号表記であり、公的には元号使用が強制されている。しかし、元号は国際社会にはまったく通用しないうえ、日本国内でも西暦が完全に定着し、国民生活では西暦が中心になっている。そのため、ことあるごとに元号表記を西暦に、あるいは西暦を元号に換算する必要が出てくる。

 しかも、改元にあたっては当然、政府や民間のデータベースやシステムを「平成」から新元号に刷新せねばならず、その対応には膨大な手間と費用を要する。さらに、問題なのは、元号が持つ意味だ。元号とは暦の一種で、歴史学では、支配者や指導者が空間(領土や民衆)のみならず時間をも手中におさめようとしてつくられたものと考えられている。代表的なのが中国であり、周知の通り、日本の元号も大陸から伝播したとされる。語源が『漢書』など中国の史書からとられていることは有名だ。

 右派は「元号は日本の伝統」などとしきりに口にするがようするに中国由来なのである。しかも、現在の一世一元、民間への元号強制は、明治から終戦までの天皇制国体イデオロギー体制の遺物でしかない。

日本書紀』によると、孝徳天皇の「大化」(646年)が初めての公式な元号だとされる。元号は現在の「平成」まで北朝を入れると約250もつくられた。日本の天皇明仁天皇で125代に数えられている。つまり、単純換算で元号天皇の人数の2倍の数ある。

 なぜか。元号は、政治的混乱、飢饉や天災、その他諸々の理由をつけては頻繁に変えられていたからだ。大衆は必ずしも元号を身近に感じておらず、日常的には干支を使っていたといわれている。

 ところが、明治に入ってから、大日本帝国憲法および旧皇室典範(第12条「践祚の後元号を建て、一世の間に再び改めざること、明治元年の定制に従う」)によって一世一元が定められた。天皇を絶対的な権力として、大衆支配のイデオロギーの中心とする「国体思想」。そのなかにおいて改元は、まさに天皇の権勢をアピールするための重要なツールだったのである。

 では、こうした戦前の遺物がなぜ、今も公的な使用を強制されているのか。それこそ、まさに戦前体制を復活させようとする右派の圧力の結果に他ならない。

戦前の天皇制や国体思想の復活を目論んだ元号法制化運動

  そもそも、明治以降、天皇制のイデオローグとして活用された元号は、第二次世界大戦での敗戦で、その法的根拠を失った。日本国憲法下の皇室典範元号の定めが置かれなかったためだ。当然、こうした法的問題と、戦後の国際化の流れのなかで、「元号を使うのはもうやめて西暦に統一しようではないか」という廃止論も盛り上がった。そして、昭和天皇の高齢化に伴い、「昭和」の元号が終わりを迎える日が刻一刻と近づいていった。

 こうした流れに強い危機感を抱き、元号の法制化に邁進したのが、いまの日本会議に繋がる宗教右派・極右運動家たちだった。いま現在、元号は1979年施行の元号法によって法的な地位を得ているが、これは、彼ら極右運動体の“成果”であり、日本会議前史における大きな“成功体験”として刻まれているとされる。

 改めて説明しておくと、1997年結成の日本会議は、生長の家神社本庁などの宗教右派が実質的に集結した「日本を守る会」(1974年結成)と「日本を守る国民会議」(1981年結成)が合わさって生まれたものである。後者はもともと、この元号法制化運動のための「元号法制化実現国民会議」が前身だ。そして、これらの団体の実働部隊が、現在でも日本会議の中心にいる右翼団体日本青年協議会日青協)だった。

 元号法制化運動が大きく動いた1977年、日青協が中心となって全国各地にキャラバン隊を派遣する。彼らは同年秋に各地の地方議会で元号法制化を求める決議を採択させる運動に熱心に取り組んだ。

 日本会議の機関誌「日本の息吹」2017年8月号で、同政策委員会代表の大原康夫・國學院大學名誉教授が「設立20年」をテーマにふりかえるところによれば、元号法制化地方議会決議運動は翌78年7月までに46都道府県、1632市町村(当時の3300市町村の過半数)で決議がなされた。大原氏はこう述べている。

〈地方議会決議を挙げ、中央・地方に全国的組織をつくるキャラバン隊派遣など啓蒙活動を行い、国会議員の会を組織していく。つまり、現在の日本会議の国民運動の骨格であるこの三本柱は、このときに形作られたのです〉

 実際、当時の日青協の機関紙「祖國と靑年」は、キャラバン隊の運動の詳細や、森喜朗ら政治家を招いた大規模集会の模様を写真付きで大々的に取り上げている。たとえば1979年11月発行の43号では、キャラバン隊の西日本隊長だった宮崎正治氏が憲法改正を見据えて「吾々の運動の大きな前進」「元号法成立による自信の表明」と胸を張っている。

西暦使用論が浮上するたびに、右派勢力が立ちはだかってきた

 しかも彼らは、明らかに元号法の制定の先に、戦前の天皇制や国体思想の復活をみていた。   生長の家系の出版社である日本教文社から1977年に刊行された『元号 いま問われているもの』という本がある。そのなかに竹内光則氏、佐藤憲三氏という日青協の運動家ふたりの対談(初出の「祖國と靑年」に加筆したもの)が収録されているのだが、そこでは「元号法制化の意味するもの」と題して、あけすけにこう語られている。

元号法制化運動の一番根源的な問題は、天皇と国民の紐帯をより強化する、天皇の権威をより高からしめるというところに一番の眼目がある」
「われわれの元号法制化運動は、たんに元号を法制化したらそれで良いという単純な運動ではないわけですね。彼(引用者注:右翼思想研究でも知られる橋川文三氏のこと)が言う様に、『天皇制をとりまく付帯的な事実』としての元号とか、たとえば『神器』の問題とか、そういう戦後の象徴天皇制の下で無視もしくは軽視されて来た問題を復活せしめて行くことによって、『国体恢復』への『大きな流れ』をつくる運動なんだということが理解されなければならないと思うんです」

 その後も同様だった。国際化の流れのなかで「行政文書などでは西暦を使用すべき」という論が何度か浮上してきたのだが、そのたびに保守勢力が強く反発し、現在まで温存されてきた。たとえば1992年、政府の臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)の「世界の中の日本」部会では、報告原案に盛り込まれていた「行政文書での西暦併記」が最終報告書では消されていた。保守派や官僚の抵抗によって棚上げを余儀なくされたようだ。部会長を務めた稲盛和夫・京セラ会長(当時)は「私も併記に賛成だが、義務づけると国粋主義のような人がものを言い出して、かえって変なことになるかもしれない」と政治的な配慮を認めたという(朝日新聞1992年5月23日付)。

 いずれにしても、わたしたちが、なんとなく受け入れてしまっている元号は、戦前日本の天皇制と国体思想、すなわち民衆を戦争に駆り立てた狂気の思想の復活を目指す勢力の圧力によって維持されてきたのだ。

 ところが、マスコミは今回の改元にあたってもそのイデオロギー的部分にはまるでふれず、冒頭で指摘したような元号予想やアンケートでお祭り騒ぎを繰り広げている。それどころか、元号を推し進めてきた右派勢力の親玉である安倍首相の元号利用を後押しする始末だ。

 この状況をみるかぎり、少なくともこの国は着々と戦前に回帰しつつあるということだろう。

 

 

第二版、吉本芸人が、維新の会に利益誘導する理由ー大阪人は洗脳白痴化

安倍晋三という芸人がよしもとの舞台に上がったことを追記しました。

いったいどのような笑いを取ったでしょうか?

無能に加え無芸でもありました。

しかし、この舞台に上がったこと自体が、大いなるブラックユーモアでしょう。

 

心ある多くの大阪府市民から、吉本興業の芸人らーホンコンの排外主義言論、コヤブの権力者、秩序維持擁護発言、社長の村本の政治社会ネタ芸への恫喝、などが顰蹙をかっている。

そして、かれらによって公共の電波を使った特定政党へのグッドウィル形成のための恒常的洗脳放映がおこなわれていることに危惧をする声が増えている。

国民洗脳への初の適用をテレビでおこなったナチスドイツの手法である。

また文脈の中に、維新の使うワード、政策に同期した解説などは、明らかにス

プラリミネル効果(あるモノで、聴覚・視覚から意識下に働きかけて選択的誘導を行う)として、こうしたテレビの日常的効果は認められ、本人が無自覚に同調的な選択をしてしまうことが知られている。

ナチスと違うのは、吉本芸人を介することで、直接松井や吉村が発信しないというだけだある。

 選挙前にかなりみえみえの番組が挿入されているように思う。

 その理由は以下にあります。

https://namba.keizai.biz/headline/3755/

namba.keizai.biz

【追記】

大阪12区衆院補選の応援に安倍晋三首相を、よしもとが舞台にあげた。

この愚行を吉本内部の芸人たちが批判。

lite-ra.com

 

橋下徹氏vs岩上安身氏の名誉棄損スラップ訴訟

今日(2019,3,27)は、橋下徹VS岩上安身さんの名誉棄損訴訟大阪地裁第一回公判だった。

朝から詰める予定でしたが、体調を崩し法廷には行かずじまい。

橋下のツイッターでの名誉棄損をされたというスラップ訴訟だ。
とにかくタチが悪いですねー。

まあ橋下が敗訴するでしょうが、目的がスラップ訴訟ですからね、勝ち負けはどうでもいいのでしょう。

橋下が市長在任中の、公権力を使った人権侵害裁判は全て敗訴。

しかし、一度政治的に侵害したラインは後退しない。
ここが政治の怖いところです。

自由と人権は、復元という言葉がないと思っておいた方がいいようです。
傷ついたものはみんな人間の心ですから。

 

ツイッターでの問題なので、ネット言論に影響を及ぼす恐れがあります。

資料を蒐集し、経緯を以下に追記していきます。

 

❶今回の岩上氏の裁判とは別ですが、橋下氏の人格についての極めて基本的な判断がでているので、掲示しておきます。

2011年『新潮45』11月号に記事-精神科医が橋下氏の性格について診断した記事-を名誉棄損だと橋下氏が訴えた。5年後の16年4月21日結審したが、橋下氏敗訴。

橋下氏が「虚言癖」の演技性自己愛であることを、信ずるに足ると裁判所が公に判断したのです。

根拠は、精神科医は、橋下氏の生い立ちに関係した人たちの数々の証言を判断に診断しており、それらの証言は信頼できる人達の証言だあるから、診断は妥当である、としたのです。

詳細は宮武嶺(弁護士・関西学院大教授)のBlogにあります。

https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/c4078e9f78c433de8bc27aaea214476b

 

 

 
 
 

岩手県議会、沖縄県の民意を尊重するよう決議!政府へ突きつける!

流石に、達増知事が率いる岩手県議会である。

小沢イズムが浸透し、民主主義の原則をもって県政が行われている。

 

岩手県議会では、「沖縄県民投票の結果を踏まえ、辺野古埋立て工事を中止し、沖縄県と誠意を持って協議を行うことを求める意見書」を可決。岩手県議会から日本政府に提出されます。

達増拓也 TASSO 希望郷いわて (@tassotakuya) March 25, 2019

 

 岩手県は、宮沢賢治の国、総理大臣最多排出国、

そして岩手県自由党には、復興副大臣を務めた黄川田議員もいる。

彼は、衆院議員でありながら、震災後仮設住宅に入って復興に尽力してきた人だ。

 

現在選挙戦を戦っている、井上ともひろくんが当選すると、

日本政治も、すくなくとも安倍政権のようなネオナチズム体質は払しょくされるだろう。

 

国会に小沢一郎自由党

地方に、玉木知事、達増知事、

新井上道知事を誕生させたい!

 

 

安倍政権下で続落ー「幸福度」日本は58位に後退 「自由度」「寛大さ」評価低く

右翼言論人が、よく護憲派や軍拡否定派に対して「ゆでガエル」と

レッテルを貼る。

中朝がどんどん日本を攻撃してくる危機に、軍備増強を否定して、

九条を個別的自衛権に押しとどめようという人たちは、

生温い湯で気分よく死んでいくのだという比喩である。

 

今回の幸福度ランキングをみると、そのままお返ししたい。

 

明らかに安倍政権になってから、幸福度は下がる一方だ。

先進国の各種ランキングをみると、

一人当たり教育投資額をはじめとして、未来投資関係の指標や、

個人の指標がすべて最下位なのだ。

また報道の自由度のような、民主主義度の指標は韓国より下回り始めている。

 

これらは、まさに「ゆでガエル」の右翼や鈍感国民でなければ、

ひしひしと日常の皮膚感覚でわかるはずである。

 

この最たる原因は、

安倍的右翼言論は、哲学的にみれば、未来への想像を決定的に

欠落させたためである。

反対意見には実体はどうであれ「左翼」と決めつけ、

敵対的言論で封じ込めればよいという思想だから、

当然未来社会の見取り図をもたず、自己満足の復古材料での

ブリコラージュ(ありあわせ)に過ぎないのである。

その結果の政治が、明治回帰富国強兵復古主義と、

対極ににある新自由主義による日本の切り売りや移民政策が併存している

ことである。

この奇妙さは、ものごとの整合性や正当性や根拠という、

近代原理をまったく無視する思考方法である。

 

「左翼」つぶしに快感を覚えることを喜びとするから、

どのような方法であろうとも、潰せればよいのだ。

歴史修正主義も敵/味方の分断政策も、言論界やマスコミへの強圧的介入弾圧も、

すべて許されることにしてしまった。

 

そうした重苦しい、暗い世情が当たり前になると、

眼を開けてものを見ようとするものは、たちまち光線で眼をやられてしまう。

国民は、自ら眼を閉じ、ものを見ないようになってきたわけだから、

未来が見えないという暗黒に置かれているわけけで、

幸福など感じられなくなることは当然であろう。

「幸福度」日本は58位に後退 「自由度」「寛大さ」評価低く

世界の国や地域の「幸福度」をランキングにした国連の報告書が

まとまり、日本は去年より4つ順位を下げて58位でした。

G7=主要7か国の中で最も低く、台湾や韓国を下回りました。

国連は7年前から、1人当たりのGDP=国内総生産や健康に

生きられる年数、社会の自由度などを数値化し、世界の国や

地域の「幸福度」をランキングにしています。

20日に発表されたことしの報告書によりますと、フィンランド

が2年連続で1位になったほか、2位にデンマーク

3位にノルウェーが続き、福祉や教育が充実している

北欧諸国が上位を占めました。

このほかイギリスが15位、アメリカが19位でした。
日本は去年より順位を4つ下げて58位でした。
長寿国だけあって「健康に生きられる年数」は上位だったものの、

「社会の自由度」や「他者への寛大さ」を評価する数値が低く、

主要7か国では最下位でした。

アジアでは、25位の台湾、34位のシンガポール

54位の韓国などを下回りました。
このほか中国が93位、

政治や経済の混乱が続く南米のベネズエラは108位となり、

最下位の156位は、紛争が続き去年8月に和平協定が結ばれた

アフリカの南スーダンでした。

 

NHKの良心たちを支援しようー週刊ポスト『NHK組織大改変で“反権力”職員72名が提出した反論意見書』そのまま転載!!

週刊ポストのスクープである。

同じメディアに携わる者たちが、安倍政権下で進行した「安倍自民党独裁電子台」化と今回の良心的職員の駆逐を、憂慮している点で、重要な記事であり、視聴者はNHK会長への抗議の声を上げることが大事だろう。

 

 

「安倍一強」と言われる政治状況は、権力とメディアの関係性もがらりと変えた。露骨な圧力など加えずとも、メディアの側が権力にすり寄る構図が鮮明になっている。NHKの「組織大改編」をめぐる騒動は、その一面を露わにした。

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NHK組織改編の図

◆部の全員が声を上げた 

ここに「要望書」と題した一通の書面がある。差出人は、NHKの文化・福祉番組部職員一同。宛先は同局の制作局局長だ。要望書にはこうある。

〈今回の組織改正案について、文化・福祉番組部では1月31日・2月4日に、〇〇(注・原文では本名)部長より説明会が開かれました。(中略)福祉と文化が切り離されることについて驚きと強い懸念を抱いています〉
〈現在部員の全員(管理職を含む)が、現状の説明では納得がいっていないと考えています〉
NHKの番組全体の多様性が失われることを懸念する〉

 要望書の中で、局長に対し、〈意見交換の場を求める〉とした部員は72名。海外留学中の部員を除く全員である。NHK局員が語る。

「現在、NHKでは番組制作体制の大幅な見直しを進めています。すでに上層部は組織改編案を作成しており、今年6月から新体制をスタートする方針です」

 NHKEテレやBSを含む)の自局番組制作は、政治部や社会部、経済部などニュース系番組を担当する「報道局」と、ドラマやバラエティ、情報番組を担当する「制作局」の2局によって行なわれている。今回、“改革の本丸”となったのが後者の制作局だった。

 改編案には、制作局の8部署(青少年・教育番組部、文化・福祉番組部、経済・社会情報番組部、生活・食料番組部、科学・環境番組部、ドラマ番組部、エンターテインメント番組部、音楽・伝統芸能番組部)を全て廃止し、新たに6つの「制作ユニット」に再編するとの計画が示されている(図参照)。

「『従来の組織は縦割りで、専門性は身につくものの、幅広い制作スキルが育たず、局員の柔軟な運用もできない』という説明です。各ユニットには部長に相当するジャンル長がいて、人事発令がなくても、それぞれのジャンル長の判断でユニットをまたいだ異動ができるようになる」(NHK制作局の局員)

 縦割り体制の見直しを目的とした組織改編という理由はもっともに聞こえるが、今回の改編には、それとは“別の意図”が見え隠れするという。

「改編と言っても、旧来のほとんどの部署は横滑りで新ユニットに移行する。例えば、『青少年・教育番組部』は第1ユニットの『教育・次世代』に、『エンターテインメント番組部』と『音楽・伝統芸能番組部』は第5ユニットの『音楽・芸能』に改編されるので、業務内容はこれまでと大きく変わらない。

 しかし、『文化・福祉番組部』だけは複数ユニットに分割されることが提案されており、事実上の“解体”です。それについては明確な説明がなく、文化福祉の職員から不満の声が上がり、反論の意見書を出すことになった。70名以上の部員全員が声を上げるのは異例のこと。この改編は文化福祉の解体を狙い撃ちにしたものだったのではないか、との疑いが部員たちの中にあるのです」(文化・福祉番組部に在籍経験のある局員)

 リストラ部署の恨み節にも聞こえるが、文化・福祉番組部の置かれた状況を知ると、背景には複雑な構図が浮かび上がる。

◆加速する「安倍シフト」

 文化・福祉番組部の主な制作番組には様々な社会問題を取り上げるドキュメンタリー番組『ETV特集』や、LGBTや障害者の悩みなどマイノリティに寄り添う『ハートネットTV』などがある。そうしたテーマを扱う中で、時に「反権力」を強く打ち出すことも厭わない──というのが局内での評価だ。

「『ETV特集』では、憲法九条や日本の戦争責任、女性の権利などを重点的に取り上げています。政権のスタンスと真逆の番組も多く、局内有数の“反権力部署”とも呼ばれます」(同前)

 2011年3月の東日本大震災後は、福島第一原発事故による放射能汚染の実態や、反原発報道に力を入れ、同年9月に放送したETV特集『シリーズ原発事故への道程』は2012年の科学ジャーナリスト大賞を受賞した。

 文化・福祉番組部が“反権力”の姿勢を見せる一方で、2012年12月に第二次安倍政権が誕生すると、局としてのNHKは「政権寄り」に傾斜していった。

 安倍首相の就任1年目となる2013年10月には、小学校時代の安倍首相の家庭教師を務めたJT顧問の本田勝彦氏をはじめ、小説家の百田尚樹氏、海陽中等教育学校長の中島尚正氏ら“安倍シンパ”がNHKの経営委員に次々と就任。翌年1月には、籾井勝人氏がNHK会長に就き、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」発言が物議を醸した。

「第二次安倍政権の誕生以降、NHKでは政権に近い政治部出身者の声が大きくなり、2017年4月に政治部長経験者の小池英夫氏が報道局長に就任して『安倍シフト』に拍車がかかった。昨年4月には“安倍番”を長く務めた政治部の岩田明子記者がNHK会長賞を受賞するなど、官邸との距離の近さが際立つようになっている」(NHK社会部記者)

昨年の森友問題を巡っても、当時NHK大阪報道部記者だった相澤冬樹氏が、政権を揺るがす特ダネに上層部から様々な圧力が加えられた経緯を『安倍官邸vs.NHK』(文藝春秋)で明かしたばかりだ。相澤氏が語る。

「安倍政権が長期政権となって官邸の力が巨大化したこともあり、局として政権の意向をうかがう姿勢は強まる一方だと感じていました。私のことだけでなく、迎合する姿勢を見せなかった国谷裕子キャスターや大越健介キャスターの番組降板も、そうした流れのなかにあったのではないか」

 そうした中で、変わらぬ姿勢を貫く文化・福祉番組部は“浮いた”存在になっていったようだ。

「政権を刺激する番組を作り続ける文化福祉は、局の上層部にとっては煙たく映ったのかもしれない。改編案に文化福祉が憤るのも無理はなく、他部署の人間からも“これはさすがにおかしい”と、文化福祉を援護する声が上がっています。

 正直、文化福祉の作る番組は“地味”なものも多く、数字は取れない。局内にも批判的な人はいます。しかし、公共放送の存在意義は、視聴率には表われない少数派に寄り添う社会的弱者に寄り添う番組を作ることにもあると思う。視聴率至上主義なら『ETV特集』のような番組はなくなってしまう」(前出・制作局局員)

◆18年越しの“対立関係”

今回の改編に政権への配慮があるのかどうかはともかく、安倍首相にかねてから「NHK改革」の強い思いがあったことは知られている。前述した経営委員の“お友達”人事はその姿勢の表われと見られてきたが、こと文化・福祉番組部は、安倍首相にとって長きにわたる“因縁の相手”だった。

 発端は、2001年1月30日に放送されたドキュメンタリー番組『ETV2001 問われる戦時性暴力』だ。

 番組は慰安婦問題を扱う女性国際戦犯法廷を取り上げたが、放送から4年が経った2005年1月、朝日新聞が、「政権介入でNHK慰安婦』番組改変」と一面で報道。当時自民党幹事長代理だった安倍首相が、故・中川昭一経産相とともに、放送前日にNHK幹部と面会。「一方的な放送ではなく、公正で客観的な番組にするように」と、番組内容の変更を求めたと報じた。

 当時、この番組を制作したのが、他ならぬ文化・福祉番組部だった。

 報道直後に同部のチーフプロデューサーだった長井暁氏が記者会見し、安倍首相と中川氏を名指しして、「政治的圧力で番組の企画意図が大きく損なわれた」と涙ながらに告発。安倍首相は、朝日新聞と長井氏に対して「悪意のあるねつ造だ」と抗議し、謝罪を要求する騒動になった。因縁は続く。

 2009年4月にNHKスペシャルで放送された『シリーズJAPANデビュー アジアの一等国』では、日本の台湾統治を検証したが、台湾先住民の暮らしぶりを日英博覧会で「人間動物園」として紹介した、といった内容に、保守派論客から「事実を歪曲している」と批判が広がった。その急先鋒に立ったのが安倍首相で、月刊誌『WiLL』(2009年8月号)ではこう断じた。

NHK職員は公共放送の責任をよく自覚する必要がある。自分の主義や主張、イズムを放送を使って拡大させようとするのは間違っている〉

 この番組にも文化・福祉番組部のディレクターらが関わっていた。

「当時の番組スタッフは今も多くが残っている」(別のNHK局員)

 NHKは、安倍首相との間に残った“最後のしこり”を取り除こうとしているのだろうか。今回の組織改編案についてNHKに質問すると、こう回答した。

「限られた経営資源で最高水準の放送・サービスを継続的に実施していくための最善の業務体制を検討しています。ご指摘のような(政権への配慮の)意図は一切ありません。報道機関として、自主自立、不偏不党の立場を守り、公平・公正を貫く姿勢を引き続き堅持していきます」(広報局)

 かつてNHKでは、田中角栄元首相の側近として知られた島桂次氏、竹下派をバックにした海老沢勝二氏など、歴代会長が時の政権とのパイプによって局内の権力を握ってきた歴史がある。一方、そうした中で政治闘争に巻き込まれ、実力者が失脚する事態も起きた。メディアと権力の関係に詳しい立教大学名誉教授の服部孝章氏が語る。

「かつての番組改変問題にしても、政治家の介入の有無よりむしろ、それに配慮して内容を現場に無断で上層部が変えてしまったことこそが、報道の在り方として問題でした。今回の組織改編は、政権に批判的な番組制作自体に縛りをかける方向に動いているようにも見える。本来、NHKは国民の受信料によって成り立つ国民のためのメディアですが、NHKは政府のための広報メディアに変わろうとしている」

 本誌がNHKに取材を申し入れた2月14日には、上層部から文化・福祉番組部の部員たちに対し、組織改編の説明会が行なわれ、今後も双方の話し合いが続く見込みだという。

 公共放送の在り方が、今まさに問われている。

週刊ポスト2019年3月1日号

https://www.news-postseven.com/archives/20190217_871306.html

 

森友学園事件、財務省の敗訴ー情報開示拒否は誤り!

 

森友学園事件について、市民運動側からの近畿財務局への小学校設置に関する設立趣意書開示要求が、「のり弁」であった。

それに対する国の不当な情報隠しは市民に不利益をもたらしたという訴訟である。

今回市民側の勝訴となった。これによって最近強まっている国に情報隠蔽体質に風穴を開けるのとなるよう期待したい。

次は、木村真市議の同様な訴訟が、5月に地裁の判断がでる。

注目です。

 

森友学園の設立趣意書、不開示は国の「誤った判断」判決  

    一色涼 

学校法人森友学園大阪市)が開校を目指した小学校の設置趣意書を国が当初不開示と決定したのは不当だとして、情報公開請求した上脇博之(ひろし)・神戸学院大教授が国に約110万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が14日、大阪地裁であった。松永栄治裁判長は国に5万5千円の支払いを命じた。

松永裁判長は判決理由の要旨を読み上げ、設置趣意書に小学校名や教育理念などの「経営上のノウハウ」があるとして不開示にした財務省近畿財務局の判断について、「(趣意書の)教育理念は概括的かつ抽象的で、実質的に公になっている。同じ校名を使用した学校は他にも存在し、独自性はない。近畿財務局長はなんら合理的根拠がないのに誤った判断をした」と述べた。

 上脇氏は2017年5月に財務局に設置趣意書の開示を請求したが、財務局は同7月に不開示を決定。上脇氏が同10月に決定取り消しを求める訴訟を起こした翌月に国が一転して開示を決めたため、上脇氏は情報公開請求権を不当に侵害されたとして国に慰謝料を求める訴訟を新たに起こしていた。

 国側は「森友学園の競争上の地位や事業運営上法的保護に値する利益などを害する恐れがあった」として不開示決定は妥当だったと反論していた。