そうか、そうか、前川喜平とはそうだったのか⋯。

文部官僚で次官にまで上り詰めて、

数々のおかしな政策を実施して、

退官すると、急にリベラル色でマスゴミの文化的劣化に加担して「良識派」となった。

 

以前から、全共闘経験者からは評判が芳しくなかったのだが、

エリート高校から東大へ、そして文部官僚へ。絵にかいたようなエリートだ。

 

驚きは、更なる事実であった。

中曽根康弘は、もと陸軍主計将校で、従軍慰安婦の予算から設備配置まで担当していた男である。彼は戦後自民党タカ派で、総理となって確か初めて靖国参拝も果たしたが、アメリカからの圧力で一回のみ、その後中止した。

その中曽根の息子は、前川喜平の妹を妻にしており、中曽根と前川は姻戚関係にあるのである。

どうりで、出世したものだ。

 

内田樹といい、平成天皇の代替わりに、転向声明を発表して、天皇制を容認すると見えを切った。尾高朝雄のノモス天皇論こそが明治から昭和15年戦争を引き起こしたことを不問に付し、清算するものであった。

日本は天皇と世俗権力の楕円の統治こそ日本の伝統的統治形態で、それに勝るものはないと。

いかにもリベラル風言説を解いてプチブル底上げ大衆を吸引するが、それは長期で見れば、日本の底の抜けた政治の劣化を保守と合同で推進するものでしかない。

 

東京のエリート校から高校全共闘を経て、おかしくなっていった者たちは他にも多い。

前川は前川製作所の御曹司であり、内田は確か一族が知識人だらけで、出自を追えば戦前のエリートが無傷で戦後に滑り込んだ者たちの子弟である。

 

こういうところにも、日本人の復古的心性が隅々にまで浸潤したのである。

日本人は、自分の出自から抜け出られない。

それが原因で、芥川は自殺、江藤淳も自殺、吉本は生涯船大工の倅の眼からエリートを対象化する思想と格闘した。

 

私たちは、表層の言説から、深層にある無意識の体質、思想を掘り下げて掴むコ必要がある。

しかし複層化した社会となり、日本近代を捏造した教科書で育てられ、戦後という共有の概念さえ喪失した果てに、言説の本人さえも意味が解らず陥穽に転落していくのである。

 

 

 

優性思想について考えるー市野川保孝東大教授(社会学)於れいわ新選組での講演

 

命についてのレクチャー 講師:市野川容孝先生「優生思想について考える」2020年8月19日

2020年8月19日に党内で、
命についてのレクチャーをオンラインで開催いたしました。

今回の講師、市野川容孝先生より、
読み上げ原稿の公開を承諾いただきましたので、
以下、掲載いたします。


 皆さん、こんにちは。東京大学社会学の教授をしています、市野川容孝(いちのかわ・やすたか)と申します。今日は「優生思想について考える」と題して、お話しさせていただきます。
 今日の話に関連するものとして、私は『優生学と人間社会』(共著,講談社現代新書,2000年)、『身体/生命』(岩波書店,2000年)、『生命倫理とは何か』(編著,平凡社,2002年)といった本を出版してきました。1990年代の後半から障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)という学問の、日本での立ち上げにもかかわってきました。現在、その障害学会の学会誌『障害学研究』の編集委員長をしています。障害者の自立生活運動にも、介助者として、かなり長くかかわってきました。
 こういう仕事をする中でお世話になったある方から7月26日にメールが来て、れいわ新選組の大西つねきという人が、「命、選別しないとダメだと思いますよ」「その選択が政治なんですよ」と発言して、れいわから除籍の処分を受けた。しかし、大西さんを除籍して、終わりにするのではなく、党内で勉強会をすることになった。ついては、そこで、優生思想とは何か、その歴史的な系譜を話してほしい、と依頼されました。
 れいわ新選組は、申し訳ないけれども、私の支持政党ではないし、大西つねきさんのお名前も、今回、初めて知った次第です。私が、目下、関わるべきことは、旧優生保護法をめぐる国賠訴訟の方で、この1月には東京地裁で原告被害者側の証人として尋問を受け、証言しましたが、残念ながら、東京地裁が6月30日に出した判決は、原告の訴えを斥けるものでした。昨年5月の仙台地裁の判決でも、原告側の訴えは棄却されました。仙台の原告も、東京の原告も控訴します。そのために私ができることを優先すべきかもしれませんが、お世話になった方からの依頼であり、れいわ新選組の人たちにも、旧優生保護法の問題を知ってもらえれば、という気持ちもあって、この依頼をお受けすることにしました。
 ただし、れいわ新選組が、これからどうすべきなのか、といったことは、私の関知するところではありません。皆さんからの依頼を受けて、これから優生思想について歴史的にお話ししますが、それを受けて、どうすべきかは、皆さんで考えて決めください。
 それから、今日は皆さんからの質問に答えることは、基本、しないでおこうと思います。少なくともそうする前に、私から逆に、これからお話しすることをふまえて、れいわ新選組の皆さん、その支持者の皆さんに、いくつかお尋ねしたいことがありますので、可能な範囲で、それに答えてください。私に質問するよりも、部外者である私の質問に答えていただく方が、れいわ新選組のこれからを見定めていく上で有益だと思いますので、是非、そうしてください。

目次

1.映画『私は訴える』
2.優生思想と優生学
3.優生学とは何か
4.優生学≠ナチズム
5.優生思想としてのナチの安楽死計画
6.日本の優生政策──敗戦後の本格化
◆ 私から、れいわ新選組の皆さんへの質問

以下は、こちらのサイトで読める。

命についてのレクチャー 講師:市野川容孝先生「優生思想について考える」2020年8月19日 | れいわ新選組 (reiwa-shinsengumi.com)

若者と『美と共同体と東大闘争』読書研究会

27日(土曜日)哲学研究会は、
「美と共同体と東大闘争」(角川文庫)がテーマであった。
 
院生の日本近代史の研究の一環として資料の読み込みが動機であったようだ。
 
従って、自分たちが社会的矛盾への変革のコミットメントをする視点ではないから、今一つテーマとして欲しいところを外している。
東大の三島由紀夫との対話が全共闘の中核的活動であったのではないということ。
映画など観たものに言わせれば、全共闘は1人もでていない、まがいものだという批判もある。
つまり、ネットもない時代だから、党派の誇大宣伝の機関紙のない無党派全共闘は、東京で何が行われていたかは知るのは結構難しかった。
しかし、東大が闘争のすべてのように、結局普通の歴史と同様エリート権威筋や出版文化人たちが、エリートの闘争をすべてのように歴史としてのこすのである。そこを理解してみておく必要がある。
全共闘らしい無名の学生が連帯して、共闘会議方式をつくったのが全共闘なのだが、党派はヘゲモニー争いの中でそうした一般学生の共闘会議に乗っかってきた、と言った方が分かりやすいかもしれない。
60年安保の総括は、ブント全学連より強固な共産党を乗り越えた党派を作り、70年の安保粉砕に照準を合わせてできたわけで、全共闘のように実存的思想は少なく、政治主義であった。したがって政治街頭闘争にすべて集約することになり、全共闘の文化革命の側面は結局未完で終わってしまった。
また、院生の指摘にあった映画「平成狸合戦ぽんぽこりん」平畑薫監督は、闘争当事者の運動内在化を表現した、総括作品として、多くの当時の学生の共感を呼んだ。
そうした誠実な少数ではあるが、闘士によって現在につながる、差別闘争、個人加入ユニオン、スターリニズム脱却の市民運動、などなどの源流を形成した。
こんな話をしたのでした。
 
質問、中国文化大革命などの影響はあったのか?
一部東京にはML派というのがいて、毛沢東中国革命、
   あるいは根拠地論なんかいう馬鹿がいたが、関西にはほと
   んど見かけなかった。
   ただファッション的にかぶれたのもいたし、小生も中国
   製万年筆をかって一週間で潰れたれど(笑)。
質問、東大生は結局卒業してエリートになったのが多いでしょう?
 確かに。しかし資本と賃労働の関係性を免れることはでき
   ない。
   旧左翼の「転向」概念はない。それぞれの立場で資本の運
   動と闘うまみだ。その他は個人の生き方。
質問、当時の大学生は、こんなむつかしい議論をすることができ
   たのか?
何言ってるかわかるか?こんな観念的な訳の分らんことを言
   っているのは、芥とか小林とかここに来た連中で、全共闘
   活動家はもっと違うことを問題にしていた。
   文化論、歴史性、時間論、言葉と肉体と精神、かみ合って
   ていないし、形而上学=主客論を抜け出ていないように読め
   る。(時間論はせいぜいベルグソン程度?ベルグソンは当時は
   もっとも示唆的ではあったが)。
   山本義隆などのを読むと、みんなもっと実存主義であって
   マルクスなど必要に応じて読んだにすぎない。
   抑圧的な「日本村落共同体」から70年以降の「市民社会
   形成に移行する端境期に発生した、精神の改変と社会関係
   の組み換えを先取りして要求した、というのが真実だろう
   、と解説。
 
後は梅本主体性論、宇野経済三段階論、広松渉マルスク哲学などなど紹介。
学生運動も、エリートが歴史を記述するから、小熊英二みたいな偽書を書くやつもいる、十分オーラルヒストリーを積み重ねる必要があることを注意する。
 
恥ずかしきわが青春を反芻する、それが若い人たちの資料に資すれば幸いである。
 
(書きなぐりのレポートで読みづらいと思いますがご容赦願います)
 

自分の脚で歩けるー日常が愛おしい!

民生委員のご婦人が、小生が歩いている姿を見たと、感動したと手紙を投げ込んでくれた。
一番重症の這っている姿をしっているため、よほど闘病に努力したのだろうと、感動したと。
ありがたい、支援センターから介護認定取得までレールを敷いてくれた、また家族の複雑な関係を一言も詮索せずに黙って言う通りにフォローしてくれた。
二度と立って歩くことはできぬだろうと、関係者はみな思っていたはずだ。
本人が実は今の二足歩行が一番信じられないのだから無理もない。
多くの人が助けてくれた、そういう意味では、行政も赤の他人も捨てたものではない。
感謝するばかりである。
 
歩けるということは、本当に素晴らしい。
最近、見つけた近くのベーカリーのカフェは、コーヒーが220円で飲み放題だ。
食パンは、北海道産小麦使用で5枚切が350円、チラシのクーポン券で100円引きになる。
食品については途端にナショナリストになる小生は、クーポン券を握りしめてそのパンを3日に一度買うのである。
こんなささいな幸せも、自分の脚で歩くから出会えたのだ。
この店を辞する時は、いつも振り返って心のなかで「ありがとう」と呟いている自分がいる。
今は、こういう些細な日常が愛おしい。

山本太郎は語る、衆院選勝利後の北海道集会

 

小林著「平成令和学生たちの社会運動」討論と警職法改訂へのシンポジュウムーzoom会議にて。

昨日(土曜日)は、
哲学ローカルトレイン研2時間、
警職法改訂へ「安永健太さんの悲劇を繰り返さないための提言」4時間半、
の二本をこなした。
ベッドで寝たり起きたりなので、何とか乗り切りました。
長くPCを打てないので簡単にメモしておきます。
①哲学
林哲夫「平成令和学生たちの社会運動」読書討論。
本自体は、従来の学生運動ものの実績から手慣れた網羅的な処理は全員評価した。
しかし、その網羅の仕方が粗雑すぎないか、すなわち著書には著者のコンセプトや思想性が貫通していなければならず、それにしては対象への掘り下げが甘くかつ軽薄であるのはなぜだ。
傾向としては、小熊英二並の、意匠を変えて、「新しい運動」をセールスポイントにしてしまっているのではないか、という厳しい意見も出た。
とくに全共闘との対比を随所にはめ込んでいるが、小熊並の俗説や捏造を平気でさも全体を表象するものとして記述するのは、軽い書物だけに学生運動に誤解や予断を持ち込み、運動の連続性ではなく切断を意図的になしているのではないか。
連続性の主軸が、暴力性の問題に限定されているきらいがあり、全共闘も党派間ゲバルトもごったにしてしまっている点で、問題だろう。
小林は、平成令和の学生が組織的ではなく、個々人が立ち上がって社会的矛盾にコミットしている点を、大きな違いで「美質」であるように描いているが、それは全共闘運動が党派を嫌い個々に共闘会議を結成した「美質」の最も継承している点ではないのか。
まあ長くなるので、この辺でやめるが、これは大方当時を知る私らの世代の意見でした。
若い人は学生運動自体をしらないのが多いから、とっかかりに手にするには手ごろでいいというのが、学校関係者でした。
私は、歴史修正主義は右からだけではない、左からの文化左翼によってもなされたのが平成だと主張してきた。
平易でとっつきやすいほんだとしても、間違った記述は許されない。
例えば、シールズの発言に「僕らが民主主義をつくればいい、なぜ、戦後民主主義の再生産を考えないのか。民主主義を否定するよりもリセットさせるべきでしょう」と、全共闘戦後民主主義が欺瞞的であったと定義していた、と小林は前振りしつつ、この記述をかぶせている。
たしか奥田某の発言だったと記憶しているが、小熊らが流布したデマをうのみにしている学生がいたら、その発言は記載してもいいが、せめて発言内容や事実誤認があった場合は、註を付けるなりして間違いを指摘しておく配慮が欲しかった。
繰り返し主張しておくが、全共闘戦後民主主義が不徹底である、よって実質的な民主主義を求めていく、というのが正しいスローガンである。
でなければ、さまざまな分野で、まがりなりに法的改訂や整備が進むわけがないだろう。
それから、過激派と内ゲバ暴力が同一に語られているように思うが、民青同が東大闘争で、バリケード解除のために数百人のヘルメット部隊を用意し夜陰に紛れて投入したことを小林は知っているのだろうか。
民青同こそが、ゲバルトの本家であり、「過激派」であったことを付記しておく。
警察官職務執行法の「精神錯乱者」は国際的に恥ずかしくないのか?
ー安永健太さんの悲劇を繰りかえさないための提言ー
いわゆる「健太の会」の活動の一環です。
知らない人に説明しておくと、
14年前、安永健太君が、佐賀県警トロールのパトカーに追いかけられ、知的障碍者のため大きな音にはパニクってしまう特徴がありましたので、逃げた結果、信号待ちのバイクに追突し、警官五六人に取り押さえられ、施錠されたまま約10分ほど路上で圧殺されました。
ご記憶がありますか、そうです、米国のジョージフロイド事件と全く同類の事件が、日本ではすでに10年以上も前に発生していたのです。
日本人のおかしなところは、自国民の権利問題には全く頓着せず、外国人の権利問題はマスコミ上げて、左派モドキの学生がファショナブルに「ブラックイズマター」といってはしゃぐことです。
とくに左右を問わず、優性思想をソフトに維持し続ける日本人は、障碍者精神病者の権利には全く取り上げず権利問題としては退けてしまうところです。
遺族は訴えましたが、最高裁でも、警察官の行為は職務執行で合法であったと断定され、敗訴しました。
その根拠は警察官職務執行法にある「精神錯乱者」とみなしたものは拘束を合法化しているからです。
このように規定は、国連人権委員会に加盟している国にはどこにもありません。
この言葉自体が極めて当事者からすれば侮蔑的なもので、健太君は温厚でゆっくり喋ればだれとでもコミュニケーションが取れていました。みんなにも愛されていたのです。
「警官がこいつは精神錯乱者」だときめつければ、全て施錠して圧死させるほど抑え込んでも合法化されるのです。
病状には個性があり、それを警官は熟知して、あくまで「保護」することが世界標準なのに、日本の警官は裁判で初めて障碍者と知った、また接した、それまでどういう態度をとるかなど全く知らなかったと陳述しています。
そういう未熟練の警官に職務ができるように法律は「精神錯乱者」という言葉を規定して、殺害もありうることを保障しているのです。
長くなりますが、14年たってやっと警職法改訂への全国関係者の大同団結が進み、そのオンラインシンポジュウムにこぎつけました。
医学的に考えるのではなく、社会モデルとして考える。
社会の側が障碍者精神病者を問答無用に「精神錯乱者」として決めつけるのではなく、障害者の自己決定権を社会が支える、という視点の転換をしていく必要があるように思います。
JA.WIKIPEDIA.ORG
知的障害者身柄確保死亡事件 - Wikipedia

上昌弘著「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」(忘備録)

忘備録です。

「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」/医療ガバナンス研究所 上昌広

コロナ対策の迷走は、日本社会の劣化を白日の下に晒した。今や指導層のメンタリティは、国家権力に阿る「奴隷」だ。

2021年10月号 DEEP [物言えば唇寒し]
by 上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

「医系技官の牙城」厚生労働省(東京・霞が関

9月3日、菅義偉首相が退陣を表明した。マスコミは「コロナ禍迷走一年」(読売新聞9月4日)と対応を批判し、その理由として「専門家の懸念や閣僚の進言を無視」し「トップダウンを多用」(いずれも朝日新聞、同日)したことを挙げる。

筆者は、このような論調に違和感を覚える。厚労省でコロナ対応を仕切る医系技官や新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂氏などの専門家の対応を見れば、菅総理ならずとも不安になる。なぜ、総理は専門家の声に耳を傾けなかったのか――。この点を十分に論議しなければ、菅首相退陣の真相は見えてこない。

「日本人であることが嫌になった」

尾身茂理事長

私は、菅総理が専門家の声に耳を傾けなかったのは、彼らを信頼していなかったからだと考えている。9月5日のパラリンピック閉会式で映し出されたパリ市民はマスクなしで、大はしゃぎだった。

なぜ、感染者数が約2倍(人口比)、死者数が3.6倍のフランスで制限が緩和され、日本では「ロックダウンみたいなことを法制化してくださいというようなことさえ議論してもらう」(尾身氏、8月5日)」や「(ワクチン接種が進んでも)会食制限・マスク今後も」(朝日新聞9月7日)となるのだろう。

日本の専門家は疑問符だらけだ。最大の問題は科学を軽視することだ。例えば、コロナ流行当初から、PCR検査を抑制し続けている。9月2日現在の人口1千人当たりの検査数は1.0件。主要先進7カ国で最下位だ。トップの英国(12.3件)とは比べものにならない。コロナは感染しても無症状の人が多く、彼らが周囲にうつすのだから、検査数は増やすべきだ。日本だけが、なぜか例外だ。

昨年8月まで、医系技官のトップとして、コロナ対応を仕切った鈴木康裕前医務技監は、「陽性と結果が出たからといって、本当に感染しているかを意味しない」とし、その理由として「死骸が残っていて、それに反応する」(毎日新聞、昨年10月24日)」こともあると説明し、擬陽性の頻度を、医療業界誌のインタビューで1%と仮定している。

これは、いつの時代の議論だろうか。ゲノム医学の進歩は急速だ。1990年に始まったヒトゲノムプロジェクトは、ヒト一人のゲノムを読み切るのに13年を要したが、今や数時間だ。コストは約3千億円から数万円まで低下した。この間、PCR検査などのテクノロジーも急速に進歩した。適切に条件設定すれば、人為的エラー以外に偽陽性はまず生じない。

世界は、最新技術をコロナ対応に適用している。7月、南京でデルタ株の感染者が確認されると、中国政府は約1800万人の住民に対し、1カ月の間に3回PCR検査を実施し、約1200人の感染者を確認した。感染者や接触者を隔離し、7月22日には感染者はゼロとなった。これが最新の科学だ。

中国はゲノム研究の領域で世界をリードする存在だ。深圳に本社をおくBGIグループは、世界最大のゲノム解析集団だ。昨年1月中国がコロナゲノムを解読した際には、同社の科学者が参加しており、流行開始から半年で世界180カ国に3500万セットの検査キットを販売した。日本のような議論はない。

このような状況を知ると、筆者は司馬遼太郎を思い出す。晩年、司馬はノモンハン事件を題材にした小説の執筆を考えていたが、取材を続ければ続けるほど「日本人であることが嫌になった」と断念した。日露戦争の成功体験に酔いしれ、組織や兵器を近代化することなく、無惨な肉弾戦で大敗した。その敗北を隠蔽し、精神論を振りかざし、挙げ句の果てが敗戦だ。私にはコロナ専門家と被って見える。中途半端な知識をひけらかし、検査を抑制した。コロナが蔓延するや、若者の行動や飲食店を槍玉に挙げ、人流抑制を求め、ロックダウンまで言い出した。

JCHO東京新宿メディカルセンター

軍幹部とコロナ専門家に共通するのは無責任だ。例えば、尾身氏は元医系技官で、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)の理事長を7年間務めている。JCHOは社会保険病院や厚生年金病院の後継機関だ。社会保険庁の年金不祥事の際に、一旦は民営化が決まったが、最終的に独法となった。公衆衛生危機に対応することが、設置根拠法で義務付けられ、発足時には土地・建物は無償で供与され、854億円の政府拠出金まで提供されている。法人住民税などは免税だ。

では、JCHOは、どの程度の患者を受け入れているのだろう。尾身氏は、「最大限やっている」と説明してきたが、実態は異なる。JCHOは、都内に5つの病院を有し、総病床数は1532床だ。このうちコロナ病床は158床で、全体の10.3%だ。8月6日現在の受け入れは111人でコロナ病床稼働率は70%、総病床の7.2%に過ぎない。組織の設立主旨(公衆衛生危機対応)を考えれば、全病床をコロナ病床に転換してもおかしくない。そうすれば、都内の病床不足の問題は、あらかた解決する。

有価証券運用に余念がない「JCHO」

不甲斐ない田村憲久厚労相

Photo:Jiji Press

JCHOは本来、患者受け入れの中心的役割を果たすべき組織だ。ところが、尾身氏や厚労省は、最初からそのつもりはなかったようだ。5月11日、田村厚労大臣は、JCHOなど4つの組織が協力し、105人の看護師を医療逼迫地域に派遣すると発表した。コロナ患者の診療は手がかかる。JCHOが中心的役割を担うなら、医療従事者の派遣ではなく、自らの施設にコロナ病床を確保しなければならない。都内のJCHOの病院が、アルバイトでもいいから医師や看護師をかき集めているという話は、寡聞にして聞かない。

一方、補助金は受け取った。20年度の総額は324億円で、前年度から194億円増だ。コロナ名目235億円のうち、195億円は収益として計上されている。JCHOの現預金は688億円、前年度から有価証券を130億円買い増し、運用に余念がない。こうした振る舞いは、誰が見てもおかしい。

詰まるところ菅首相は、彼らの暴走を食い止められず、退陣に追い込まれた。なぜだろう。コロナ問題の本質は、まさにこの点にある。一国の総理大臣をしても、厚労省や専門家を制御できないのだ。

筆者は、民主主義の根幹である権力の相互チェックシステムの機能不全が原因と考えている。西側先進国は、立法、司法、行政の三権が分立し、さらにメディアやアカデミアが監視することで、権力の暴走を抑止することを、社会の基本構造にしている。なぜ、このシステムが、医系技官や尾身氏に対して機能しなかったのだろうか。それは、立法府はもとよりメディアとアカデミアの劣化が著しいからだ。これこそが、安倍・菅政権の弊害だ。

まずは立法府、つまり政治家だ。コロナ対策には、医学や公衆衛生に関する専門知識が必要だ。感染症法、検疫法を所管する厚労省の医系技官が中心的な役割を果たすことになる。問題は、彼らが間違えた時だ。彼らと対等に議論し、方向修正できる政治家は限られている。その代表は、09年の新型インフルエンザ流行時に厚労大臣を務めた舛添要一氏だ。東京大学助教授時代の教え子を中心に「チームB」を組織し、医系技官や専門家と議論させ、海外ワクチンの導入など軌道修正に成功した。

かつての自民党には、舛添氏に限らず、厚労行政に通暁した「族議員」が多数いた。今回のコロナ流行で、厚労省に異議を唱えたのも、そのような議員たちだ。その代表が、自民党行革本部長として、国の責務の明確化、指揮命令系統の一本化から、PCR検査の拡充や公的医療機関への重症・中等症患者の選択と集中を訴えた塩崎恭久・元厚労大臣だ。

今年1月の緊急事態宣言発令時には、国公立病院の対応を問題視し、自身のメルマガで「今でも法的に厚労大臣が有事の要求ができる国立国際医療研究センターが重症患者をたった一人しか受けていない状態を放置している事の方が問題だ」と批判した。国公立病院の患者受け入れ状況は公表されておらず、塩崎氏のメルマガに関係者は衝撃を受けた。これは、議会が政府をチェックした一例だが、官邸強化を推し進めてきた安倍・菅政権で、医療行政に通じた国会議員は力を失った。次の総選挙では、塩崎氏をはじめ多くの「族議員」が引退する。

野党の地盤沈下も著しい。09年には、民主党(当時)の長妻昭議員らが社会保険庁の問題を糾弾し、政権交代へと導いた。民主党で医療政策をリードした故仙谷由人氏は、厚労省傘下の研究機関のあり方を問題視し、政権交代後は行政刷新担当大臣として、国立がん研究センターなどの独法化を主導した。現在、問題となっているJCHOは、社会保険庁が所管する組織が経営した病院群を母体としている。ところが、立憲民主党がJCHO問題を、国会で追及したという話は聞かない。旧自治労系の労働組合の存在が影響しているのだろうか。国民の命と健康より支持母体に配慮しているのなら、彼らの支持率が上がらないのも納得がいく。

突破口開いた朝日新聞の松浦記者

政治が機能不全なら、メディアが頑張るしかない。悲しいかな、こちらも問題だらけだ。第二次安倍政権以降、政府はメディア統制を進めてきた。コロナ報道でも、政府への忖度には目に余るものがある。象徴的なケースをご紹介しよう。それは、朝日新聞が9月2日夕刊に掲載した「コロナ病床、国管轄病院は?受け入れ数%、都内1カ所は専用に」という松浦新記者の記事だ。8月19日に朝日新聞デジタルに掲載された記事の転載だ。なぜ、紙面に掲載するまでに、2週間もかかったのか。

注目すべきは、8月20日厚労省閣議後記者会見でのやりとりだ。松浦記者が、JCHOなどの独法に対して法に基づき、患者受け入れを要請する予定はあるかと質問したところ、田村厚労大臣は「法律というのは何の法律ですか。医療法、感染症法ですか」と聞き返した。この回答により、厚労大臣がJCHOの設置根拠法に規定された法的スキームを理解していないことが判明した。厚労官僚が大臣にまともな説明をしていないことがバレてしまった。

厚労省内は騒然となった」(関係者)。急遽JCHOは9月から、傘下の東京城東病院で約50床をコロナ専用病床に転換することを決定するドタバタ劇を演じた。

田村厚労大臣の発言は、厚労省の不作為を「証明」しており、国民に広く伝えるべきだ。ところが、朝日新聞は、この事実を報じなかった。松浦記者が、この件を発表したのは8月23日の東洋経済オンラインだ。9月1日には系列の朝日新聞出版が運営するアエラ・ドットでも、吉崎洋夫記者による「コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院132億円の補助金『ぼったくり』」という記事が掲載され、アクセス数はトップだった。朝日新聞が紙面に掲載したのは、その翌日だ。

コロナ政策の方向転換には、世論の支持が欠かせない。そのためには正確な事実を国民と共有しなければならない。メディアが果たすべき役割は大きい。政府寄りの姿勢が明白な読売新聞とは対照的に、朝日新聞は政府を監視し、日本のリベラルな世論をリードしてきた。私は朝日新聞に大いに期待している。 ところが、この有り様だ。厚労省に忖度し「新型コロナ感染症対策分科会委員」や「厚労省研究班」など、厚労省お抱えの専門家の発言ばかり報ずるのではなく、自ら取材した事実に基づき、当局が報じられたくない真実を、国民の前に示して欲しい。

「コロナ流行」は医系技官に追い風

最後にアカデミズムについても言及したい。菅政権のコロナ政策をリードしている専門家は、尾身氏と岡部信彦・川崎市健康安全研究所長だろう。尾身氏については改めて論ずるまでもない。

岡部氏は国立感染症研究所OBで、菅政権で内閣官房参与に起用された。岡部氏は、流行当初から、PCR抑制を主導してきた。彼が検査拡大に反対した理由は、民間に拡大した場合の精度管理を問題視したからで「行政検査の場合は、熟練した職員がきちんと標準化された試薬と器材を使って、精度管理も定期的に行っています」「精度管理は検査する側が責任を持ってやるべきです。つまり、一定のレベルを保ちながら数をこなして欲しい」などと発言している。

筆者は、この主張を聞いて驚いた。保健所の現場で働く医師から聞いている話と全く異なるからだ。私が編集人を務めるメルマガ「MRIC」には保健所長からも寄稿があり「精度管理自体がかなり怪しかった」「(検査エラーによる)明らかな擬陽性であるにもかかわらず、行政検査の無謬性をたてに絶対にそれを撤回せず、現場を混乱させた」と、現状のありのままを訴えている。保健所や地方衛生研究所は、検査センターではない。このような小規模施設が分担して、大量の検査をするのは、世界標準とはかけ離れている。

中村祐輔・東京大学名誉教授は「(検体採取以外の)工程はすべてロボットで自動化できる。(中略)集約すればいい。いまだに『手作業で大変だ』と言っていたら、世界から笑われる」と指摘する。前述の中国・南京は、こうやって大量のサンプルを短期間にさばいた。中村氏は、昨年、米国メディアが「ノーベル生理学・医学賞候補」と報じたゲノム医学の泰斗だ。岡部氏といずれが説得力があるか、言うまでもないだろう。

なぜ、岡部氏は、こんな発言をするのか。もちろん利権だ。そもそも保健所長は医系技官が座るポスト。岡部氏が所長を務める川崎市健康安全研究所は、地方衛生研究所の一つで、その所長ポストは、感染研幹部の天下り先だ。地衛研の問題は設立基盤が弱いこと。設置の根拠は1997年の厚生事務次官通知にすぎず、自治体に設置義務はない。コロナのような法定感染症は、保健所が積極的疫学調査の実施主体となることが感染症法で規定されている。即ち検査を独占することが、カネとポストに繋がる。岡部氏をはじめとした専門家たちは、クラスター対策や保健所の体制強化、地衛研の法定化を求めてきた。「コロナ流行」は追い風なのだ。

世界で、こんなことをしている国はないし、感染研・保健所の独占体制を維持する限り、いつまで経っても検査数は増えない。この程度のことは、専門家なら誰でもわかる。アカデミアの問題は、ダンマリを決め込んでいることだ。

学術会議問題に象徴されるように、9年間にわたる安倍・菅政権で国家統制が強化されたことが大きく影響しているのだろうが、それではあまりにも情けない。

コロナ対策の迷走は、日本社会の劣化を白日の下に晒した。物言えば唇寒し。今や指導層のメンタリティは、国家権力に阿る「奴隷」だ。これで衰退しないはずはない。いま、問われているのは、日本人の矜持である。

著者プロフィール
上昌広

上昌広(かみまさひろ)

医療ガバナンス研究所理事長

1968年兵庫県生まれ。特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長 東大医学部卒、医師。2016年まで東大医科学研究所特任教授を務める。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論。

(「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」/医療ガバナンス研究所 上昌広:FACTA ONLINE)