文部官僚で次官にまで上り詰めて、
数々のおかしな政策を実施して、
退官すると、急にリベラル色でマスゴミの文化的劣化に加担して「良識派」となった。
以前から、全共闘経験者からは評判が芳しくなかったのだが、
エリート高校から東大へ、そして文部官僚へ。絵にかいたようなエリートだ。
驚きは、更なる事実であった。
中曽根康弘は、もと陸軍主計将校で、従軍慰安婦の予算から設備配置まで担当していた男である。彼は戦後自民党タカ派で、総理となって確か初めて靖国参拝も果たしたが、アメリカからの圧力で一回のみ、その後中止した。
その中曽根の息子は、前川喜平の妹を妻にしており、中曽根と前川は姻戚関係にあるのである。
どうりで、出世したものだ。
内田樹といい、平成天皇の代替わりに、転向声明を発表して、天皇制を容認すると見えを切った。尾高朝雄のノモス天皇論こそが明治から昭和15年戦争を引き起こしたことを不問に付し、清算するものであった。
日本は天皇と世俗権力の楕円の統治こそ日本の伝統的統治形態で、それに勝るものはないと。
いかにもリベラル風言説を解いてプチブル底上げ大衆を吸引するが、それは長期で見れば、日本の底の抜けた政治の劣化を保守と合同で推進するものでしかない。
東京のエリート校から高校全共闘を経て、おかしくなっていった者たちは他にも多い。
前川は前川製作所の御曹司であり、内田は確か一族が知識人だらけで、出自を追えば戦前のエリートが無傷で戦後に滑り込んだ者たちの子弟である。
こういうところにも、日本人の復古的心性が隅々にまで浸潤したのである。
日本人は、自分の出自から抜け出られない。
それが原因で、芥川は自殺、江藤淳も自殺、吉本は生涯船大工の倅の眼からエリートを対象化する思想と格闘した。
私たちは、表層の言説から、深層にある無意識の体質、思想を掘り下げて掴むコ必要がある。
しかし複層化した社会となり、日本近代を捏造した教科書で育てられ、戦後という共有の概念さえ喪失した果てに、言説の本人さえも意味が解らず陥穽に転落していくのである。