俳誌「鬣」31号、江里昭彦さんありがとう

本日毎度ながら江里さんが送ってくれた。
この俳誌は以前も書いたが、生真面目でひたむきさが伝わってきて好感をもっている。


江里さんの「後退戦が人生の過半を占めるとき−『鈴木六林男全句集』小論」を読んだが、いつもながら端整な文章と的確な論理構成で同意できるものであった。


六林男の内在に沿った立論になっており、高度成長期以後を方法的な後退戦として把握しようとするところは、戦後文学の文脈の常道からしてマトモな見方であると言える。六林男の生の実存の側から見ていくと、確かに戦中派文学者が一様に陥った衰えを指摘できるだろう。


仁平勝氏のように社会主義リアリズムで括らないため、六林男俳句の実像を押さえられてはいる。


しかし、わたしはそれをもって六林男をあげつらうつもりはない。それは直接の師であったからという理由からではない。その衰えは、むしろ六林男の時代特性を際立たせることに作用しており、六林男が「俳句で立ったまま」死ねなかったとしてもそれはそれである。


つまり一個の作家が生涯を通して優れた作品を作り続けられたかどうかということよりも、時代に掴まれて時代に応えきれたか、どう応えたか、ということこそが残されたものの評価すべき問題だと思うからだ。


でなければ、われわれは「文脈」などというものを無視して好き勝手に作家の評価をすればいいのである。しかしそれでは批評の信憑性など成り立たなくなるであろう。批評の死である。



そのほかは又時間があればコメントしたいが、どうにも読む気にもならないのは、「豈」にも掲載されていたが大本義幸氏の句集に対する各氏の批評だ。


評者はみな昔からの「お仲間」であるらしいが、評者としての矜持をもってそれなりの配慮の行き届いたものにしているので、評者自身をどうこういうつもりはない。「お仲間」らしく友情溢れる配慮がなされている、といえるだろう。しかし「お仲間」が持ち上げれば上げる程、半畳も入れたくなるのも人情である。


大本氏がわたしの句集謹呈に対する返信で、常軌を逸した腐し方をしてきたことに驚いたものだ。作品を個々にあげて正当な感想を書いてくるならまだしも、全てが幼い、俳句とはいえないようなもの、評論ではなく評論のようなエッセイのようなもの、挙句の果てに高橋善丸氏の装丁デザインまでも幼稚だとケチをつける始末である。


わたしは正当な批評にはいくらでも評価も反論もするが、ああこれは大本氏のなんらかのルサンチマンだなと理解したから(その証拠は彼が「お仲間」だと多分思っているだろう編集者の大橋氏には一言も言及がないからだ)、以降彼の書くものは黙殺することにした。


しかし、それこそわたしに言わせれば高校生程度の幼稚な文学かぶれが、現代詩の喩的方法を無媒介に俳句に横滑りさせたような失調症ぎみな作品でしかなく、一度読んで、よせやいこの気持ち悪い抒情性はなんなんだ、と思ったものである。


彼の俳句評価は、人的な党派性を色濃く持っているようで、俳句の良し悪しは「お仲間うち」で慰めあうもののようだ。


わたしは頂いた句集には、私信であっても時間の許す限り作品鑑賞として書き記して返すし、貰ったからといってオベンチャラもいわない。やはりいい作品もあれば不出来なものもある。それを選別して本人の創作意欲を刺激できればいいと思っている。


吉増剛造ばりの難解詩ばかりが価値ある詩でもないのだよ、谷川俊太郎茨木のり子もいいものはいいのだよ。三木露風だっていい。


飯島耕一の「オジヤみたいな文体」だとか、「詩とは呼べない詩らしきものの山」などという口吻を真似て、上から目線でわたしの句集を「俳句らしきもので俳句ではないもの」と腐すことはできても、そういうことが大本氏は解っていない。


どんなに大本氏が逆立ちして定型の中で暴れまくっても、夏石番矢には足元にも及ばないのだから、自戒した方がいい。