世襲議員肯定の御用ジャーナリストが跋扈か

民主党世襲議員禁止と個人献金方式の提案を歓迎しながらも、いくつか疑問もあり、世間の論調を参考にしていた。
ただし、解決課題の方向自体を否定するものでなく、むしろ徹底化するためにはどうしたらいいのかという視点からである。


ウッオチャーのカンとして、この二つの問題はひとつの問題として繋がっていると思うのだ。


もし個人献金が制度化したとして、献金したら税金の減免措置をとるとしても、それ以前に献金自体を困難にしている年収200〜300万円以下の層は、政治的主張を代弁してくれるひいきの代議士を擁立しにくく、投票行動以前に不利益をこうむるだろう。


政党助成金が、実際のところ無一文のサラリーマンや公職にあるものが、思い立って立候補し、代議士になれたとして十分活動資金としてやっていけるのか?前半の立候補自体がまず難しい。選管へ積む金も落選したときの生活費を考えると、とても決断てきるものではないだろう。


どうしても、金をもっている政治家、財界、団体、労組などのスポンサーが必要になりそうだ。


そういう日本の政治土壌から、前回三上治氏の論考の指摘のように、「金権政治」という厳密な概念定義がないままに、学者言論人マスメディアが言葉の流通だけをはよらせ、自民党政治的な土族郷土利益誘導型の政治風土を背景に、「金権政治家」の輩出を図ってきた。


問題の本質は、この土族郷土利益誘導型の政治には地域の利害代弁者を確保するため、世襲ではなくても中央政府からの分捕り力の系譜を絶やさない結束を維持するところである。これは、中央政府が税を全て吸い上げ、後地方に交付金とし「下賜」する方式と裏腹である。


これは流行の地方分権論ともリンクするし、貧困層の政治参画を実質ならしめる制度保障が配慮されていなければならない。


はたまた、世襲議員中選挙区より小選挙区になって減ったとか、上記のような政治土壌があるから世襲そのものを無くすことはできないのだとメスを入れること自体を放棄し、あたかも近代社会の合意とされている各種自由の制限につながり憲法に違反する、などと近代政治の未成熟部分を抛っておいて、正論めかす御用ジャーナリストが跋扈しはじめている。


いつものこととはいえ、まことに権力は回避選択肢をメディアにのせてコミュニケートするものだ、とはよく言ったものである。


いまだ定見はないが、そのようにこの二つの問題は、戦後の選挙制度が旧態依然であり、普通の人間が普通に代議士になれない土壌と考え方に問題の実質があり、日本的土壌と制度を横断的に解決する方法でないと民主党案もまたまた、言葉の流通を促すだけに終わる可能性が高いと言わざるをえない。

この世襲問題について、世襲容認傾向のイデオローグに鋭い批判を加えて問題の整理をされているのが、satorogさん「世襲議員は政界正社員」であった。紹介しておく。

 http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20090528/1243492359