自民党敗北と御用文化人の敗北

さて、民主党政権が発足すると民主党への注文が増えてくるだろうし、当然権力の監視行動という市民の義務からすれば民主党内閣が批判の対象となるわけである。


これは当然のことで、民主党を支持したからなにがなんでも民主党の後押しをするという原則はもちあわせていない。代理委任政治の場合はそれが健全な姿だと思うし、そうでなければ二大政党政治などは定着しないだろう。


しかし、選挙後の各界各人の発言を聞いていると、やはり自民党政権にぶら下がっていた御用学者、文化人、評論家の類が無残極まりない。


敗北の主たる原因を自民党政権の無策、あるいは過ちを真摯に批判し、それを担いできた自己の無能さを反省する姿はほとんどみられない。
こういう無節操なブレーンに取り囲まれていた自民党は、ダメになるわけである。


大きくわけて、ひとつは敗北の原因を小選挙区制というシステムの責任にするタイプと、もう一つは大衆は小泉旋風と同様バカだから印象操作で投票した結果で騙されている、というものである。
さらにひどいのは、メディアが民主党を持ち上げ偏向したためだと言うのだ。


小選挙区制を原因にあげていたのは、猪瀬直樹氏などであるが、そのこと自体は正しいだろう。また猪瀬氏の奮闘を長く支持してきたわたしには発言の理由がよく解るし、小泉改革の中で彼の道路公団民営化は支持もした。
たまたま彼の官僚政治への問題意識が、タイミングとして小泉政権の改革路線と同期してしまったと見ている。でなければ彼が自民党支持者や官僚や既得権者の巣窟の委員会の中で孤軍奮闘するいわれはなかったはずだ。
結果は妥協的産物で、道路推進派にも空論を振りかざす野党にも両側から批判にさらされた。


民主党は民営化推進の途中から藪から棒に高速道路無料化を言い出して、猪瀬氏とバトルになった。
それは、猪瀬氏の立腹は、民主党が政権をとるなどという現実感がないことを前提にした、権力内部での変革の立場からすれば当然といえた。
また側からみていても、道路問題は猪瀬氏の先鞭によって進んでいることは明らかであった。


われわれがもの心ついてから、ずっと自民党政治しかしらない世代ににとっては、現実的に政治にコミットしようとすれば、政権党とのタッグは当然のことと判断するのも無理からぬ話である。特に、猪瀬氏のように青春時代に政治に届かなかった変革運動の挫折を味わっていればなおさらのことである。


政権交代が実現してしまった途端、猪瀬氏の成果と努力は無に帰するかにみえる。
猪瀬氏が小選挙区制を問題にする心理に、自民党小泉政権の一端をになった自分の意図や心情が、政治の中で全く理解されなくなる危機感は当然であろう。


しかし、わたしは猪瀬氏にそれは残酷なことであるが歴史にはしばしば起こることで拘ってほしくない。
猪瀬氏が、ただの利権屋や御用文化人であったなら何も言わない。彼が学生時代社会変革を求めて全共闘にはしり、著作でも絶えず批判的に世界を対象化してきたことを知っているからだ。


自公共闘の基で、小泉郵政選挙での圧勝は小選挙区制度の弊害がわかっていたにもかかわらず、誰も問題にしなかったし、勝者の側からも内省の声はなかった。


にも拘わらず、今回猪瀬氏のようにわかっているひとでも、この敗北のタイミングで制度問題を口にするのは残念である。
猪瀬よお前もか!と思うのである。ミイラ取りがミイラになってはいけない。


体制内に飛び込んで、政権のもとで自分なりの夢を実現することは、全共闘世代が一定の年齢に達したとき当然の選択であっていい。それは何もせずただ批判ばかりしている者たちとても、現状が変わっていないという意味で全く等価だからだ。


しかし、敗北の原因を、批評家の矜持を放棄したような党派的敵対心をつのらせて、屈折して制度論などに寄りかからないで欲しいのだ。
自身の官僚政治打破というテーマと、政権内での自己の果たした役割を客観的に総括して、政治レベルを超えた思想的問題として再度官僚政治を撃ち続けて欲しいと思う。


もっとも花岡信昭なども、小選挙区制度での小党が必要以上にブレゼンスを持ってしまうことを危惧しているが、自分のイデオロギーに反す社民党などの跋扈が想定されているわけで、こういうもともとの単純なイデオロギストにはもう退場しろとしか言わないが。