みんなの党、じわじわと人気
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検察とメディアの民主党潰しがジワジワ効を奏してきた。
一連の小沢、鳩山などのスキャンダルをしかけているのは、清和会系人脈飯島元小泉私設秘書官とのことだが、相変わらず裏対策専門らしい。
このおよそ先進国とは思えぬ検察とメディアとその印象操作に踊る一部軽薄な愚民が、いまさら自民党には戻れぬし、民主党もモタモタして金の問題があるし、ということで得たいがしれないだけにとにかくふわふわと新しそうなみんなの党に期待をかけざるを得ないといった現象だろう。
みんなの党は、端的にいって自民別働隊にすぎない。
しかも、小泉−竹中の新自由主義(市場原理主義)路線の破綻によって民主党政権が誕生したわけだが、その路線を継承し更に先鋭化しようとする政策的には清和会本流なのだ。
国民の批判に耐えられず、福田、麻生はセーフティネットを作りながら漸進的なゆっくりした新自由主義に切りかえようとした。
しかし刻既に遅し、結局民主党に政権を奪われ、麻生の漸進的な新自由主義は民主党の行政仕分けや国家戦略室に引き継がれた。
従って民主党がモタモタしたり矛盾したりする印象を与えるのは、セーフティネットを作ろうとする菅などの左派と、無駄削減を進める漸進的新自由主義路線の前原や仙石・枝野といったグループと、小沢など保守派の疲弊する地方利益誘導タイプの三つが、渾然と均衡を保っているためであり、いってみれば今必要とされる利害代弁者の全てが民主党一党に集約されているという事情による。
政策決定のプロセスで、これら各グループのパワーバランスが拮抗しているため、混乱状態に見えてしまう。この決定プロセスをオープン化する民主党マインドは、自民党と官僚の秘密決定に慣らされた国民にはこれは美点としては映らない。
鳩山総理が、最後は私が決めます、という口癖はこうした事情を裏付けている。
このクソのような日本の国民性は、自分の投票した政治行為に何の責任ももとうとしないため、アイドルへのラブコールと同様な浮薄を本質として、メディアの作る表象を追い続ける。
従ってとりもなおさず、みんなの党は、複雑さへの理解努力の欠乏、無責任さ、政治家の育成観点の欠落など、三流政治を作り続けた国民の欠陥が諸に集約された表象として存在している。
このみんなの党の本質的政策は、苛烈な資本の側からする財政均衡論であり、徹底的な民営化の名を借りた資本家経営を志向する政策党である。
注意しなければならないのは、「民営化」といったとき国民による経営コントロールということではなく、ただ国家から経営権をもぎ取り、ひとつの銀行なりを中心にした企業利権を生むことをさしている場合が殆どだということだ。後者をさして民営化といっているのが自民党やみんなの党の意味するところであるということだ。
たとえば、民営化が不透明だと問題となった西川氏による郵政民営化がその典型である。
横路にそれたが、みんなの党とは、政策的にも実態的にも自民党、特に清和会路線の延長でしかないということだ。
無知な若者、ウスラポケのオヤジ・オバンは脊髄だけだからマスコミに叩かれていなければいい政党だと騙される。
自民別働隊ということが、実態的である証拠は、みんなの党が森善朗=清和会の政治団体「経済政策懇談会」と事務所住所が一緒で、しかも管理責任者が同一人物ということである。
既に昨年にはブログ「地獄への階段」が検証して、知る人ぞ知るである。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/10908114.html
ウソの多いマスコミだけを信じている愚民や、ネットをみない人たちには、この政党が何たるかは解っていないだろう。
渡辺善美の公務員制度改革などただ人材斡旋部署を作ろうとしただけで、しかも何も実現できなかった。からっきし実行力がないのだ。
政府によるミニマムな国民サポートさえもないがしろにするだろうことは目に見えている。