普天間基地移設案の空騒ぎ−鳩山総理の限界

政府案骨子固まる 12日から日米協議へ
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このオッサンなに考えとんねん、という言い方が大阪弁にはあるが、まさに鳩山総理に今回当てはまる。

腹案がある、と自信ありげに引っ張りながら、好意的に視ていこうとした人たちを見事に土俵際でうっちゃってくれました。

もちろん、鳩山総理が基地問題を日本国民すべての課題として突きつけたこと、また沖縄県民の基地負担を軽減させたいというロマンチシズムを、戦後史の文脈を押さえ本気で実行しようとしている点において、歴代総理としては傑出していると評価をしたうえでの話しである。

つまり沖縄の基地全体の見直しをして、現状の過剰な基地を順次アメリカに移設し、縮小していく過程として徳之島分散があるならまだ理解できる。

しかし、全く基地撤去と縮小の交渉もないまま、徳之島ではただ「沖縄の全国化」にすぎないではないか。

自民党政権同様イーシーゴーイングな方法で、民主党政権に期待して少し長いスパンでこの戦後の最大の課題をしっかり道筋をつけてくれるものと期待していたが、全くの無能無策といわざるを得ない。

もちろん、誰も一気に基地縮小やアメリカ押し戻しが可能などとは想っていない。

しかし、この問題の日米の軍人を含めたプロジェクトを立ち上げて、5月などと安易な期限設定をせずしっかりやるべきではなかったか。

『月間中央公論6月号』に杉山隆が、この間の「迷走」の経緯を詳細に報告しているが、端的に鳩山−平野ラインの失策だと結論づけている。

もっとも杉山は、記者クラブ解放問題で平野の無能ぶりを一度みてしまっているだけに、平野個人の無能を指弾しているが、個人的な侮蔑感情が先走りすぎているようにも感じはするが。

その点で杉山の報告とはわたしは見方が違って、平野ひとりの無能ぶりではなく、やはり鳩山総理のこうした重要課題の取り組み方に不慣れな対処に原因があると想っている。

そもそも鳩山総理の沖縄の民意に寄り添おうとした点は評価できる。
しかし、そのロマンチシズムを平野ひとりに託してしまったところに間違いがある。

平野に総理のロマンチシズムを支え切れる力量などはなく、問題を極めて近視眼的且イージーな方法、すなわちただ沖縄県外であればいいという矮小化に陥った。

これを検討の初期段階でやっていたように、岡田外務省と北沢防衛省と官房のプロジェクトとして進めれば、もっとアメリカと実のある協議ができたかもしれない。
あるいは、言うべきことが言える土壌ができたかもしれない。
つまり旧来の官僚の固定観念を打ち砕き、ふるに交渉の尖兵として戦力化できたのではないか。
またそういうことが、総理のリーダーシップなのではないか?

もちろんその間、軍事アナリストの小川和久が指摘(『中央公論5月号論文』)するように緊急避難的移設さえ行なっておけばそれ程非難されることもないだろう。

要するに、鳩山総理は組織運営や重要度に合わせた課題解決方法のセッティングに疎いというしかない。あるいはもともと自らスタンドプレーをしたがる派手なパフォーマンス好きが災いしているともいえる。

企業でこんなことやっていたら社長の首は半期でとぶだろう。

これは鳩山政権への期待度のレベルが人それぞれ違うので、とにかく県外だから徳之島案で評価できる、という人もいてもよい。

しかし、アメリカに、普天間問題は日本の国内問題だなどと木で鼻をくくったような言い方をされて、ごもっともですとそれを前提に動く鳩山総理も総理である。
同様に鳩山総理を批判するメディアとB層も、その同じ土俵で移転先案を全く提起できずにこき下ろすだけで、愚民化しているとしかいいようがない。

この基地問題はとりもなおさず敗戦以後の占領国と被占領国の矛盾的関係が形を変えて残っているわけで、冷戦が終わったにもかかわらず基地は貸したままだわ、「おもいやり予算」はガッポリ巻き上げられるわ、さらに自衛隊に高い軍備は買わされるわ、自国の自衛隊は養わなければいけないわ、この財政破綻の中で、冗談じゃないと何故いえないのか。

せめて、海兵隊は自国で面倒みなさいよ、と言ってくれる事を鳩山総理には期待したかった。
自民党のボンクラにできなかったのだから、宇宙人が飄々と言ってのけることができるのではないかと勝手に思ったこちらが素朴すぎたということか。