厚労省村木厚子氏無罪−「凛の会」事件特捜部謀略の挫折

傍聴は残念ながら抽選もれで法廷に入れなかった。
大阪地裁には傍聴希望者が400人ほどは集まっていただろうか。
14:00、201号法廷できっかりに 開廷した。

予想していたこととはいえ、村木氏の無罪は、検察の謀略が敗北した瞬間として歴史に残る成果となった。

深刻なのは、法の番人のはずの検察官僚の捜査の杜撰さというばかりか、これほど国民不在の組織防衛のための謀略をするようになったことである。

この事件は、もともと民主党による政権交替の噂が出始めている頃に起きた。
狙いは、小沢側近として長く武闘派で知られた石井一議員がターゲットであった。

しかし起訴して真っ先に石井のアリバイ(凛の会会長と謀議したとされる当日ゴルフをしていた)がでてきて、検察のストーリーは崩れた。

普通ならこの時点で取り下げるのだが、検察の危機感は想像を超えていたことが伺える。

石井と小沢派のダーティイメージが作られて、衆院選挙で民主党に打撃をあたえられればよかった。そのように世論の刷り込みと、メディアを抱き込んだ国民洗脳が目的であったから、少々の証拠不備は構わず起訴すること自体が目的化された。
村木氏にとっては厄災以外のなにものでもない。

その意味では、検察は目的を達した。
しかし喪ったものはもっと大きかった。民主党政権交代は起こり、逆に検察の意図も劣化も白日の下に証明されてしまった。

当時検察や自民党既得権益層が恐れて仕掛けた謀略は、小沢一郎潰しであった。

小沢の陸山会問題だが、コレもいまや冤罪がほぼ確実視されてきている。検察審査会がどう判断しようがいずれ無罪になるだろう。

検察の便宜起訴主義という特権がいかに恐ろしいものか、これを今後国民的課題として検討していく必要がある。今回で忘却の淵に沈めてはいけないだろう。

この裁判は、検察と小沢や鈴木宗夫などの権力同士の抗争ではなく、勤勉だけがとりえのような一介の市民が理不尽にも起訴され、勝利したという点で、いろいろのことが学びうる。

村木氏の裁判は特捜部の控訴がなければ、これで終結である。
だが第二第三の村木を出さないためには、権力監視と冤罪を防止するための対策を進める「終わりの始まり」であることを確認しておくことだ。

現在も居座ったままの無能な千葉法務大臣によって反故にされている取調可視化法案も早く成立されなければならない。

それにしても報道ステーションの空虚な司会者と元検事の堀田力が、ご都合主義にもっともらしいことを漫才していてむかついた。

堀田は、大阪地検出身である。
彼は言う。事実をしっかり追求して、真実をもとめなければならない。その検証を後輩たちが怠ったことは由々しきことだと神妙に述べていた。

わたしは、おまえが育てた後輩だからいい加減なことをするにすぎないのだよ、と想わず呟いた。

堀田がもしそう思うなら、小沢一郎の西松献金問題で郷原弁護士の事実関係や起訴理由への疑問に対して、しっかり自分で裏づけをとって検証すべきではなかったか。

さんざ検察がつめた証拠だからと鵜呑みにして、小沢がゼネコンから賄賂を貰っていたという疑義があるから、捜査しているのだとメディアの洗脳番組で何度も発言した。

元検事として「真実だけを恐れる」という正論を吐くなら、自分で小沢事件の検察訴状を検証してみればいかに疑惑の多い稚拙な証拠かがわかったはずである。

恐らく、メディアであれだけ小沢と郷原弁護士を貶める発言をしながら、自分ではいちども小沢の出納長も伝票も当たったことはなかったはずだ。

堀田が自分でこつこつ検証したなら、小沢事務所の現金主義にもとづく会計処理からすれば金銭報告での矛盾は全くなく、不動産登記の期ずれが税金処理上業界では常識に属することも理解できたはずである。

そして小沢事務所の元秘書の石川議員が、不動産屋任せにして伝票処理のような簡単な会計にも疎いことが証明できたはずだ。

そればかりか、かれの会計知識不足が、冤罪にもかかわらず形式犯ではあっても有罪になどはならなかったはずで、有望な将来ある若手議員を失うことも免れたはずである。

堀田も空虚な司会者も、われわれメディアは心して伝えなければならないなどと神妙に頷きあっていること自体が、ずでに共犯者であることを証明しているということに気づいていないのだ。

心底そう思うのであれば、二人とも二度と視聴者の前に姿をあらわさないことだ。それが職業倫理を大事にする良心と矜持というものだろう。

【追記】
ブログ「永田町異聞」氏が、ロッキード事件の捜査手法を批判し、そのときの担当検事が堀田力氏であったことを、皮肉をこめて指摘している。
堀田氏がいかにも正常な検事であったかの如く報道ステーションで発言しているが、歴史的検証をシッカリしてきている人たちには、それがいかに欺瞞であるかみぬいているのである。
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http://ameblo.jp/aratakyo/day-20100911.html