■郵便不正事件で朝日新聞大阪が新聞協会賞-権力との「密通と共犯」

新聞協会賞は、新聞業界で働く者にとって最高の栄誉である。独立してフリーのジャーナリストとして通用するための登竜門といってもいい。

毎年9月1日に受賞者が決定する。今年度は既に発表も終わっているが、朝日新聞大阪編集局の「大阪地検特捜部による押収資料改ざん事件」(9月21日)が追加発表された。

朝日新聞の読者ではないので、どのようなスクープであったかは事後的に知るのみであるが、この大阪地検特捜部の組織的犯罪が、組織全体の異常性と劣化によるものであることを天下に知らしめた功績は賞賛されていい。

村木厚子被告の冤罪が生み出されてくる、特捜検事の組織的体質が改めて問題として世間に共有されることとなった。
さらに、前田検事や志賀、大坪といった個々の検事の不正に対して、内部告発した塚部貴子検事などの人間模様は、表層的な不祥事再発防止課題などよりも遥かに哲学的に深い「正義論」を内在させて、現在の知的劣化までをも告発している。

「ジャーナリスト新聞2010,10,11号」にこの朝日の取材班代表平山長雄氏が経緯を寄せている。

「9月21日付朝刊で「検事押収資料改ざんか」と報じた。フロッピーディスク(FD)を書き換えた大阪地検特捜部の主任検事はその夜、証拠隠滅容疑で逮捕され、10日後には当時の特捜部長と副部長も犯人隠避容疑で逮捕された。
取材班には「歴史に残る紙面をつくろう」とハッパをかけいてたが、事態がここまで急展開するとは予想はせず、驚きの連続だった。
 改ざん疑惑は大阪司法記者クラブ取材班の調査報道の成果だ。FD解析が紙面化の決め手だった。検察担当記者がFD改ざんの端緒をつかんだのは7月。FDには公判中の厚労省元係長、上村勉被告の実態のない障害者団体に発行した偽証明書が登録されていた。改ざんが事実かFDに当たろうとしたが、所在をつかむのに時間がかかり、上村被告側の信頼を得てFDの内容を確認してもらうまで1ヵ月以上かかった。
検察相手に腰砕けにならず、明確に「改ざん」と書けるのか、中途半端な形で記事にされては被告にかえって不利になる。そんな不安や不信があったのだと思う。
 郵便不正事件は東京本社の社会グループが端緒となり、不正を明らかにした。しかし、厚労省元局長、村木厚子氏が無罪となり、検察のずさんな捜査とともにメディアも批判にさらされた。無罪判決とFD改ざんで検察への信頼は失墜した、供述に基づく報道のあり方を問う声も上がり、各社は自らの報道を検証した。読者の視線は厳しいが、記者に「書かない」選択肢はない。検察とどう向き合うのか、権力監視のあり方が問われている。」


この平山長雄氏のコメントは、往年の記者魂を彷彿として頼もしい。
「永田町異聞」の新恭氏のブログから、実際にこのスクープ記事を書いたのは、署名から板橋洋佳記者らしい。彼は元「下野新聞」に在籍していて、2004年8月栃木県警が知的障害者を誤認逮捕した事件があり、自らの調査報道にもとづきスクープ記事を書いているとのこと。
朝日に引き抜かれた敏腕記者なのだろう。早速のスクープだ。
朝日のお坊ちゃん記者や偏差値記者ばかりだったら、スクープはものにできたかどうか疑問だ。

しかし振り返ってみるに、問題はこうした個々の記者たちの努力とは別に、朝日新聞自体の新たな問題が透けて見える。

新恭氏は次のように経過を分析して、朝日は最高検の組織的犯罪を一人の不届きな検事の不祥事として切り取り、コトを終えようとする意図に利用されてはいないか、と懸念を述べている。
新恭氏の経歴をみると元新聞記者だったらしく、手にとるように朝日の取材方法がみえるようである。記事の読み込みや背景把握が、メディアにいる小生と通ずるものがあり興味を引く。

「しかし、筆者の腑に落ちないのは、この記事が出るやいなや、朝日と示し合わせたかのように、最高検が、しらばっくれた大芝居を打ってきたことだ。

大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦を、記事が出たその日のうちに逮捕し、最高検が直接、捜査に乗り出して、検証チームも発足させることを早くも発表している。この素早さ、セレモニーのような賑々しさはいったい何なのだろう。

本来、村木冤罪事件の総責任は最高検が負うべきである。その立場にある者が、その指揮監督のもとで手柄を立てようとした検事を、いっせいに袋叩きにし、一人悪者に仕立て上げようとしているように見える。

三者機関に捜査を委ね、最高検の責任も含めて、国民の判断を仰ぐべきではないのか。

前田検事が私用のパソコンでFDの改ざんをしたという、朝日のスクープは、村木冤罪事件の全責任を前田検事になすりつけ、組織そのものは正常だったと宣伝したい検察に利用されつつあるのではないか。

検察上層部と朝日の最近の異常な接近は、9月9日の当ブログ「村木判決を前にした朝日の弁解代弁記事二本」 で指摘した。これを要約して下記に掲載する。

(村木事件で)民主党議員の関与を伝えるなど、暴走報道を繰り返した朝日新聞は、一見、検察批判風の記事を昨日、今日と二日続けて掲載した。いずれも、「朝日新聞の取材」に対し、複数の検察幹部が答え、それに基づいて記事にしたという体裁である。

まず8日の記事。
「関係者の取り調べの際につけたメモ(備忘録)を廃棄していた大阪地検特捜部の検事の対応が、最高検の通知に反するものだったことがわかった」

「聴取メモ廃棄 通知違反」と見出しがついているように、この記事はメモの廃棄という、検察の取り調べの根幹にかかわる問題に正面から切り込むことを避け、廃棄が最高検の通知違反であるというニュースに仕立てあげていることがわかる。

皮肉っぽく言うと、最高検はちゃんと通知していたのだという言い訳を、新聞が代弁しているように見える。最高検の権威を守ると言う前提のもと、取材する側、される側の暗黙の了解で書かれた記事ではないかというのが、筆者の疑うところである。

9日の記事はこうだ。
石井一議員への事情聴取を大阪地検特捜部が昨夏の総選挙を理由に遅らせていたことがわかった。この結果、石井議員が口添えをしたとされる日に千葉県のゴルフ場にいたことが、村木被告の起訴後に発覚。特捜部が描いた事件の構図が崩れる一因になった。

これを起訴前にやっておけば、村木氏の起訴方針を見直すことができたのではないかという記事だと読める。

すべては総選挙への配慮のせいだと言わんばかりの、見苦しい言い訳の代弁を朝日新聞がやっているというふうに思えるのだが、穿ちすぎだろうか。


このころから、朝日はさかんに検察の上層部と接触していたことがわかる。もちろん、村木無罪判決を予想して、取材活動をしていたのだが、取材される検察上層部は、いかにして組織を防衛するか、つまり、一部の不心得者のやったことだと逃げる方法を模索していたはずだ。

そこに、強引な取調べで知られる前田検事のFD改ざんを、朝日が独自取材しているという情報が入り、それに飛びつくことを思いついたのではないか。
つまり、前田をスケープゴートにして、得意の捜査手法により一人の不埒な検事の悪だくみというシナリオを描くことで、国民の目を検察組織そのものからそらすという計略である。

村木さんへの不当な捜査は、誰が見ても組織ぐるみだ。前田検事が一人、FDの改ざんをして個人的にどんなメリットがあるというのか。
大坪弘道特捜部長、林谷浩二検事、国井弘樹検事らは無関係で、前田一人がやったことと逃げられるだろうか。

予定した筋書きに合わない話はバッサリと切り捨て、意図的に聞き出した断片的な材料を、むりやりつなぎ合わせて、あらかじめ考えた通りの調書を作文し、心理的、肉体的疲労状態に追い込んで、署名を迫る。それが、検察の常套手段だ。

FD改ざんもその延長線上のものでしかない。取り調べる人間の言葉は好きなように変えて作文してもOKで、フロッピーのデータはダメというのでは道理が通らない。

何度も書くが、「検察の正義」の象徴であるロッキード事件以来、検察は供述調書の恣意的作文や、強引で無茶な取り調べを繰り返してきているのである。

その事実を、おおっぴらにせず、検察や警察の発表は「客観」であり、自らの調査報道は「主観」であるとして、もっぱら捜査機関の発表やリークに依存してきたマスメディアの大罪は、いまさら言うまでもない。」

http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10655648808.html

取材班代表の平山氏のコメントでは7月頃からFD改ざんの端緒をつかんでいたということだから、新恭氏の推察は決して「穿ちすぎる」ものでもない。
恐らく最高検との事前情報提供とスクープ発表日設定などをやり取りする時間は十分あったと推測できる。

でなければ、スクープ当日に官僚組織である最高検が検証もせず前田検事を逮捕するのはありえない。すでに裏は十分取れており、朝日と最高検幹部との親密なやり取りがあったとしか思えない。

筆者は「凛の会郵便不正事件http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20101001/1285916877」でこれを「密通」と表現した。慣例的な無意識の行為が、あるパラダイムの中で当たり前のこととして演じられている場合、アウンの呼吸で共通利害が達成されていくことである。

このスクープとてもが、そうした今の官僚と新聞メディアの「密通」による「共犯関係」を結果してしまっているという恐ろしさである。

そこを脱して、平山氏の真摯な問いかけである「権力監視のあり方を問う」なら、この事件と同じ構図をもつ全ての事件の再検証をすることである。

さしあたり、バカの一つ覚えのように「政治と金」を言い続ける朝日新聞自身のいかがわしさ、「権力監視」を放棄しきった翼賛会的報道を検証することだ。

検察の構図が瓜二つで推移してきた、小沢一郎「政治資金虚偽記載事件」「陸山会事件」などは検察のリークのままに垂れ流し、小沢議員の「推定無罪」さえ擁護しなかったファシスト朝日自身の検証を自らの手で検証することである。

でなければ、新聞協会賞は偽善の上塗りにしかならないのである。

【参考】
記事を書いた後、ネット検索にまともな批判が上がってきましたので、参考に案内します。
しかし、こういう新聞業界の無神経さを批判している論考がすくなすぎます。喉もと過ぎれば何とやら、日本人の体質でしょうか。
少なくともメディア関係者は、長く深く検証し続けるべきではないでしょうか。

伊藤 博敏「証拠改竄報道で新聞協会賞を受賞した『朝日新聞』への違和感 大阪地検特捜部と新聞社の二人三脚を清算しないまま」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101014-00000001-gendaibiz-pol

牧野洋「ジャーナリズムは死んだか-新聞協会賞受賞の一方でこっそり変えていた朝日新聞の会社案内」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1321