■小沢一郎の裁判勝利と政界再編を-不見識な読売記事

第五検察審査会の議決書の全文が、郷原弁護士の尽力によりやっとニコニコ動画にPDFで読めるようになった。

まさに小沢氏が記者会見で述べていたように、普通のわれわれ市民には審査会の討議内容が全くベールにつつまれていて、よく解らない。

マスメディアも軽薄な論評より、まず国民に全容を報じることが先でなければならないのに、どこも全文を報じて、問題点を整理したところはなかった。

今これほど特捜部のデタラメな強制起訴と取り調べが問題となっている最中、だれが見ても郵便不正事件と同じ構図、同じ強引な自白調書づくりと判断できるにもかかわらず、メディアは全く反省も顧慮もなく、再び小沢クロ説へ誘導している。

この議決書を簡単に整理すると、
陸山会の不動産取得時期の収支報告の期がずれていること。すなわち2004,10,29取得なのにその年には収支報告書に記載しなかった。
これは秘書と小沢氏が共謀共同正犯として虚偽記載に当たる、という点がひとつ。

②新たに今回追加された容疑が、今まで憐察自身が立件していない購入資金の出所。
公訴されていない容疑を独自に付け加えたというものである。

要するに、これだけマスメディアと蝿のように群がる御用評論家が一年以上わいわい騒いでいる事件というのは、報告書へ記載漏れした、という世間ではどこにでもあるちょっとした事務のミスのような事件なのである。

それも従来修正報告で済んできた。それを小沢事務所にだけは許さないといった。メディアは後付けで、世間が金にうるさく、ミスを容認しなくなってきたから、逮捕のハードルは以前より下がっているといった。

それ自体おかしな話で、それは世間やメディアが恣意的に決めることではなく、法務省総務省が「規則変更」によって、いつから認めず逮捕立件することとする、と公表すべきことなのである。

「みんな」がとか「大勢の人」が容認しなくなったからなどという曖昧な根拠で、ある日突然女性のお尻をチラ見したらそれだけで痴漢として逮捕する、などといわれたらたまったものではない。女性の「多くが」いやだというから、警察がお前だけ生意気だから逮捕、といわれたらどうするのだ。

こんなおかしなことを、国民は総がかりで支持している。これはもう一種の社会ファシズムだ。

本日の読売新聞囲み記事「民意(中)小沢氏起訴へ-ぶれない石川供述『合理的』」と題して、この審査会の決定を嬉々として解説しているが、いくら社主ナベツネが社を挙げて民主党政権を潰すと訓示しているにせよ、特捜部のデタラメさが大問題になっている中で、特捜部のリークを記事にして犯人扱いしてしまったという自覚はない。

民主党政権とこれとは別問題であり、罪刑法定主義推定無罪などの民主主義の原則が貫けるかどうかという国柄の根本に関わる問題なのだ。
中国を民主主義がないと批判する新聞社が、その中国とおなじようなやり方を支持している。

読売は記事で次のように書く。
2010,1,15石川秘書が逮捕され、「記載しない方針について小沢氏に報告、了承を得たと供述」。

記載しない方針」などと大層な表現をつかっているが、忙しい仕事のやりとりの中で、「こうしておきます」「おーわかった」などというやりとりはどこの仕事場でもあるだろう。それをいかにも「謀議し意図的に意思一致した」という印象に落とし込んでいる。

2010,2,4石川など秘書3人が逮捕されるが、小沢氏は共謀が立証されず不起訴となる。

2010,5,17第五審査会一回目「起訴相当」を議決。

特捜により石川秘書再聴取。このとき石川秘書は以前の供述と同じだと述べると、検事から「供述調書」に署名しろといわれ、「多少逡巡したが小沢関与を認める供述調書に署名した」と書いている。

検察も一回目の供述は拘禁中だからとれたが、二回目は保釈中なので供述は翻されるだうとみていた。それが予期に反して石川供述署名で、小沢虚偽記入関与は確定的なものになったと書く。

不思議なことはどこにも審議議事録は公開されていないのに、読売は「審議員らは…判断したことになる」と断定していることだ。

なぜ期ズレが発生したかは、既に合理的な理由が識者のブログで常識になっているので詳述しないが、不動産購入の支払い時期と登記時期が違うことは普通あることのようだ。
特に今回のように、1月の税務申告時期の場合は、税金負担を巡り不動産会社が負担するか買主がするかで、前金になったりして登記時期と必ずしも一致しないことはよくあることで、不動産業界では不思議でもなんでもないといわれている。

石川秘書は、どうも実務系の能力ではないらしく、浮かんでくるのは経理処理にうといということだ。事実不動産会社にまかせっきりで理解して処理していたとは言いがたいと誰もが述べている。だから全く抗弁ができていない。

それはさておき問題の石川供述だけに焦点を絞ってみる。
読売は供述がぶれていないから合理的で信憑性があり、小沢関与がうらずけられたという見方である。

拘禁中の供述は心理的に追い詰められているから、特捜の構図にそって供述をしやすいが、二回目も同じことを拘禁されずに認めたのだから、一回目は自分の明確な自由意志で自供した正しい供述だ、と言いたいわけだ。

はたしてそんな単純なものか。
脅迫と人格否定の強圧的取り調べを体験した後で、一回目にした供述と齟齬をきたした場合なにを言い出されるかわからない、という不安と懸念をもつのが普通ではないか。特に石川秘書のように刑事事件も実務にも疎い場合は、相手の意図より自分の供述の整合性だけを守ろうとするだろう。

この供述書の整合性という狭い範囲でだけで、「まじめ」な対応をしようとする心理は、容易に想像がつく。そこでは一貫性を保ち「(供述だけが)間違っていない」ようにしようと配慮するのが心理ではないか。ようするに固まってしまっているのである。

もう一点は、一回目は過酷な条件での取り調べの中で、検事の構図に沿った質問と回答のやりとりであったはずだ。
もし、その構図の全体の意図が明確に理解できていたなら、被疑者石川は不利益な小沢に関係したような供述はしなかったかもしれない。被疑者にとって不利益な供述は言わなくてよいということは当然の権利だからだ。

それをおまえの罪は不問にするから、小沢に報告したかどうかそれだけ言え、と恫喝されれば、曖昧な記憶であったら十分供述してしまうだろう。

実際、公判では大久保も石川も供述は翻すと予測されている。郵便不正事件が狙いは石井議員一人だったという構図がみえてしまったからには、この事件も小沢狙いだということは当事者でなくとも明々白々だろう。

いずれにしても、政治家事務所などは、エイ、ヤーの零細企業なみのやりとりの中の処理だから、「虚偽記載の方針も謀議」もくそもないのだ。あっ忘れてた、本当はそうだったのかーのレベルだろう。

事実小沢氏意外の政治家でも同じようなことは頻繁におきいてたのである。

なお新たにつけ加わった②の購入原資4億円問題は、全く審査会の趣旨逸脱で、公訴事項から外されなければおかしい。
審査会の設置趣旨は、検察の公訴事項のチェックをすることで、事実調査もなにもしないまま、いきなり疑わしい事実があるから法廷へ引きずり出せというのは、もう一種のフ社会ァシズムである。


今後起訴手続きを進める弁護士は、これぐらいのことは解っていると思うので、省く。
まかり通るようなら、検察審査会制度全体の問題としてとりあげてみたい。

いずれにしてもいつまでも官僚の小沢潰しに加担していると、民主党は潰れるし、国政はとどこおるだろう。

野党も世論を読み間違ったらいけない。
この事件が政権交替に絡んだ謀略事件であることを、国民は郵便不正事件を通じて知ってしまっていることを。

それにしても、民主党も一生懸命作った検察審査会だが、制度設計に問題が多すぎる。
これはサポーター制度もそうだが、自民党との差別化を意識しすぎて、即席のためいろいろなものが中途半端な気がする。

原口議員はこの恐ろしい制度を是非与野党超えて修正したいと述べていたが、期待している。