■政治資金虚偽記載事件/第五検察審の愚行-小沢一郎氏二度目の強制起訴

ニュースで今小沢一郎氏に対して、第五検察審の二度目の起訴相当の議決により強制起訴を知った。
怒り心頭にきている。

11人中8名の議決とのこであるが、この8名はまさに亡国の愚民と言ってよいだろう。

ある特定のイデオロギーに支配された思想の持ち主か、さもなくば読解力や論理的思考に不慣れなひとたちだとしか思えない。

強引に特捜部が描いた構図に対して、メディアに洗脳された頭であれば、事実を丹念に解きほぐしていく能力は最初から失われているだろう。

この検察審査会は予断に満ちた匿名性の犯罪集団に転落する場合がある危険な制度である。
早急に組織の存廃を再検討すべきである。

以前テリー伊藤という珍奇なコメンテイターが得意げに語っていた。

裁判員制度検察審査会も、専門家でない市民を参加させるのは、法律が解らなくてもわれわれの感情をぶつければいいということなんだよ」と。
他のコメンテイター一同、なるほどとうなずいていた。

バカも休み休み言い給え。テリーが言うようなことなら、司法制度も公開裁判も不要であろう。

逆にどっちみち弁護士や裁判官がリードしてくれて、取りまとめてくれるからいいのだ、というなら、そもそも市民の裁判員は不要だし、審議委員も不要である。

理路として、現代のような複雑な社会にこそ、それぞれの分野分野での専門的判断が要求されるのではないか。だからこそ、証人には専門家が招致されるのだろう。

そうした捜査や判断の難しさは、密室での限られた選任の人だけでなく、徹底的な情報開示によって、専門家にも素人にも十分な検証と論議ができるようにしていくことが大事であって、素人が感情をぶつければ真実が明らかになるというものではないはずだ。

捜査機関が二度にわたって証拠を挙げられない事件を、さらに起訴相当にするという愚行は、強引な自白誘導か、検察官の謀議による証拠でっち上げに拍車をかける検察局の体質強化を招き、起訴率99%という異常な事態を是認していくことにつながる。

わたしは、裁判員制度検察審査会制度も、つまり市民という匿名性を参加させる意図は、権力システムの相対的な衰弱にともなった、逆説的な権力強化であり、一種の社会ファシズムであるといい続けてきた。

いわば、権力運用の官僚側に、すべての国民が相互監視と告発の補佐人として加担せよ、といっていることに等しいシステムなのだ。

この小沢一郎氏の執拗な訴追は、ただの形式犯容疑を超えて、ただの政治影響力を殺ぐための魔女狩りに等しいものとなっている。

いまさら事件嫌疑の誤認の詳細は書かないが、とりあえず怒りをもって検察審議委員の愚行を告発しておく。