尖閣諸島事件雑感−原口議員は前原外相を蹴っ飛ばせ!

;">■原口前総務相超党派議員、空から尖閣諸島視察
(読売新聞 - 10月09日 13:36)
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高橋さんも解放されて慶賀の至りです。

しかし戦争処理というセンシティブな案件である限り、安易にボケーと中国でウロウロしてはいけません。 調査ならそれは国家間のレベルでは即スパイ行為とみなされます。

市民社会が未成熟で、社会や個人生活の隅々まで、政治が浸透しているのが中国です。
共産主義の国だからではなくて、いってみれば、戦前の日本に近いわけですから注意しないとね。

仕事、留学中の在留邦人もどこにトラップが仕掛けられているかわかりませんから十分注意してください。
弱みを握られ、一生中国公安部のスパイとしてこき使われないように。

中国は日本の明治維新が終って、日露戦争辺りの段階だと思っておいた方がいい。
近代市民社会が成熟する過程で、アジアの国々が通らざるをえない道−国家権力側からの近代化推進によって、均一な国民へ育成し、富国強兵を推進しなければならない、そういう過程にあるということだ。

日本は天皇制によって「国生みの物語」=近代化の支配イデオロギーとした。
中国は、五・四運動を起点に「抗日解放」を支配イデオロギーにすることで近代国家を造った。
従って、中国共産党がなくなり、別の体制になっても、「抗日解放」を変えることはない。日本人が天皇制を手放さないように。

反日感情は国民全体には薄まっていくことはあっても、日本人の一部に強烈な天皇制護持勢力が残るのと同様に、中国にも「反日打倒」を行動原理とする勢力は残るとみた方がいい。

それらの勢力と同じ無自覚の国家意識を根底にもち続ける限り、領土問題がでるつど、原点に両国民が引き戻されて、現実的対応をする政府を弱腰と非難しては国家間紛争として顕在化させるだろう。

飛躍するが、やはり参考にすべきはEUである。
石炭問題というシングルイシューの解決から始まったといえども、経済協力を超えて、国家自体のエゴイズムを意識的に調停していこうという方向まできた。

多くの評論家は経済的側面を強調しすぎているが、それは表面的な見方である。
ヨーロッパの知的伝統があって初めてEU統合が成功しているのである。

それはどういうことか。
ヨーロッパは激しく長い宗教戦争と国家間戦争を繰り返したなかで、「神とはなにか」、「人間とはなにか」、「国家とはなにか」ということを根底的に考えてきた伝統である。
ざっと250年ぐらいの間、そんなことばかり考えて作り上げたのが現在常識になっている、いわゆる「近代主義」の諸原理である。

もちろん、国家も人権も宗教分離原則も、その苦闘の果実なのだ。

北東アジア諸国は、近代に入っても共通の諸問題に対するソリューションの伝統は浅く、戦前の一時期を除き、第二次大戦後まだ60年しかない。実質的には日中友好条約以後とみれば、まだ30年足らずだ。

アジアはEUのようにはなれない、と批判する学者もいるが、そうは思わない。北東アジアの大国日本と中国が本気で歴史に学び、いきずまった資本主義社会を超える過程での各種ソリューションをみいだせば、遙かに短時間で成し遂げることができるかもしれない。やってみなければわからないことだ。

中国も間もなく失うものの方が多くなる。抗日の旧世代は消えて、新しい若いエリート層がそれをしっかり認識するはずだ。
はずだ、と言い切るのは中国がもはや人間の価値を二束三文で戦争に狩り出せなくなって、国家資本の蓄積が可視化されていくだろうからである。

そして今の若い世代の多くが、留学先をアメリカか日本にしているからだ。
彼らはイデオロギーで人が死ぬことを愚かなことだと認識し始めている世代だといっていい。特にエリート層は。

彼らを大事にして、アメリカや日本の思考方法を共通のソリューションの基盤としてもらうことである。

日本にも、中国を旧植民地として蔑視するコンプレックス国民が消えて、普通の隣国としてみえる若い世代が、主流となるだろう。

もちろん個人的には好きも嫌いもある。それはそれでいい。

しかし、政府間の敵対関係を煽るような愚かなことはしなくなるだろう。

油断は許さないが、それはやはり知的思考を深化できるかにかかっている。

こんなことを言うのも、今月の「中央公論」に中島恵のレポートで「中国の若者は日本をどう見ているか?」が載っているのだが、それを読んで中国も確実に変わっていくだろうという予感を強くした。

長い歴史の中では、19世紀後半の日中関係は、一瞬にして異常な時代だという認識が必要で、この尖閣諸島問題も、原理的には国家のものではなく、太古の昔から生活の源としてきた日中その他の漁民のものだということを忘れてはならないだろう。そこをシッカリ押さえておけば、政治の向かうベクトルは自ずと決まるはずである。
領海などというものは、所詮近代の産物なのだ。

領海という幻想をくる魚影かな   俳愚人

という小生の俳句があるくらいだ。どってことないけど(笑)。

民主党の中の若手では、唯一原口クン、細野クンふたりだけは支持しているのだが、原口クンはそこを踏まえた歴史を見通す外交をやって欲しいと思う。

前原外相のようなネオコンを排除するには、東北アジアのEU化を視野に入れた上での対中抗議でなくてはならないことは言うまでもない。

アングロサクソンの異民族統治原理、”Devide and Control”に容易く乗ってはいけない。

今回もさらに思いやり追加予算をアメリカは要求してきた。嗤っているのはアメリカなのだ。