■政治イデオロギーとしての奇兵隊−菅総理の誤認と類似

今夜のNHK「龍馬伝」は高杉晋作の最後をテーマに放映していた。
少し脚色が過ぎるとは思ったが、志し半ばで逝く晋作の無念さをかもし出していた。

菅総理は長州出身である。菅内閣を自分で例えて、郷土の英雄高杉晋作の創設した奇兵隊に例えた。

司馬遼太郎高杉晋作を爽やかな軍略の天才として描いている。また封建時代にあって、四民平等の人民軍奇兵隊を作り、新時代に先駆けたとも一般に評価されている。
菅総理は、奇兵隊に新しい時代の創出部隊と組織の四民平等という二つのプラスイメージを体現したものとして、内閣をシンボライズさせたかったのだろう。

しかし、萩博物館特別学芸員の一坂太郎氏の論文「長州奇兵隊は理想の近代組織だったのか」(中央公論10月号)によれば、官総理や巷間流布されてきた晋作と奇兵隊への評価は、政治的イデオロギーに彩られた、噴飯ものだという。
筆者も少なからず司馬史観に影響された世代として、この一坂太郎氏の論評を自戒を込めて記録しておきたい。

そこで、一坂氏の論旨をたどりながら、感想を挟み込んでいきたい。


高杉晋作長州藩の八組(馬廻り)という、藩主側近を何人も出した家格に生れた。

当時としては、もちろん開明的な俊才であり、坂本竜馬などとは違った組織内部の権力闘争を勝ち抜いていく政治カンのいい男だった。当時ではやはり随一の人物だろう。

まず奇兵隊を高杉が作るきっかけは、文久三年(1863年)五月十日の攘夷実行の日に端を発する。夷人ぎらいの孝明天皇が、江戸幕府に対して、攘夷決行を迫り、開国に進む幕府が圧力に屈して約束したものである。
それに即して長州藩は、天皇の側にたち、関門海峡を通行する外国艦を砲撃し続ける。

しかし敗戦により諸外国の逆襲にあい、守りに転じざるをえなくなった。
このとき、高杉は藩主に一策を具申して、藩の正規軍に対してゲリラ隊を組織する。それが奇兵隊である。

後日、似たような軍隊が雨後の竹の子のようにできていく。「御楯隊」「八幡隊」など、400隊を超えたという。これらを総称して「諸隊」と呼んだ。

晋作は下関に走り、六月六日深夜商人白石正一郎の屋敷に入り、協力を求めた。翌日から奇兵隊員が集められ、初代総督は高杉晋作が就任。

晋作が藩に提出した稟議書から奇兵隊構想がわかる。
1.有志の者の集まりである。
2.藩士、陪臣、軽卒という武士階級の中では身分を問わない。
3.堅固の隊にする。
と書いている。

加えて、武士以外の庶民の入隊も認めた。
最終的には、武士五割、農民四割、その他一割という混成部隊に仕上がった。
武士は、八割が足軽、中間、陪臣といった最下級武士であり、農民は七割が平百姓であったという。

一坂氏は次のように書いている。
「しかしだからといって、晋作に近代的な平等意識があったのかというと、それは違う。
奇兵隊に入れば武士になれるとの噂は流れたが、実際は農民が入隊しても、原則身分は変わらない。同じ隊士でも、髪型から服装まで細かく差別があった。
たとえば、『袖印』という名札は藩士が白絹地、足軽以下は晒布と、材質まで細かく取り決められていた。
さらに苗字帯刀が許されている者以外は、袖印に名のみ書くよう指示が出ている。しかしこれなどは守られず、庶民も勝手に苗字を書いていた。」

一坂氏の研究からは、人口一割にも満たない武士だけでは戦っていけず、九割の人口を軍事力として単に利用しようとしたのが本音だという。

それは晋作の生れる八年前に、長州藩では農民十数万人が参加した「天保の大一揆」が起きており、また地政学的に外国の脅威が庶民にも浸透していたので、庶民のエネルギーを外敵に向けて利用しようということが本当のところだったと結論づけている。

これは実におもしろい。内政が危ういと、庶民を外敵に向けるという国民支配の原則は、この頃発見された方法のようだ。

その後、長州藩は攘夷の暴走を恐れた朝廷によって排斥され、その挽回策(新発論という)として有名な「蛤御門の変」を仕掛け、会津、薩摩に破れた。以後逆賊の汚名を着せられていく。

外国に破れ、朝廷、幕府軍の第一次長州征伐でも敗れた長州は、家老三人が腹を切って責任をとり、藩主は蟄居させられる。

晋作はこの新発論を止めようと奔走したが失敗し、責任をとらされ、攘夷派は藩政から守旧派に放逐されてしまう。

晋作は、一時九州に逃れ、藩政主導権を奪回するため奇兵隊に呼びかけるが応じない。なんとか呼びかけに応じたのは80人ほどで、三田尻を奇襲して成功すると、三週間もたってからやっと奇兵隊は勝ち目ありと続々参加したとされる。

このとき奇兵隊の実権を握っていたのは軍監山形狂介(有朋)だったが、既に晋作の作戦指揮がそのまま通らなくなっていたようだ。
軍が独自利害で進退を決め、晋作の統制には負えなくなっていく。

(つづく)(http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20101013/1286931027)