■小沢敗北論−民主党代表選後への作用by山本哲士

民主党代表選への論評で納得できるものになかなか出会わなかったが、山本哲士の論評は流石だと頷けた。なかなか自分が納得できる論評がないとき、山本はわたしの参照先になるのだが、いつも裏切らない。

以下忘備録。

小沢一郎の政治資本化と社会資本化の逆立:民主党代表選後への作用」
2010.09.13 Monday

勝ったなら菅、鳩山を重要閣僚にいれるぞ、という社会資本化と、負けたなら民主党を割るぞという政治資本化は、まったく逆立する。
前者は、善を行使するぞということであり、後者は悪を行使するぞ、ということである。悪の行使によって、悪しき状態を作るのは無能だ、悪の行使によって、よりよい方向へ飛躍するぞ、というのが政治資本化である。
政治資本の質は、不一致を飛躍的一致へと可能性を開く事にある。
社会資本の質は、合致の拡張にある。


ここに働きうる政治資本を、つまり自らの最大の力を、小沢が行使しえていないゆえ、小沢は負ける、しかし、負けても、党分裂は起こしうる。政治資本としては、かわりないのだから、ここを毅然とだしえなくてはならない、それを、社会資本化でごまかすから、不可避に負けの道を自分で作ってしまった。
この相反性を共存させていくだけの、政治資本が小沢にない。


しかし、勝ったとしても、小沢は、連立を再編するであろうから、どちらも結果は同じである。
菅の弱さは、何も変わらない、社会をよくしよう、「チームワークが無ければ日本は変えられない」とか、「円高には断固たる対応する」と、お題目だけだから、政治資本が感ぜられず、実行力の無さが失望されつつも、事なかれ主義の暗黙の悪しき日本性において、とりあえず菅路線で行こうと周囲がなるにすぎない。


民主党に、もはや変動する日本を統治指導しうる、政権実行力はないということが露呈した代表選である。結構優秀な人材がいるのに、議会制民主主義の限界に、日本そのものが直面しているということ、ここが本質であるのだが、政権交代は、そこまでいかなかったから、自民党とかわりない情況へとふんずまっていく。


残り、40人ほど、短期小沢にかけて、その次を速めるか、既存菅に依拠して、とりあえずをやりすごすか、この40人が決める。変動は、かならず少数者が決定する、それはかつての政界再編時においてはっきりと出現した、政治パワーの論理である。多数者が決めるのではない、それは結果そうなるだけのこと、その結果をうみだすのは、かならず賢明な少数者である。


どちらになれ、1年はもたない、根本ビジョンがないからだ、たとえば、子供手当、13000円だろうが26000円だろうが、ひとりあたり13000円の違いで、日本はよくはならない、それがたくさん集まれば、大きな量だというのは、まやかしである。個人の存在意味をバカにしている。


はやく政界再編へ突入した方が、健全だ。挙党一致なんぞの、党内社会イズムでもって、日本が直面している事態を乗り切れない。
社会は、それをもう求めている、政党が、それをキャッチしうるかどうかである。


負けても勝っても、次を決めるのは、小沢たちだ、政治資本が菅たちよりもあるからだ。
だが、根本では、二人を超える、政治資本が求められている。

(註)*「資本capital」とは、「パワー=可能とする力」を産み出す財=goodであって、マネーではない。資本をマネー、資金、資財としたのは商品世界でしかない、<資本>は、商品世界より大きい、さらに経済・政治・技術・文化さらに環境の根源である。

http://hospitality.jugem.jp/?day=20100913