平松の敵失による橋下維新の会勝利

しばらく大阪を離れていて今帰ってきて、選挙結果を聞いた。
一週間ほとんどマスコミ情報に接触しなかったので、あまりの大差に驚いている。この一週間で何が変わったのか?
結果は予想していたとはいえ、この大差は二つのことがいえる。

ひとつは、橋下の勝利分析が正確であり、既成政党の相乗りが想像以上に嫌われていた。既成政党への幻滅と閉塞感への焦燥感と期待感がはるかに強かったということだろう。

そのまま裏返して、平松の選挙戦の失敗だろう。
既成政党の相乗りは、民主党政権交代後の政治そのものへの府民の不信感に鈍感であったということ。ただでさえ橋下の畳み掛けてくる土俵に乗せられて闘う状態を脱するために、TV討論会を断ったことは大きな失点となったのではないか。

ただでさえ、ひ弱なリーダ像しかない平松は、ますます闘いを逃げるダメ政治家を演出してしまった。おそらく橋下の土俵と詐術にはまらないという作戦だったのだろうが、これは私もまずいと思ったものだ。

また、政策と構想をぶち上げる橋下に対して、はかばかしい大風呂敷を提起できず、ほとんどが橋下とにたりよったりの公約を掲げてしまった。もっと橋下の4年弱の悪政と、構想に対する杜撰さを訴求できなかった。これはやれば簡単にできたにもかかわらず、なぜやらなかったのか何度も首をかしげたものだ。独裁一点張りでは、独裁を待望するファシズム集団心理に陥っている府民には通じないことはわからなかったのだろうか。そのあたりが平松の政治センスの無さなのである。

詳細の情報をみていないので、いまの段階では平松側の敵失要因がこれだけの大差となったようにみている。

私は、橋下政治はダメだと思っている。その理由は何度も述べたが、橋下の意見にはかなりの部分合意できることもあるのだが、政策ではまったく府民の方を向いていないと思っている。
意見と政策合意は別である。つまり入口論と出口論である。出口論では、堺屋太一がブレーンであることでもわかるように、高度成長すなわち発展途上国型の豊かさのリメイク版でしかないからだ。私たちの焦燥感は、もう少し想像力を必要とするはずである。あまりにも安易な「都」構想であるように思う。

選挙についていえば、60%超の投票率府民の切実さはよくわかる。
しかしどれほど橋下政治の失政を理解しているのか、たま都構想にセットされた教育条例や公務員条例の問題点を理解し論議の経過を理解していたのか、極めて疑問である。

選挙結果が民意だと単純にいい、民主主義は選挙がすべてだというのだが、はたしてそう単純化していいのか。
民主主義の選挙は、現在のマスを想定していなかった。選挙は、マスメディアと一体化して、印象操作の手段になっているのではないかとも思わざるをえなかった。
地方自治体の選挙は、もう少し緻密な選挙システムに変更すべきではないのか。