橋下大阪都構想の虚構と挫折−保坂世田谷区長の指摘を参考に

とうとう橋下市長の大阪都構想が暗礁にのりあげた。
公明党が今年度内の区割り決定スケジュールに協力しないことが決定的となった。

各会派も法定協議会は事実上反対で進める意思はなさそうである。

橋下市長と松井知事は、公明党の裏切りだと激しくののしったが、公明党は区割りと住民投票までは一緒にやる合意をしてきたという話はないと説明している。

橋下市長は、合意があったとは言うが、政党同士の政策協定書を証拠として開示はしていないから、他人には藪の中だ。

堺市長選挙で、維新候補が負け、それはなによりも都構想へのノンであったはずなのに、橋下市長はこの期に及んでもまだ単独立候補の市長選を仕掛け、自身の人気低落への空気入れに利用しようとしている。

万一当選しても、この選挙が無意味で対応することに意味がないとする他党は、それで信任されたという大義名分を与えないように戦術をとっている。

また、区割りの法廷協議委員はそのまま、会派もそのままで、橋下市長の当選は政治的意味は全くないことになる。

都構想による二重行政の解消で、6000億円のコストカットをうたっているが、役所の試算では地下鉄や水道事業の民間売り飛ばしをしてやっと400億円程度だと回答している。

また、区長に権限がおりれば、スピーディな仕事に切り替わり住民サービスが強まると強弁している。

しかし、私はかねがねそうであったとしても、逆に予算は府に一本化され、予算編成は都全域のなかで配分されるため、かえって配分の検討は荒く、現行の市町村のように住民要望に基づいたプライオリティは困難にならざるをえないだろうとみてきた。

まして税収のある地域から、不足地域へ当然流れるのは金のならい、また選挙がらみで時の政権によって恣意的な予算付けをだれしも不安に思うはずだ。

行政に素人の私でもそれぐらいは気づくが、東京都の区制をベースとしている大阪都の問題点を、保坂世田谷区長が簡潔に問題点を指摘した。

これは、現行いきずまっている東京都の区政を浮き彫りにし、実は大阪都構想が現行の市町村自治体行政より後退する可能性があることを浮き彫りにしている。

すべての大阪府民は、この保坂区長の指摘を読んで、橋下維新の会の拙速な都構想をもう一度じっくり検討する方がいいだろう。

大阪都構想の欠陥 東京23区の現実
文 世田谷区長 保坂展人
2014年2月5日


 東京都知事選挙も後半にさしかかった、2月3日。日本維新の会橋下徹大阪市長は市長を辞職して、出直し市長選挙に立候補することを突然、表明しました。橋下市長が掲げる「大阪都構想」が市議会で維新の会以外の賛同を得られずに進まないため民意を問いたいのだと伝えられています。

 大阪都構想については、昨年9月の堺市長選で、「大阪都構想反対」を示した竹山修身市長が、維新の新人候補を退けたことで、住民はNOの意思表示をしています。政令指定都市(以下、政令市)としての自治権限をすでに有する堺市を廃止し、大阪都特別区になる道は選ばない、という選択をしたのです。橋下市長率いる維新の会が総力で取り組んだ選挙だったにもかかわらず、結果は敗北でした。「民意」というなら、堺市民の民意はどうなるのでしょう。

 さて、東京都は、1943年(昭和18年)に東京市東京府を廃止して生まれました。大阪都構想がベースにしているのは東京都の特別区(23区)のあり方です。大阪府政令指定都市である大阪市堺市を廃止して大阪都とし、特別区を設置するとしています。この議論を聞くたびに思うのは、東京の特別区の抱える現実と矛盾に対しての理解の薄さです。

 世田谷区は七つの県を上回る88万人という人口を抱えています。そこから感じるのは、東京の都区制度は必ずしもうまくいっていないということです。戦時中につくられた特別区制度」は、人口規模も自治体実務をめぐる役割分担でも制度疲労が目立っているというのが今の実感です。

 世田谷区のような特別区は、地方分権改革によって国や都道府県から基礎自治体へと移管される事務が多いため仕事量が増大し、事業と責任の範囲はふくらんでいます。

 一方で、法人住民税、固定資産税(個人・法人)などは都税として徴収することになっており、その55%が各区に再配分されるにすぎません(都区財政調整制度)。また、地方分権の流れで基礎自治体に移行した「都市計画決定権」は、なんと「特別区」のみ除外されており、まちづくりの戦略指針さえ自由につくることができません。学校教育に責任を持つ立場でありながら、教員の人事権は都であって、区にありません。

 つまり、一般の市町村以上に、特別区は財源と権限が制約されているのです。
大阪市(人口268万人)と堺市(人口84万人)は、現在は政令市という通常の市町村よりかなり権限をもった自治体ですが、大阪都構想では、これを廃止して人口30万人程度のいくつかの特別区に再編し、広域行政を大阪都が担う代わりに、住民に身近な生活基盤に関する行政を特別区と市町村が担うとされています。

 ただし、そうなれば大阪市堺市政令市として付与されている権限を失うだけでなく、特別区に転じれば、周辺の市町村と比べても権限や財源が制約された基礎的自治体となってしまうのです。

 ところで、東京の特別区は長い間、自治権拡充のたたかいを続けてきました。

 戦後、行われていた区長公選は、「区は都の内部団体」とする都の意向を受けて、1952年(昭和27年)の自治法改正によって廃止されました。その後、72年(昭和47年)に品川区議会が区長準公選条例を制定して住民投票を実施したことで、再び、区長公選への道が開かれました。

 現在、区長は区議会議員と同様に選挙で選ばれていますが、実現したのは、75年(昭和50年)からなのです。区長を選挙で選べるようになってから40年たらず、というのは意外という人もいるのではないでしょうか。それまで、区の管理職ポストは「都の人事の受け皿」とされた時代が長く続き、区長には幹部を動かす人事権もありませんでした。
初の公選区長として選ばれた世田谷区の大場啓二・元区長(2011年没)は「世田谷独立宣言」というポスターを制作し、更なる自治権拡充を訴えました。そして、特別区が「基礎的な自治体」として位置づけられるようになったのは2000年(平成12年)のことでした。

 いま、東京都知事選であがっている論点の中で、「子育て支援」「若者支援」「高齢者福祉」「障害者福祉」の最前線はいずれも区が抱えている現場です。押し寄せる大きな行政需要の波に日々さらされているのも区です。だからこそ、財源と権限が必要です。特別区のような制約された自治体の姿でいては、求められるニーズに対応できないと考えています。 警察・消防・上下水道等の広域行政を除けば、住民サービスの多くが区の仕事として行なわれています。東京の分権・自治改革が必要です。

 東京では、制約された基礎的自治体である特別区から「世田谷市」「新宿市」のようになることもたびたび話題にのぼってきました。それほど問題を抱えたシステムなのです。それだけに、大阪のように「政令市を廃止して特別区へ」という議論には肯きがたいものがあります。

http://www.asahi.com/and_w/life/TKY201402050010_02.html