急速に支持離れ!-馬脚を現す橋下維新の会

今日はルソーの『社会契約論/ジュネーブ草稿』を購入。改めて近代の民主主義諸原理が形成される過程を追って、その有効性と限界を見極めたいと思っている。
そんなわけで大学の先生方や院生にまじって研究会発足。ビジネスマンのわたしがまぜっかえす役割。(笑)
テーマは「市民社会論」。


さて本日橋下維新の会は、公明党に対して、教育条例を市議会採択に協力するなら公明党の選挙区には対立候補をたてず衆院選挙に協力すると踏絵を突きつけた。
公明党は、さっそく降参したと聞く。

もっとも府知事選の折に、堺屋太一が隠密裏に創価学会接触、上記のバーターで選挙協力を取り付けた。
今回にはじまったことではなく、府知事選からの密約の延長上の話である。

それにしても公明党もなめられた話ではないか。所詮権力に吸着して、利権を拡張するスタイルの政党だからこういう奇怪な話がもれてくるのだ。

しかし、公明党は見誤っている。
維新の会に、国政選挙で再び神風が吹くことは怪しい。それは「船中八策」が発表され、それに瞬く間に若者が失望し、橋下維新の会が新しくもなんでもないみんなの党の焼き直しにプラス公明党自民党民主党などのつまみ食い寄せ集め政策でしかないことを曝け出してしまったからだ。

いまだにルサンチマンだけの若者は盲目的に支持しているだろうが、少し考える人たちは何か最初と違うなーという違和感を確実に持ち始めている。

ひとつは、小沢一郎支持派が際物好きで橋下を支持したが、TPPの強力な推進者だと解りオタオタして離れた。
小沢の位置は、既成政党のテイタラクに嫌気がさしている層の受け皿だから、その単純な延長で橋下を見誤った。

二つ目は、市労組への政治アンケート問題である。少なくともルサンチマンではなく、政策の新しさや実行力に期待した層が、明らかな憲法違反や労働法違反を見て、やりすぎだと感じ始めていること。

わたしのmixitwitterは橋下批判を継続してきたが、若者たちの賛意の書き込みや、リツイートは確実に増えている。

本当は橋下維新の会に期待したかった。
期待に応える可能性はあったと思っている。どこで橋下は間違ったか。

ひとつは橋下自身があまりにも社会科学的訓練ができていないため、世俗的なルサンチマンの代弁はできても、本当に既成政党のスキームを越えていく政策を提案できなかった。

そこを埋めたのが、東京で立つ瀬をなくした食い詰めた官僚や政治家くずれが群がり、自らの「夢」を橋下に託した。
彼らは市場原理主義であり、競争信奉の原理主義者であったから、一見進歩派の印象を与えているが、松下政治塾と同様対米依存の継続派である。なんのことはない前原や野田など民主党執行部と同類なのだ。

良質な保守派はここで橋下を見限っている。結局自民・民主とスキームは変わらない現実保守であるからだ。


さらに、本日ごく普通の常識派は橋下離れをしたことだろう。
市民団体が86,000人の署名を市に提出していた「原発住民投票条例」だ。維新の会の政策には「原発依存度を徐々に低減していく」旨が記されているが、市民団体は「停止による廃炉か否か」を問題にしている。そのために市民投票による決定を義務つける市条例の制定を要望している。

この署名要望は議会へは市長の意見書を添付して回さなければならないのだが、橋下は条例は不必要であると断言したようだ。
理由は市が決めれはいいことで、莫大な予算を割いてまでする必要は認められないと。

原発のような直接市民の生存権を脅かすような重大な決定を、コスト問題と自分が決めるから黙っていろという態度は、あまりにも傲慢にして認めがたいものであろう。

フクシマ以降は、明らかに地元決定は無意味となった。被害は広範囲にわたり、行政権力と電力エリートが絡んだ時には、金で横っ面をひっぱたくようにして、設置エリアだけの住民を懐柔して広範囲の被害想定エリアは蚊帳の外に置いてきた。そのやり方が明らかに問題にされているとき、橋下市長の判断はどこも新しくない。
総理大臣は国民投票でといいながら、批判につまれば黄門の印籠のごとく、民意民意と民意大明神は言うのに、原発問題には民意は不要だというのだ。
この手前勝手な独善になお支持するものがいるなら、狂気といって差支えない。
株主として、関電にどのようなコントロールをしていくのだろうか?
わたしは何度もいうが、橋下が本気で関電と対峙していくなどと思っていない。大衆受けするすることを言いながら、最終的には漸次依存度を下げていく云々のところに落ち着くのではないかと疑っている。


はやくも橋下維新の会は既成政党のボロボロの旗をつぎはぎして、口汚くののしりながら振っているにすぎない。