やはり異常社会日本だった、先進国でも際立っている人心荒廃!

波頭亮氏(経営コンサルタント)が次のように報告している。

アメリカのリサーチ会社ピュー・リサーチセンターが2007年に世界47カ国を対象に行った世論調査、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はあるか」との問いに対し、日本では38%の人が助ける必要はないと回答したそうだ。これは調査対象となった国の中でもっとも高く、欧州の先進国や中国、韓国などはいずれも10%前後だった。伝統的に政府の介入を嫌うアメリカでさえ、そう答えた人は28%しかいなかったという。  この調査結果を聞いた経営コンサルタント波頭亮氏は、日本では「人の心か社会の仕組みのどちらかが明らかに正常でない」と考え、経営コンサルタントの目で日本のどこに問題があるかを分析し、独自の処方箋を考案した。

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やはり新自由主義の誤った解釈により、市場原理主義として日本のエリート層がアメリカから受容してしまった結果なのではないか。
もともと新自由主義がイギリスの労働党ブレーンのギデング博士らによって唱えられたのは、むしろ新しい共同体の創出であったように記憶している。しかし残念ながらサッチャー政権で、伝統的な教会組織の復活へすり替えられ、イギリスではその悪政によって不人気となった。
それがアメリカへ入って、アメリカの特殊な建国精神、政府の不干渉による自由尊重になじまなかったのかむしろ市場原理主義として変質し、新しいものを学ぶことがエリートの役目だと日本人留学組がとりこまれていった。

アメリカは宗教国家なので、政府の干渉をきらって自由を叫んでもキリスト教組織がびっしりと網の目のように市民社会にかぶせられて、貧困や麻薬問題の救済をしている。
日本には、政府・行政が直接個人を管理する伝統のため、困ったらなんでも行政ということになるが、それは残念ながら日本のもともとのコミュニティを破壊してきた結果である。

そのような社会風土の違いの中で、新自由主義が自己責任を理想とし、竹中平蔵たちのように日本の格差は微々たるもので考慮する必要はないなどといったわけだから、もう貧乏人は棄民されたも同然であった。

橋下徹がでてきたときから、支持者や一部の識者とやらが新しい政治家だと賞賛したが、わたしはすべての政策について古臭い理念で、遅れてきたポストモダンであり、小泉竹中構造改革のリメイク版だと指摘した。

左派は堕落しているから、ピンボケの独裁だとか、敵をつるく手法を問題視した程度で、本質的な批判は大分後になってきてからだった。

ちょうど橋下徹が実社会に出て、この新自由主義や自己責任という強者のイデオロギーを常識として摂取した世代である。
だからこの、アンケート結果は、ほとんどが橋下以降の世代の回答とみていいだろう。
それほど日本の青年から壮年へいま沈殿し固着してしまった。恐ろしいことである。
われわれ老人は忸怩たる思いで、ぼけている暇はない。

波頭亮氏はこうした異常な日本への危機感から、著書『成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ』を上梓し、分配社会のすすめを提案する。
わたしの考えている方向性と重なるもののように思う。喫緊の宿題として読みたい。

われわれ老人も高度成長社会の無意識の発想を厳しく反省しながら、少子化と低成長時代のグランドデザインを考えていく必要がある。
経済成長の必要はだれも解っているし、望んでいる。しかし経済成長が必要だというときの内容が問題で、堺屋太一高橋洋一のような官僚崩れがいう場合は、ほとんどが生産力至上主義で弱いものは市場で淘汰されるのは当たり前、弱いものが補助金で生き延びて足を引っ張っているという言説に取って代わられ、それは企業社会では妥当であっても、個人の社会的ライフラインをも無効化する見境のない強者一般の理屈に世俗化してしまっている。

社会科学的訓練のできていない橋下徹のような司法試験バカを初め、受験に明け暮れ知識が学問だと錯覚した大量のエリートが平然と言い放ち、本来抗議してもおかしくない貧しい若者がむしろ橋下などを支持するというグロテスクな社会におちいっているのではなかろうか。

いつの時代も-「無知が栄えたためしがない」−マルクスの金言である。