橋下市長の大飯原発再稼働反対表明はブロフにすぎない!

この間の府市統合エネルギー会議の原発再稼働への待ったの表明は、多くの浮遊する脱原発派を虜にした。
わたしも支持表明したひとりである。

しかし、わたしは橋下政治にはことごとく異議を唱えてきたなかで、唯一初めて支持表明はしたものの、一抹の不安も付則した。

それは土壇場で財界と裏で通じることで反故にされ、うっちゃりをくうのではないかという疑念である。

それは橋下がいままで自己都合のいい豹変と説明で府民市民にはおこぼれ的な政策に差し替えてきたことから出ている。

疑念は状況的なものが中心だから、あてにならないと言われればそれまでだが、次期衆院選挙の軍資金30億円がすでに関西財界から用意されたといわれている限り、そう簡単に本気で政治生命をかけるとも思われないからだ。

情報によれば、停止条件なんかどうでもいいのだ、停止してもしなくても、それは結果的に選挙で決着をつければいいとも発言しているとの話で、要は次の選挙のつまみになれば自分としてはそれでいいのだと自白しているわけだ。
本気で府市民の命を守るスタンスではとてもない。

役人と教師叩きで、これまでの選挙を勝利してきたように、体制のなかで俗情に浸る庶民の趨勢をよく分析している。
橋下の油断できないところは、ポピュラリズムを梃子に民主主義の最低の水準で権力を手中にしていくからだ。
今度の国政選挙は、民自公の与野党の融解に対し、橋下イズムが野党として浮動票をさらっていく可能性は既存のジャーナリストや文化人には見えない。それほど国民の民主党への失望は大きく、受け皿が見受けられない。東京や永田町にぬくぬく居座っている少数派には決してみえないだろう。

そして彼らにも全国民にもみえないものは、巧妙な橋下の政治手法である。
国政に手をかけたら、確かにその時巧妙な作戦のもとに官僚見せしめ叩きをするかもしれない。国民には拍手喝采だ。
だが気づいたときには、民意を盾に敵をでっち上げながら、少数派が大を飲み込んで、民主主義の公理を逆手にとって、ネオファシズム政策を民意として強引に進める。「船中八策」の国家主義政策はその時少数の民意でしかないにも拘わらず、実現されるだろう。
それはまさにナチ党が、ドイツ国民にとってはその場しのぎの善政を実施し、国民は深く賛同した過程に酷似している。

おそらく今度も、原発停止で全国の浮動票の耳目をひきつけ、浮動票はほとんど大阪の橋下政治などには疎く実体をしらない。
再稼働停止か否かの二者択一選挙に絞り込まれ、簡単に騙されて橋下維新の会に投票することだろう。

橋下府市統合エネルギー会議の再稼働停止は、端的にいって橋下のブラフにすぎない。

わたしも知らなかったのだが、飯田哲也氏は即時停止の人ではなく、代替えエネルギーまでの原発は止むなしが信条だと聞いて、なるほど橋下の顧問を引き受けた背景が理解できた。
どうして飯田氏がといぶかってみたものだが、なぞは解けたのである。

とはいえ、大飯原発停止に向けて、府市民の盛り上がりで、橋下の仕掛けたブラフを、実質ならしめざるを得ないさころまで追い込むことを期待したい。
橋下の仕掛けたブラフを市民が乗り越えて勝利を獲得するのである。

それにしては、市労組も市民団体も、政治結集軸をつくりえていない。
橋下ではなくて、府市労組こそが政治党派と連帯することで府市民を結集し、そのヘゲモニーを貫徹すべきなのではないか。
それができないダラ幹の労組だから、橋下ごときに敗北しつづけるのである。

ここでも心ある府市民は苛立ち、絶望している。
府市労組は、そういう意味で、橋下の共犯であることを自覚すべきである。