幕末の日本人に似てきたか!外人に痴呆に近い明るさと笑顔と言われた。2015参院選挙だ!

幕末に日本を訪れた外人たちが、共通して日本についての印象を書き記したことが、日本人のすばらしさであった。
清潔で、明るくて親切で笑顔が溢れている。この植民地化を目前にして危機感も庶民には全くなく、まもなく列強の餌食となって奴隷のごとき生活が迫っているというのに、人々のこの明るさは何なのだと。
この笑顔と明るさは、一種の痴呆を思わせると。
幕府は外人が観光(植民地調査)したいというと、天領の豊かな農村だけを見せたことにもよるが、多くの外人が共通した性格として挙げていることをみても、平均的日本人を描いているとみて間違いないだろう。

さて現代である。
参院選挙戦だといえども、どこか緊張感のない弛緩した明るさが覆っている。
早くもマスコミは、与党圧勝を伝えているが、ただの与党と癒着によるリードだとも言い難い。
それはやはり支配層のイデオロギーをこれだけ教育と生活局面に垂れ流され、洗脳され続けると、自らそれを内面化してしまうからだ。
奴隷制度が当たり前のギリシャ時代のポリス市民や、教会の魔女狩りが当然のごとくそれに参加したキリスト教徒たち、戦前の天皇ファシズム国民・ナチスドイツ国民は、その時洗脳されているとも思わず、その支配イデオロギーからは逃れられなかった。しかしわずかにその不合理を唇を噛んで耐えたひとたちがいたことも事実である。

現代は「再帰的近代」といって、伝統や慣習に従っていれば何とかなるという時代ではない。神はいないのである。個々人が生存条件を保証する社会の像を、情報や学問的解析で確定しつつ、方向を社会政策という参加ゲームの論議を経て最適化していく。
神から個人の時代だ。責任は自分自身にある、というしんどい時代でもあり、同時に幸せの最適化は人々の合意によって決定できるという、未来を人間の「賢明さ」へ委ねることもできる良さもある。

さて、安倍政権以降、株の値上がりと、輸出大手企業は恩恵に浴したことは否定できない。
だが、国民の大多数の生活は苦しくなったということが、政府各種統計で確定的に明示されてしまっている。

それは安倍政権が述べているアベノミクスの政策成功途上にあるため、大多数の国民に恩恵が回らないのか、もともと政策がそういうものなのか、この論点にはほとんど専門家の結論がでているが、富裕層や恩恵を受けた層は、利益政策を手放しはしない。エゴという煩悩だ。
貧困層情報弱者ということもあり、また学歴が低いということで、論理的に世界を把握することには不慣れで、自分に不利になる政策でも支持してしまうという傾向が世界的に指摘されている。
これが先進資本主義の統治の巧妙さで、自己認識を支配イイデオロギーによって誤認させる弊害も指摘されている。それは統治技術の向上というソフト面の進化は、自然科学同様確実に進んできたからだ。修正資本主義のリーダーたちはいくつもの労働者革命や資本増大の失敗(戦争)の修正から、むき出しの暴力による集中型権力から、支配的イデオロギーの権力分散を実施してきた。
それは表面的に成功はしている。だが賢明な理性的判断は綿々と生き残っており、今の安倍日本会議神道政治連盟のような、反知性主義と拮抗している。しかし政治表現は、個々人の合意として形成された選挙制度を通ると、棄権が50%もあれば、それは近代の合意している確定された民主主義制度を侵食し、反知性主義を合意の政権と仮構してしまう。

多くを語らないが、端的に国民の現状を確認しておこう。


一言でいえば、賃金は減り、老女も働かなければ食えなくなってきたということである。
貧困が、一人親、子供、老人という社会的に弱い層に集中しているばかりか、既知のこととして若年派遣労働者が四割を占め、結婚の契機を失い、少子化が進行している、という構造的問題である。

コメントするとすれば、女性の労働は2016年にはこのデータの倍となっているだろう。

ここに挙げなかったデータとしては、自殺者数が3万人から5万人まであがってくるだろう。しかも皮膚感覚で感じる介護疲れによる無理心中という自殺。