築山登美夫『最後の叡智の閃き』(『無言歌』論創社所収)を読んだ。サブタイトルが「吉本隆明『「反原発」異論を中心に』となっているように、一連の吉本原発発言の妥当性について述べている。
秀逸である、静かな感動を得ることができた。
また、やはりプロの物書きは緻密かつ遺漏の無い技術がすごいなと感服した。
というのも、吉本原発発言の真意、すなわち俗流識者たちの頓珍漢な「原発推進派」という半端な倫理的なレッテル貼りを批判した一文―『吉本隆明原発発言を読み解く』を私も書いているからだ。
私のは加藤典洋、瀬尾育夫を手掛かりにして、吉本の過去の論考から実証的に「本意」をみちびいたものである。
『原子力文化』や『親鸞復興』や『ブルータス』などの掲載文を押さえることができておらず、自分の乏しい蔵書に制約されたため、築山ほどの説得力はないかもしれない。
ただ多くの肯定否定文を読んだが、私が重要な一文として取り上げた1946年の『詩と科学の問題』を取り上げている論者は築山ぐらいのものだろう。その点で築山の吉本原発論へ切り込む切先が稀有のものであることが解る。
(この短文の取り上げは、『吉本隆明と原子力の時代』(前掲書所収)
核エネルギーが「平和利用」ならよしと積極的に倫理的に左派に受容されていくプロセスを押さえるには大事な短文だからである。吉本には、核爆弾も平和利用もともに核分裂のエネルギーとして、すなわち一つのものとして把握する科学者の眼があるからだ。科学を科学として論じ、倫理的に峻別する(イデオロギー化する)発想がないことが見て取れるからである。とりわけ人間の自然史過程としてとらえる視点をすでに示しており、核はいずれ重大な問題となって人間へ返ってくるだろうと予告している。
70年たっても一連の原発発言は、まったくぶれていない。吉本原発推進派だと批判した愚物どもは、おそらく誰一人としてこの短文を読んではいないだろう。
辺見庸や首都圏反原発連合デモなどに対する築山の批判的指摘にはまったく同意する。
多くの塵のような吉本原発批評のなかにあって、珠玉の一品を探し当てたような感慨がわく。あったね、あったね、われわれの完全勝利だ、とつぶやきながら読み終えた。
拙著は、某詩誌へ掲載されたが、言語論に敷衍しすぎて、吉本以外の部分で誤認があり現在はお蔵入りにしている。
この築山論文を参考に加筆して、範囲を原発関係に限定して焼きなおしてみたい。
それにしても惜しいひとを亡くした。
(Facebookより転載)