『ブラックボックス』を読む―詩織さんの勇気を讃え、辛口の書評

伊藤詩織著『ブラツクスボックス』を図書館で借り受け。12人待ちだった。
読みかけだが、釈然としない。もちろん被害者の受けたレイプとその後の警察検察の「あり得ない」対応は異常である。「異常」というのは、被害者の認識なのだが、警察とはそういうところであり、検事は司法官僚であり政治的影響をときにはうけるものだ、という認識が全くないナイーブさ。
公安の政治的投獄も社会運動家への不合理な警察の弾圧を知る私のような世代には、これだけナイーブだと戸惑ってしまう。
幼年期から勝気ではっちゃけて海外留学をへて米国からヨーロッパを苦学しながら渡り歩きながら学位をとったその性格から、世俗の危険とか、オヤジ相手に懐に飛び込んでなにがしかの利得にありつこうとする若い女がどうみられるかという自己認識の希薄さ。
総じてあまりにも自己実現を最大化するときのはっちゃけぶりにしてはナイーブすぎるという感想を持ってしまう。
その後のぶち当たる日本というレイプが秘匿され続ける社会告発はその通りで、否定するものではないが、私は傷ついたという面が前面にに出すぎていないか。ジャーナリスト志望でここまで被害者としてオープンに晒するなら、もう少し起訴状や団体名は実名で書くべきだったろう。
どの組織でどのようなやり取りがあり、それはなぜ不合理なのか、日本社会の病理として掘り下げる必要があったのではないのか。もったいないと思う。
何やら世間知らずのお嬢さんの告白本という印象が強く、ジャーナリストの書いたものにしては説得力に欠けるように思う。
全文を読み切る前だが、ちょっとメモっておく。

誤解ないように言っておくが、彼女の受けた衝撃と傷を決して軽くみるわけではな。ジャーナリストとして、この事件を乗り越えていこうとするなら、もっと加害/被害の二者関係から、社会病理として深化することを願いたいので、敢えて著書としての評価をした。

なお後半は読了したので、時間がとれればまた書いてみたい。
一言で述べれば、後半は前半の印象を覆すほど、ご自身の遭遇した困難さと、具体的な察察・検察への官邸筋の圧力の展開をよく書けている。
一女性が官邸、司法官僚、マスコミというこの日本の最も醜悪な権力構造に取りこまれながら、孤軍奮闘し、支援者を徐々にふやしていく展開はサスペンス風のスリリングなものだ。

しかし期待は、やはりレイプという社会病理を個的体験談を越えてその構造を書き尽くして欲しいと思う。
すなわちレイプが具体的な権力と通底し、ただの男と女の問題ではない、必ず男の権力は現世の権力に重層化しているはずで、この掘り下げをせずにレイプという「犯罪事件」に矮小化してほしくないと思う。
詩織さんにはそれを書く力があると見えた。