香港区議会選=民主派の圧勝、民主化活動から政治過程でのシステム構築へ!

香港の区議選は、民主派の圧勝、8割の議席を占めた。

ひとまずよかった。

民主活動から、本格的な政治過程での民主システムの構築へ移行する段階にきた。

それにしても学生らの「暴力」的デモの意味を正しく受け取った香港市民は、自由・民主への感度が素晴らしい。

ヘルメットどころか防毒マスクまでつけなければならなかった学生たちへの弾圧のすさまじさは、二名の学生の死者までだした。


【報ステ】デモの民意反映 区議会選挙で民主派圧勝(19/11/25)

映像を見るたび、私は遠い昔の日本の全共闘運動を思い出し、涙を何度も流した。

学園の明治以来の権威主義と教授の専制支配(今でいうバワハラ)、

ベトナム反戦平和。

日本では、高度成長という物欲のなかで、生活保守の国民と支配層とマスメディアによって、「暴力」学生は圧殺された。

夜の暗がりに、不気味に光るジュラルミンの盾、機動隊の隊列の駆け足の音、やがて人骨打つ鈍い音が、沈黙のなかでひときわ強く響いている。全身が打たれて阿鼻叫喚の修羅場と化す。

火焔瓶が空をまって炸裂すると、驚くほどの機動隊の数が一瞬炙り出されて恐怖が走る。

放水と催涙弾の発射音、たちこめるガスにのたうち回りながら、どこをどう逃げたか記憶はない。

映像では香港市街を低く垂れこめる催涙ガスの臭いは分からないだろう。しかし私にはハッキリ臭いが分かる。わずかに火薬と汗と血の臭いも。

香港の学生・市民のデモは、あの時の規模も過激さも遥かに上回っており、それを「暴力学生」だと排除できないところに、香港市民の激しい自由への希求と切迫が流れているのだろう。

おそらく、日本では、今後もお行儀のよい、人に迷惑をかけない、どこまでいっても権力者の顔色を窺う規律ある行為、支配的モラルに身を委ね、自由のために自立しようとする人たちを、薄ら笑いをしながら排除していくだろう。

自由のための闘い(連帯)ではなく、自由のための犯罪(孤立)しか許されなくなるのではないのか。

日本の政党も団体も労組も、香港市民への公式的な支持声明を出していないのは、まことに不思議だといわざるを得ない。