個人的には激動の三ヵ月であった。
もちろん世の中は、コロナ感染収束の目途がたたず、激動と混乱と政府の無策の三ヵ月であった。
私的に抱え込む困難さが、社会が滅亡しようがどうでもよくなる。
社会は私の困難を解決しない。
社会は私の困難に無頓着だ。
社会は誰も私の困難に手を差し伸べることはない。
宗教や信仰は、こうしたときに真実味をもってやってくるのではないのか。
いまさら、信仰でもないが、
いえることは、神がいるとすれば神だけが私を見つめてくれているという確信にいたる。
そのとき、間違いなく、私に無頓着な他人を呪い、神のみが私を救うと確信するのである。