「共生」ではない、「共活」が障害者と共に生きる価値概念だー闇の仕掛け人広瀬浩二郎氏

佳い詩です。
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闇の反撃
僕たちは闇の大切さを忘れてしまった
 見えないものを見えるようにすること、
闇を光によって駆逐することが
 文明化として賞賛されてきた
ある全盲の社会事業家は自己の失明体験を「光は闇より」の語で総括した
それは悲しみや辛さを突き抜けた人間こそが真の優しさ、力強さに
 到達できることをしめした言葉だった
点字を考案したルイ・ブライユは20世紀、「光の使徒」として尊敬された
 たしかに彼は、文明化から取り残され闇に閉じ込められた視覚障害者に
 大いなる希望を与えた
では、個として優しさや力強さ、あるいは希望の単なる源泉なのだろうか
僕たちは実際に目にみえるものより、もっと広くて深い世界があることを
 知っている
すべての見えるものは、この見えない世界から発していることを疑わない
そう、かつて琵琶法師やイタコは、視覚を使わない芸能と儀礼によって
 見えない世界の豊かさ、鮮やかさを教えてくれた
闇で耳を澄ませば、広くて深い何かが見えてくる
全身で味わう闇のにおい、闇の手触り
さあ、闇の活力、闇から生まれる喜怒哀楽を取り戻せ
文明化とは何なのか
闇の意味を限定し、その可能性を否定したのは誰なのか
闇が光を駆逐する
Touch Something Invisible!
今、闇の反撃が始まる
静かに、そして大きなうねりとなって

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闇の仕掛け人 広瀬浩二郎氏のズッシリ響く作品です。
彼は生まれながらの全盲
歴史が好きで、大学では歴史学を専攻。しかし古文書の解読に苦労し、研究者として自立したが、その過程で深い哲学を獲得したように見える。闇の中に彼は人間の本質を、文明の本質を掴みだして私たちに見せてくれるのだ。
彼は、「共生」などという、浮ついた障害者には迷惑でしかない言葉は、非障害者側の身勝手な概念でしかないと批判する。
彼は歴史研究の中に、琵琶法師やイタコと言った、盲目者が見常者と別に村落共同体のなかに独自の役割を担い、精神的豊かさを刻み後世に伝承した事例に、己の生きる根幹を見出した。
彼は、「共活」を提示する。
「共生」は、見常者と同じ頑張りを要求し、見常者と同じことができないならば、終生見常者の助けを借りなければならず、従って健常者の価値観としての「有用性」に届くための破格な競争を強いてくる。
それができない障害者は、見常者の世界から結局排除されるのだ。
「共活」は、それを超えていく価値論理である。
闇の中にこそ、見常者をも含めて存在するものすべてを、等しく存在たらしめる光があるというのである。
私は、日頃ジャーナリスティックの言葉にいかがわしさを感じているが、
広瀬浩二郎氏には、改めて自分の軽薄さを思い知らされた。
(広瀬作品は、山下麻衣編集「歴史のなかの障害者」所収)