一月風邪が抜けプチ多忙ー京都市長選を診て、おやおやwww

寒いですね、やっと風邪が抜けたようです。
土曜日は、精神医療人権センターのセミナーでした。
講師は中学生でお医者さんのご両親を亡くし、カナダ留学、日本の大学も卒業した方でした。
どういう動機で精神医療のケアーの道を専門としたのか忘れましたが、研究と同時に西成の基幹メンタルケア―施設の相談員をされているようです。
患者と家族の関係の崩壊と回復の具体的how toです。
 いくつか感動的な事例があり、思わず涙ぐんでしまいましたが、しかし自分の場合は、もっと複雑でその程度の事例群では参考にならないと思いました。
それにしても、若くして精神医療の道に飛び込んでくる方々には心強く、尊敬します。がんばって一日も早く一人前になって欲しものです。
日曜日は、木村真市議の早春のつどいに参加。
23年度の総括、活動報告。
「左翼」だと思われている木村さんは、会派を組んでくれる人がいないので一人会派w。れいわの女子が当選しているのだが、この子も組んでくれないようです。木村さんの場合は、森友で今や全国区の市民運動家で、権力を持っているので飲み込まれると警戒感があるのかもしれない。
それでも今回会の参加の若い人が増えていた。いい傾向です。
京都の市長選に一言。
自公立民相乗り松井が、共産れいわの福山を僅差で下し勝利。
この僅差は維新の会が独自候補を立てたため、保守分裂状態。
ネットワイワイは、奇妙な言説にあふれて、小生の見解はまたもや異端かw
立憲民主党は、共産党と共闘しなかったのはけしからん、していれば福山のように弱者政策の公約を実現できたのに!この時期に幹部こぞって自公と組むとは政権交代とケンタが言っていても誰が信じるか、と怨嗟の声でした。
確かに候補者では福山の方が、元民主党の松井よりはるかに弱者の公約徹底で、私も目にもいいと思った。
しかし立民支持者(自称)が、こぞって共産党と共闘すれば勝てた、もう支持止めたとあふれ返った。
私に言わせれば、京都事情を踏まえない、かつ政治を生徒会と勘違いしていると思うのでした。
立民にさほど期待していない、且つ又共産党に絶望しきってきた者としては、こんなことは今までに沢山あったから、若い人がいかに政治にナイーブで京都の独特な歴史を知らないことの方が心配だ。
そもそも、政党は、どこの党派も自分の利益と生き残りのため、市民の利益よりそちらを優先する。自民党だけではない。
共産党は立民に共闘を要請したのか?私の知る限りそれは無かった。共産党は半世紀共闘をしたことはなかったし、勝てそうな京都のような強い地盤では特にそうだ。
立民が拒否して、自公相乗りしたら非難も正しい。別に立民の京都事情から、元民主党の仲間を押したというのも党として当然のことだったろう。
むしろ、私は共産党こそ、市民の公約を何が何でも実現したいというなら、頭を下げて立民にも声をかけるべきだったと思う。
こちらも党利優先したわけだ。
京都は、長い共産党蜷川府政時代、自民党より新左翼、市民団体、有名なのは部落解放運動の路線対立で、スターリニズムの他派潰が激しかった。当然前原、福山など筋金入りの反共産党主義者を生んできた。
何が言いたいかと言うと、共産党は東大闘争の時は、自公と組んで全共闘を潰したのだ、ということを忘れるな、若い無知はよく勉強しろと言うことです。
多分この時は、共産党自民党とも警察庁とも申し入れして「共闘」した。
自民党は機動隊、共産党は樫の棒で武装暁部隊公明党ゲバ棒全共闘学生に襲いかかった)
昨日の赤旗は、福山敗北ではなく、我が党勝利宣言だ。相変わらず(笑)。保守派に15000票まで迫るようになってきたすごい共産党と。市民にとっては公約を灰燼に帰したわけで、敗北には違いないではないか!こういう重大な共産党のエゴを見逃している限り、善意の市民の願いのガス抜きとなって自公を結果的に利すること、希望を食いつぶし政治アパシーを招き続けることになるのだ。
東京の西側では、立て続けに野党市民運動側が与党候補を破って新市長を誕生させた。
京都と比較し、今後の選挙のキーを見出すとすれば、一言ヨーロッパの先進的な都市(フェアレスシティー)のような市民運動を高揚させることだ。
市民運動の開かれた論議の過程から、政党エゴを抑制し、政党の目線をキチット市民に向けさせること。
東京の新市長誕生には、世田谷区杉並区をはじめ立川市、また前橋市長の野党系勝利、敗北はリベラルの強い武蔵野市八王子市や江東区が敗北。いずれにしてもこれらの都市は市民運動のプロデュースが効いている点が特徴である(東京はあまり正確に知らないので異論があるかも)。
これは、政府や政党に依存体質が強くなっている中で、野党に対しても重要な条件である。
東京の先進的新市長誕生をみれば、今後の野党共闘選挙の可能性は共産党系を相対化できる賢明な市民運動のプロデュースが不可欠だといえよう。(もちろん自公などのカルト宗教依存市民は害悪である)
京都はその意味で、非共産党系の市民運動が育っていないネックを克服することである。
「健全な怒れる市民」の自立である。
(書きなぐりで、文章乱れはご容赦ねがいます。)