祝被団協のノーベル平和賞❣そして反核運動の陥穽

被爆者団体が、ノーベル平和賞を頂戴したことはおめでたいことだ。
永き運動の持続は貴重だし、その意思の持続が反核・反被爆者の苦難を訴えるものになっている。
あのケロイドの写真を見せられると、心臓をわしづかみにされる思いだ。
だが、一つ、反核派も推進派も、見落としてきた問題があり、反核運動が、被爆者でありながら、「核の平和利用」を叫んできたことである。
核は、ニュークリアであって、どう利用しても、人類にとって科学的に未だ処理できない危ういもである。
 今更平和利用後の廃棄物(プルトニウム)が核兵器の材料になるなどと言うことは、中学生でも知っていることだ。
しかし反核派は、なぜ「核の廃絶」ではなく「核の平和利用」を推進してきたのか。
結果としてそれは、フクシマの惨事をもたらし、今後100万年単位で日本のみならず世界の癌として、人類はトボトボと核の脅威と歩まなければならない。
ここには、思想的に重大な陥穽があって、この謎を正面から取り上げたのは、加藤典洋しかいない。
政治主義的にはリベラルの河村湊の、誤った記述(加藤や私の見解からみて)だけである。
また、吉本隆明の、敗戦直後の核問題への短い小論があるのだが、反吉本おバカもこれを踏まえずに、吉本は原発推進論者であったと得意に語る。
また『情況への発言』の度重なる原発問題での問題指摘も拾い出さずに短絡に吉本は原発推進論であったと腐す。
吉本の意を正確に理解し、かつ吉本の思想としての「科学主義」の問題をまっとうに論じきれたのも、加藤典洋だけであった。
詳しく知りたい人は、私の『飢餓陣営』に掲載された<悼・加藤典洋論>みたいな題だったか自分でも忘れたが、読まれるといいだろう。
私の様な無名の者でも、この「過ち」を見ぬふりするリベラルマスコミ芸人や学生の政治表現を禁圧するリベラル教員の批判にはいつでも反論してやるゼwww