桐島聡(反日武装戦線)の存在自体の革命性と重さ

桐島は残念なことをした。
よく逃げ切ったものだ。
私は爆弾を作ったことよりも、この生きざまを評価する。
多くの党派活動家が、活動後刑に服して、禊が済んだとばかりに相変わらず左翼崩れのでかい面をして生きてきたのに比べ、立派である。
その過激さでも、批評活動でもない、深く潜行して日常生活で一言も発せず、行為の実績だけをむざと置き残し、自己総括だ自己弁明だ、一切しなかった。そんなものは、桐島にすれば、ただの挫折の自己肯定でしかなく、許されざる行為に映ったはずだ。
革命を志したものが、絶対信念を生き抜くとき、無名性に徹することができるかどうか。それは万冊の著書を書くより重いことだっただろう。
私は、武装闘争組織では、唯一反日武装戦線を支持してきた。
赤軍派のように、武装闘争から革命が起きるなどという倒錯ではなく、反日武装戦線はテロはテロ以上のものでも以下のものでもないことを知っていたからだ。
そして無名な学生がひっそりと、着実に日常に享楽する私たちふやけた国民を戦慄させた。
その純度の高さによって、反日武装戦線に組織員の「同窓会」はない。構成員はいまだに沈黙し、逃亡し、絶対信念を生きるテロリストとして、存在自体が光輝を放っている。
私は、何より好きなのは、彼らの無名性である。
桐島など、当時の活動家の中でも全く知られていなかった。
公安権力でさい同じだった。
捕まるわけがなかったのである。
合掌。

京都アニメ放火殺人犯の死刑判決に異議申します。

昨日出た京都アニメ放火殺人犯青葉被告の死刑判決には異議申します。
死刑にしても意味はない。
これで犯罪が予防できるなら、もう日本の殺害事件はとうになくなっているだろう。
裁判官・陪審員は、我々の「正義」の名のもとに人を殺した。
私たちは殺人者になった。
 時間がないのでこれだけは書いておきます。
私は、晩年の死刑囚大道寺将司と付き合ってきた。
明確に、冤罪死刑ばかりか、人が人を殺すことは良くない、という思想を徹底することが、より殺害犯罪のリスクを失くす社会をみんなが志向する底上げになるという想像力と確信です。
私は団藤重光先生の教え子です。
難しい理論はありますが、ここでは披歴しませんが、私人間の応報感情から、完全に決別すべき時期にきています。
ヨーロッパも韓国も死刑を停止(廃止)しています。
日本人の精神は、とても先進国ではありません。

「ザイム真理教」と闘う森永卓郎さんの健康を祈念し、連帯します❣

森永卓郎さんが、ガンで余命が危ぶまれているらしい。

ザイム真理教と「(財務省の陰謀と)闘って死ぬ」と宣言しながら、闘病生活に入っている。

日本の財政政策の財務省

国民の消費税を25%まで上げようとしている日銀、

彼らのすさまじい批判者潰し、間違ったイデオロギィー注入、

これに、森永さんはユーモア交えて、鋭く切りこみ続けます。

管理者の長く信頼してきた、同世代人の奮闘を讃え、微力ながら連帯したい。

森永卓郎 ザイム真理教 2023/11/20 - YouTube


www.youtube.com

「ザイム真理教」三五館シンシャ2023.6.1発行現在16刷

【追記】

森永卓郎さんが、ガンで余命が不透明に落ちいっている。
経済評論家としては、長い間唯一といっていいほど信頼してきた。
経済音痴の小生には、判りやすく、ユーモアに富んだ批評性は、かみ砕いた説明の仕方、展開の仕方など学ばせてもらった。
この人の佳さは、左派論者のような切羽詰まった感じがないことだ。論争になっても、ヘラヘラとかわしながら、言うことはしつこくコンコンと説得する。目くじらを立てて相手を撃破するような姿勢がないが、場の空気は森永さんに傾いていく。不思議な魔力を持っている。
しかし、財務省には並々ならぬ怨念をお持ちのようだ。
官僚の駆け出しから、この人なりに苦労してきていることを初めて知った。
死を前にして、財務省=ザイム真理教の経済イデオロギーを破砕し、日本国民を救わねば死にきれないという、気迫がひしひしと伝わってくる。
昨年12月には意識不明にまでなったと、息子さんの説明を聞いたとき、暗澹たる気持ちになったものだ。
気にはなっていたが、ベストセラー「ザイム真理教」をまだ読んでいなかったので、本日購入。
そこでまた驚いた。
財務省プライマリーバランス論が、ザイム真理教の教義なのだが、これを批判するものはことごとく潰される。
我々が記憶に新しいのは、民主党政権の折、財務省の禁断の消費税減税を掲げたため、財務官僚のサボタージュという恫喝によって、菅直人野田佳彦が手のひら返したようにあっという間もなく税率8%に上げてしまったことだ。
私の認識が甘かったのは、森永さんに言わせると、官僚、学者、メディアなどことごとくこの教義に批判的な人物は排除されてきた、ということらしい。
内部では、財務省にいた高橋洋一は有名だが、コメンテーターでも玉川徹までもが先日、自分は財政均衡論を否定するものではないと宣言するほどであったが、この本のお陰でその裏の意味するところがよく分かった。
今回も、大手出版社で出すことが決まっていたが、土壇場で断られたとのこと。理由が、こんな財務省批判物を出したら、たちまち国税の査察が入って、脆弱なわが社は潰される。言論の自由より会社の存続の方が大事だ、と。
財務省に目を付けられ査察で潰された学者、企業は暇がないほだあるとのことだ。
そこで、出版社をみたら、なんと三五館シンシャではないか。
三五館は、もともと私の大学の後輩星山君が興した社である。故あって今は手を引いて他の社員がシンシャとして再建している。
星山君というのは、元情報センター出版局長時代、椎名誠を世に送り出した。また読売新聞の黒田清さんが読売を追い出されてから、東京の事務所を提供していたのも星山君だった。気骨のある男である。
一年で16刷だからベストセラーに間違いない。喜ばしい限りだ。
なお続編にあたる本「書いてはいけない」が3月上旬に出るようです。これも今度は速攻で購入しよう。
森永さんは、ご自分のなかでは、国民への遺言のつもりではないか。
みなさんも、よければ是非一読されることをお薦めします。

Facebookより転載)

 
 
 
 

 

能登地震に見る被災者自助方式の問題、政府の後手後手の棄民正当化

小生は、元旦から4日まで誰とも話さないという侘し正月でした。
能登地震、羽田航空機衝突事故と惨事が続き、テレビばかり見ていました。
能登地震では、政治・マスコミに脳を「包摂」された人びととネットでの情報がこれだけ錯綜し、政府・石川県の対応をめぐる賛否が真っ二つに割れたことも少ないでしょう。
政府、石川県は、組織的ボランティア以外は、政党も政治家の視察も来るなといって、ことごとく立ち上がりの救援が後手に回ったように見えました。
能登の地理的条件を配慮して、混乱を回避したいというのがその筋の公式発表だった。
 私は当初から、野党まで官邸に同調して視察も支援隊も出さないことを猛批判してきた。
なぜなら、75時間以内という絶対命題があるからだ。
山本太郎だけが即刻入ったが、迷惑お構いなしに入り被災者からカレーをかすめて食ったとか、官邸合意を破った議員にあるまじき行為だとか、野党政治家からまで批判を浴びた。
さすが太郎は立派であった。
一週間して、彼は見事な報告書と支援策を官邸に上げている。
またネットでは、森友学園事件で活躍した菅野完が、ネットの政府支持の個人は支援にすぐ入るなというアナウンスに同調するアホどもに業を煮やして、検証のために6日に入った。
詳細の現地情況の発信は、アホはやはりアホのデマであったことを証言してくれた。
能登へ入る関所は、閑散としている。
道路はほとんど車がいない。
点在する避難民は、助けてくれと悲鳴を上げている(水、下着がない、不明者がいる)。
役人が手持ち無沙汰にボーとして指示待ちになっている。
まるで与野党が吹聴した混乱するなどの状況は発生しておらず、全く支援が後手に回っていた。
マスコミは6日になってやっと死者行方不明者が200人にのぼることを報じ始めた。
岸田官邸は、自衛隊を小出しに投入し、被災者を舐め切った様子で、馳知事はやっと6日になって非常事態宣言を発した。
75時間命題にかなった地震災害救助ではないのだ。
作業服だけは着て会見をして、テレビに出まくって、心被災民にあらずという姿がありありと見て取れるのだった。
野党も似たようなものだった。
太郎は、世界各国の災害時に、政治トップが何日で現地視察に入ったかリストを上げていたが、ほとんどが翌日か3日までには入っている。岸田は10日経っても未だに入らない。
そして、本日12日経ってやっと被災民の置かれた過酷さがマスコミでも上がってくるようになってきた。
個人でのボランティアは、散発的に外国人の支援だけが報じられているが、どうも東北大震災や熊本地震のときほどは入っていなさそうみ感じる。
それは、一昨日の自衛隊の投入兵員をみても判断できる。
志賀原発の破損状況も、安全運転ができているから問題ないと発表うのみ報道だが、実際はかなり際どい。汚染水がタンクからあふれた、通常電源が故障し非常電源でもたせている、地下活断層だらけ、建設想定の70ガルを上回っていた、などとても安全だなどと言える状態ではないことも判明してきている。
さて私の被災日翌日からの主張はこうである。
道路が幹線一本しかなく、寸断されているから自衛隊も多く投入できないのだという説明は話にならないと。
漁港ばかりで1000トン未満の艦船しか接岸できないためだとか、YouTubeでも自衛隊の言い訳を専門らしい口吻で説明したものもある。
しかし、75時間絶対命題への解答にはなっていない。
空自には、立派な小松基地があるのだから、習志野第一空挺団が活動でたはずだ。分散した村々へ投下し、偵察隊として情報の集約をはかれたはずである。そうすれば生存救助対象者数ももっと早く把握でき、3日以内にはすべき人命救助に合ったはずだ。その後のヘリによる隊員、物資の投下は優先順位をつけてもっとスピィーディーにできたはずだ。
戦術が陸路だけに凝り固まっているが、いざ防衛戦が突発的に発生した場合、地理的条件を理由にノッタラノッタラが許されると思っているのか。
挙句の果て、自衛隊は9日報道では、起きて欲しくない一番苦手なエリアで起きてしまったと愚痴っているではないか!
いちいち挙げれば政府・県の行政の体たらくと棄民支援策は切りがない。
さて、私が提言してきたのは、地震活発期に入った列島は、従来の被災者自助方式から、被災者全面フォロー方式に転換すべきだということ。
即ち、イタリア方式を参考に、寒い体育館の床にごろ寝をするのでではなく、被災者の文化的避難生活の確保をすること。
イタリア方式は、過去(2~3年前)に新聞で知った限りだが、少なくとも被災地が自分で全て救援するのではない。
行政職員も被災民とみなして、仕事は近隣諸都市の職員が代行する。それを政府が省庁にまたがらず、一本化して統制する。
(日本は他県にまたがる自衛隊出動要請は、現行法では内閣の要請が必要など)
日ごろ、近隣3県だったかが相互に支援フォーマットを作成し、行政共々全面的に支援活動に入る。
つまり事前に支援のフォーマットができているのだ。それによって地域特性に即した問題点が洗い出され、対応が迅速になる。
避難所は、ベッドで、食事は登録された近隣県のシェフが駆け付け日々提供支援をする。写真を見る限りそこはみんなが街のレストランに寄り合ってディナーをとっている風であった。
日本の豚に食わせるような炊き出しではない。
もっともイタリアも検索すると日本と同じような避難風景が上がってくるが、法律制定前の古い情報が残っているのか、すべての県が実施できていないことなのか、そこはプロでない私には解らない。
いずれにしても、日本はどこでも地震は起きる。
その為には、後づけの理由で行政は正当かせず、日ごろ自分たちの地域特性にあった救援体制のフォーマットを作成しておくべきだ。
そのキーは、被災者自助方式を思想として転換する必要があるだろう。
なお実はもっと構造的問題は、組織ボランティアだけを入れた訳だが、政府から個々のNPOなどに要請がかかっているのである。
完全に民間ボランティアが、行政の下請けとなっている由々しき社会運動の下請け化である。これについてはまた論じてみたい。
 
 
 

官邸は、パレスチナジェノサイド停止まで半旗を掲げよ❣

宮田律さんの記事で、大事な知見を得た。
大事なところなので、以下に結論部を引用しておきます。
*    *
 
ヨルダン川東岸・西岸全域がユダヤ人国家の領土であるという修正シオニズムの思想を広めたのは旧ロシア帝国オデッサ(現ウクライナ領オデーサ)生まれのジャーナリスト・ウラジミール・ジャボチンスキー(1880~1940年)だった。ジャボチンスキーは1940年にアメリカの修正シオニズム団体「ベタル」を訪問中に心不全で亡くなったが、パレスチナでは彼の信奉者たちが1940年代に活動が活発だったテロ組織の「イルグン(イルグン・ツヴァイ・レウミ)」を創設していた。この組織は後に「へルート」党となるが、科学者のアインシュタインなどはこのヘルートのパレスチナ人虐殺などの活動がナチス・ドイツのユダヤ人弾圧を想起させるものだと批判した。イルグンは、1946年月22日にエルサレムのキング・デーヴィッド・ホテル爆破事件を起こし91人の無辜の人々が死亡した。また1948年4月9日にデイル・ヤースィン村で100人から120人のアラブ人住民を虐殺した。イスラエルのネタニヤフ首相をはじめ右派・極右の政治家たちはこの修正シオニズム思想の信奉者たちだ。
 外務省のページは「パレスチナ難民の経済・社会生活を向上させる国際的取組に貢献するため、我が国は、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を通じたパレスチナ難民支援に引き続き努力していきたい。」と締めくくられているが、こうした主張がいまの国会議員たちに共有されているだろうか。
 1980年10月31日に伊東正義外相は、「安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会」で「米国を訪問した際に中東和平の基本はパレスチナ問題であり、それはパレスチナ人の国家までつくる権利も認め、そしてイスラエルがPLO(パレスチナ解放機構)も認めることだと主張しました。」と語っている。
 米国を訪問して伊東氏と同様のことが言える胆力のある政治家がいまの内閣や国会にいるだろうか。

 

*   *
日本の平和と繁栄は、中東の安定であるという、自明なことをわずか30年足らずで日本のリーダーたちは思考できなくなっている。
貧すれば鈍する、とはよく言ったものだ。
経済どころか、世界も歴史も忘れ、バイデンを批判できず、批判しなくても強力に日本のための主張とイスラエル批判をしなくなった政府に恐ろしさを感じる。
なぜなら、先の大戦の愚は、石油の安定確保の不具合から発展しとものであるからだ。
田中角栄中東戦争時、アメリカにアラブ諸国と断絶したらアメリカは石油を売ってくれるのかと言い返して、中東との関係を強化したという有名なエピソードがあるが、岸田政権の曖昧な態度は、半世紀の官民挙げた日本愛国の情を無にするものだ。
岸田は、パレスチナジェノサイドが止まるまで、停戦を呼びかけ工作し、官邸に半旗を掲げるくらいしたらどうだ❣
今、イスラエルとの兵器共同開発協定を中止すると言ったて、損はないだろう。

2024年新年あけまして狂濤なり

明けましておめでとうございます。
新年早々、地震海上保安機衝突事故と不穏なトラブルが続きます。
今年の政治社会の狂濤か黙示か⁉
崩壊した日本を再興するには、わけーもんには任していられねー。まだまだ口出すぜ、と気だけは意気込んでいます。
私の主調は、戦後民主主義ステロタイプな硬直性を批判し、被害者意識によるリベラル派のファッション的付和雷同に楔を打ち込み、岩波ー朝日の左派権威主義を粉砕することです。
 つまり、原理主義(普遍主義)に徹することで、日本の共同体を崩壊させてきた保守を串刺しにすることです。
ちょっと欲張ってますが、一言でいえば、エセ保守とエセリベラルのもたれあいを排除したいということです。
といっても、力不足は否めないため、神仏にすがりに初詣にいってまいりました。www
箕面国定公園の滝近くにある龍安寺
滝まで行きつかず、ばてて帰ってきました。
情けない、あの程度の坂がきつくてー。
最後に、箕面の「偉人」笹川良一の像が参道入口に建っていることです。
箕面は笹川の競艇実施自治体として、豊かな町を創ってきました。
私は反共右翼としてではなく、笹川のロマン的体質を面白く思い、小学校出の成功者の多面的な面を評価するのです。
田中角栄なんかも面白かったよね。








日経新聞がアベノミクスを反省か⁈今頃になってwww--愚論劣論書き過ぎだぜ。

本日の日経新聞の「大機小機」が注目されている。
アベノミクス反省総括文だ。
専門家ズラして、アベノミクスを喧伝してきた。
やっとカルト経済理論だと目が覚めたようだ。
今頃になって、いい加減にしろよ。
 日本を潰したアベノミクスから離脱すべきだと、またまた専門家ズラしてバカ以外の何物でもない。
私は食えなくなって、学究をあきらめた時、思ったものだ。
これからは、論文など書けるのは「官」に食わせてもらう奴、
親に経済力のあるやつ、だけだ。
ならば、書く物理力は無理だとしても、大学解体をスローガンにした限り、専門家ズラするいい加減な奴には、しっかり批判するだけの見識だけは身につけよう。そして追跡し、コテコテに批判してやると決意したものだ。
アベノミクスは、当初から多くの批判があった。
私も精力的に批判した。
しかし経済理論として矮小化されたものが多かった。
なにより、先進諸本主義国のシステムの機能不全を打開するイデオロギーだという本質論のレベルに問題があったのだが、そのレベルでの批判は少なかった。
淵源が、イギリス労働党の政策、新しい共同体論(ギデング)をサッチャーが換骨奪胎して保守に衣替えした。即ち、経済的には市場原理主義、共同体としては教会を中心とした復古的コミュニティーへ。
一方アメリカへは、東海岸のトロッキストが輸入して、ここでも換骨奪胎されてパターナリストの市場原理主義や自己責任論としてネオリベが形成された。
アメリカでは少数派だったが、フリードマンは政治的活動から政治的に拡大した。白石らアメリカでフリードマンを支持して、かぶれた日本のアメリカ奴隷学者専門家アホ等が嬉々として輸入して、安倍に吹き込んだ。
アメリカでは宇沢弘文の方がはるかに権威も学派も大きかった。
こうしたここ30年を見てこないと、カルト経済から目が覚めたと思っても、本質は従来の先進資本主義のシステムの機能不全にあるから、政治哲学として総合的に批判することがないと、また変奏されたカルト共同体論にかかるだろう。反対するだけではなく、この世界的な資本主義の機能不全をどう克服するか見出すことが大事なのである。
専門家ズラしている知識人は、井戸の中でご託宣をかき混ぜていても、総合化ができず、行動が伴わない。
現場の思想家は蹴とばして前に進むしかないのだ。
以上、書きなぐりメモとします。