能登地震に見る被災者自助方式の問題、政府の後手後手の棄民正当化

小生は、元旦から4日まで誰とも話さないという侘し正月でした。
能登地震、羽田航空機衝突事故と惨事が続き、テレビばかり見ていました。
能登地震では、政治・マスコミに脳を「包摂」された人びととネットでの情報がこれだけ錯綜し、政府・石川県の対応をめぐる賛否が真っ二つに割れたことも少ないでしょう。
政府、石川県は、組織的ボランティア以外は、政党も政治家の視察も来るなといって、ことごとく立ち上がりの救援が後手に回ったように見えました。
能登の地理的条件を配慮して、混乱を回避したいというのがその筋の公式発表だった。
 私は当初から、野党まで官邸に同調して視察も支援隊も出さないことを猛批判してきた。
なぜなら、75時間以内という絶対命題があるからだ。
山本太郎だけが即刻入ったが、迷惑お構いなしに入り被災者からカレーをかすめて食ったとか、官邸合意を破った議員にあるまじき行為だとか、野党政治家からまで批判を浴びた。
さすが太郎は立派であった。
一週間して、彼は見事な報告書と支援策を官邸に上げている。
またネットでは、森友学園事件で活躍した菅野完が、ネットの政府支持の個人は支援にすぐ入るなというアナウンスに同調するアホどもに業を煮やして、検証のために6日に入った。
詳細の現地情況の発信は、アホはやはりアホのデマであったことを証言してくれた。
能登へ入る関所は、閑散としている。
道路はほとんど車がいない。
点在する避難民は、助けてくれと悲鳴を上げている(水、下着がない、不明者がいる)。
役人が手持ち無沙汰にボーとして指示待ちになっている。
まるで与野党が吹聴した混乱するなどの状況は発生しておらず、全く支援が後手に回っていた。
マスコミは6日になってやっと死者行方不明者が200人にのぼることを報じ始めた。
岸田官邸は、自衛隊を小出しに投入し、被災者を舐め切った様子で、馳知事はやっと6日になって非常事態宣言を発した。
75時間命題にかなった地震災害救助ではないのだ。
作業服だけは着て会見をして、テレビに出まくって、心被災民にあらずという姿がありありと見て取れるのだった。
野党も似たようなものだった。
太郎は、世界各国の災害時に、政治トップが何日で現地視察に入ったかリストを上げていたが、ほとんどが翌日か3日までには入っている。岸田は10日経っても未だに入らない。
そして、本日12日経ってやっと被災民の置かれた過酷さがマスコミでも上がってくるようになってきた。
個人でのボランティアは、散発的に外国人の支援だけが報じられているが、どうも東北大震災や熊本地震のときほどは入っていなさそうみ感じる。
それは、一昨日の自衛隊の投入兵員をみても判断できる。
志賀原発の破損状況も、安全運転ができているから問題ないと発表うのみ報道だが、実際はかなり際どい。汚染水がタンクからあふれた、通常電源が故障し非常電源でもたせている、地下活断層だらけ、建設想定の70ガルを上回っていた、などとても安全だなどと言える状態ではないことも判明してきている。
さて私の被災日翌日からの主張はこうである。
道路が幹線一本しかなく、寸断されているから自衛隊も多く投入できないのだという説明は話にならないと。
漁港ばかりで1000トン未満の艦船しか接岸できないためだとか、YouTubeでも自衛隊の言い訳を専門らしい口吻で説明したものもある。
しかし、75時間絶対命題への解答にはなっていない。
空自には、立派な小松基地があるのだから、習志野第一空挺団が活動でたはずだ。分散した村々へ投下し、偵察隊として情報の集約をはかれたはずである。そうすれば生存救助対象者数ももっと早く把握でき、3日以内にはすべき人命救助に合ったはずだ。その後のヘリによる隊員、物資の投下は優先順位をつけてもっとスピィーディーにできたはずだ。
戦術が陸路だけに凝り固まっているが、いざ防衛戦が突発的に発生した場合、地理的条件を理由にノッタラノッタラが許されると思っているのか。
挙句の果て、自衛隊は9日報道では、起きて欲しくない一番苦手なエリアで起きてしまったと愚痴っているではないか!
いちいち挙げれば政府・県の行政の体たらくと棄民支援策は切りがない。
さて、私が提言してきたのは、地震活発期に入った列島は、従来の被災者自助方式から、被災者全面フォロー方式に転換すべきだということ。
即ち、イタリア方式を参考に、寒い体育館の床にごろ寝をするのでではなく、被災者の文化的避難生活の確保をすること。
イタリア方式は、過去(2~3年前)に新聞で知った限りだが、少なくとも被災地が自分で全て救援するのではない。
行政職員も被災民とみなして、仕事は近隣諸都市の職員が代行する。それを政府が省庁にまたがらず、一本化して統制する。
(日本は他県にまたがる自衛隊出動要請は、現行法では内閣の要請が必要など)
日ごろ、近隣3県だったかが相互に支援フォーマットを作成し、行政共々全面的に支援活動に入る。
つまり事前に支援のフォーマットができているのだ。それによって地域特性に即した問題点が洗い出され、対応が迅速になる。
避難所は、ベッドで、食事は登録された近隣県のシェフが駆け付け日々提供支援をする。写真を見る限りそこはみんなが街のレストランに寄り合ってディナーをとっている風であった。
日本の豚に食わせるような炊き出しではない。
もっともイタリアも検索すると日本と同じような避難風景が上がってくるが、法律制定前の古い情報が残っているのか、すべての県が実施できていないことなのか、そこはプロでない私には解らない。
いずれにしても、日本はどこでも地震は起きる。
その為には、後づけの理由で行政は正当かせず、日ごろ自分たちの地域特性にあった救援体制のフォーマットを作成しておくべきだ。
そのキーは、被災者自助方式を思想として転換する必要があるだろう。
なお実はもっと構造的問題は、組織ボランティアだけを入れた訳だが、政府から個々のNPOなどに要請がかかっているのである。
完全に民間ボランティアが、行政の下請けとなっている由々しき社会運動の下請け化である。これについてはまた論じてみたい。