検察とメデイアの管理統制、すなわち北朝鮮化

西松建設献金事件も結局大山鳴動して鼠一匹に等しかったことは、多くのブログから雑誌にも書かれている。


しかし、狙い撃ちされた被疑者は犯罪者としてメディァは書きたて、犯罪の立証の前に社会的ペナルティを受けるという、極めて情緒的な政治社会構造を内抱しており、それが「正義」として是認され国民は熱狂するのだ。


今回小沢一郎が、自党の団結によってかろうじて守られたわけだが、これが一国民に襲い掛かった嫌疑の場合、ほとんど社会的抹殺は免れなかったたであろう。


現に長銀粉飾決算事件は、最高裁で無罪判決が下り東京地検は完全な敗北をしたわけであるが、この被疑者会頭と2名役員は退任を余儀なくされ完全に抹殺されて実質的に東京地検は一罰百戒の目的を達した。
つまり、検察に狙われたら、法的に有罪無罪は関係なく、政治的あるいはビジネス上命はないものと思え、という「教訓」を残した。


これに何の疑問も持たず、法治国家だとか三権分立だとかタテマエのみを垂れ流すメディアとB層がこうした情緒的な政治風土を今も作り上げて、北朝鮮と似たような政治土壌を少しも脱皮できないでいる。
要するに、検察=警察の監視とお上に逆らうな、という無言の土壌である。


ゼネコンからの献金を受けるのが古い政治家で、証券やITやサービス業界からの献金は新しい政治家のタイプだなどとワケの解らないイメージを振りまき、従って小沢は古いからもうやめるべきだなどという電波芸者たちは、所詮どこかのスポンサーや政党から金をもらっているか迎合しているかに決まっている。


献金という側面からみれば、企業や業界に新しいも古いもあるものか。
あるのは企業献金とその抜け穴だけだ。そういう意味で民主党企業献金全面禁止案は、雨降って地固まるである。自民党に真似ができるか?できはしまい。また似せたもので抜け道を用意するのがオチだ。


さて、その後はっきりしてきた事実。


日経NBで田原総一郎田勢康弘早大教授)が時評コラムの対談をしている。田勢は元日経記者だったということで、リアルな証言をしていた。


まず田原の証言。
わたし(至高)は、元秘書の石川知祐衆議院議員を特捜が事情聴取したとき、もともとこの西松建設からの献金のフレームを作ったのは今自民党岩手の支部長をしている元秘書の高橋嘉信なのだから、高橋の聴取をしないのは明らかに片手落ちであると批判した。


実際には特捜は高橋嘉信の聴取をしていた。
ところが検察は、新聞メディアに「石川は書け、高橋は書くな」と指示
結果民主党側の石川は大々的に書き立てられ、自民党側の高橋は全く国民の目に触れることはなかった。
これで、「悪者は民主党」という世論誘導がまんまと成功したわけだ。
わたしもあなたも、まんまと検察とメディアに騙されたわけだ。
わが国の政治は、司法官僚が恣意的に操作して決めるのか。


また、今回メディアにコメンテイターとして登場した元検察検事の郷原信郎弁護士は、一貫して検特捜の誤りを批判し続けた人物であるが、検察は新聞記者へ郷原のところへは取材にいくなときつい「お達し」をだしたそうで、現在全く新聞記者が寄り付かなくなっていることを暴露している。


田勢康弘は、記者の経験から次のように述べている。
司法記者は、ウラがとれなくても検察が言ったことはそのままガンガン書く。従って、判決が出る前に被疑者は社会的にペナルティを受けてしまう。
何故このようなことになるかというと、検察局は取材引き受け担当の幹部検事がいて、それ以外の検事に取材接触すると記者クラブから除名か出入り禁止となるためだという。


わたしの知る記者たちに言わせても、特にこの取材担当が決められているといのは、他省庁と違いかなりきつい縛りである。
この談合体質という以上に、検察は戦時統制時代の権力−メディアの基本構造を未だに残滓としていることに驚嘆するのである。これは談合ではなく明らかに国家権力のメディア管理であり、国民への情報管理である。


小沢は自分の記者会見に全て取材希望ジャーナリストは区別なく対応し、外人記者にも門戸を開いていたが、政権を取った場合は同様に記者クラブ自体を失効させると明言した。
これも小沢の今の立場が小沢自身を変えたといっていいだろう。
ひとは変わるのである。



さて、こうして麻生=法務官僚は民主党叩きをみごとに成功させ、小沢一郎の支持率をそぎ、野党勢力の亀裂を図ったわけだが、それでも政権交代への希求は止まらない。