森田健作氏を告発する会にエールを!

以前指摘しましたように、森田氏の公選法違反を問う声は日増しに強まり、とうとう告発の会ができ、いままたHPが立ち上がったようです。
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http://morikenaccusers.blog42.fc2.com/blog-category-3.html


こういう「○○の会」などという集団行為は好みでいえばあまり好きではないのです。
むしろ「一人一殺」の思想の方が気質的には合うのですが、こんなことを思想として語っただけで問題にされる世の中ですので、わたしは陰ながらせめて会の運動が成功をおさめますようエールを送りつづけます。


【追記】
必ずこういう運動や団体が立ち上がると、つまらない「客観的立場」を売り物に実はどこどこの政党系でとか、市民といっているが中身は一般の市民ではないからさも運動自体が如何わしいものである、と吹聴する「敵側の間者」が現れる。


「政党に関係ない一般市民」などという抽象的な存在がいるとでも思っているのだろうか?もしいるなら選挙制度など成り立ちはしないだろう。


普段は生活に追われて政治を専門にした生業をしていないというだけで、生活者は日々の中でそれなりに政治のことをかんがえなければいけない局面ではしっかり政治のことを考えているものだ、という事実さえ認識できていない。


政党や政治家は、そうした生活者の政治主張を代行し、あるいは政策提案をしていく専門的集団で、どこの政党がリードしようがそこに市民が眼にみえる直接行動をしなかったとしても共感を示さなければ、運動は潰れる。


つまりこの手の運動体が成り立つ時点で、すでに「政治=政党」から無関係の「一般市民」など存在しえないのである。
なぜならその運動団体に共感をもって支持するか、嫌悪をもつか生活者は自分の生活過程の中で判断をしているからである。


だから逆にいえば、こうした「市民運動」が政党との連携がないことそれ自体で正当性の条件になるなどということは、全くの虚妄にすぎない。



問題としてあるのは、政党がからんでいるかどうかの見極めではない。運動の内実が、政党エゴを超えて市民のためになりうるのかということである。


いい事例は、日本共産党が一環として革命を成就できなかったのは、現に今苦しむ生活者のために、党をなげうってまで闘わず妥協に妥協を重ね、党温存のエゴイズムを優先してきたためである。


政治に中立や「無垢な一般市民」など存在しないのである。
自分は、どの党派にも関係ないと主観的に思った瞬間から、現在の支配的勢力を是認している立場を表明してしまっている、ということを自覚すべきである。